母と一緒の旭川
母と共に、旭川で2日目の朝を迎えました。ずっと二人きりの時間などほとんどなくて、ありがたいです。少しでも母に孝行が出来たなら。
それもこれも真里奥さまの存在があればこそ。旭川寺さまの御会式のご奉公だけでしたら、母は来れなかったと思います。真里奥さまの一周忌法要があったからこそ、心を決めて旭川まで来させていただきました。ありがたいです。
昨日は快晴からスコールがあったりゴロゴロと雷が鳴ったりまたキラキラと晴れてきたり、スリランカのようなお天気でした。それもこれも、天と地がくっついて、繋がっているように感じて、ありがたかったです。スペクタクルでした。
懸命に、ご宝前に向かい、御会式の一座、真里奥さまの一周忌法要を勤めさせていただきました。私のような者が奉修するのは畏れ多いことですが、とにかくご下命に従って全身全霊でご奉公させていただきました。
私は、グルグルと飛び回っているだけのご奉公ですが、ずっと以前から、遣田御導師と真里奥さまが遠くから応援してくださっているのを感じて、それを励みにしてきたのです。
少しでも御恩をお返しすることが出来たなら、ありがたいです。でも、御恩を返すどころか、母と二人、貴重な時間を与えていただき、また泊まらせていただいているお部屋ももったいないほど大きく立派で恐縮至極です。
サンフランシスコでは野宿、車の中で寝て、公園で着替えるというジプシーのようなお坊さんなのに、こんな綺麗なホテルに泊まらせていただき、とにかく申し訳ないです。
以前、寒参詣の御法門でも拝見させていただいた御妙判。
お祖師さまは夫に先立たれた上野さまに次のようなお手紙をお送りになりました。
「生生世世の間ちぎり(契)し夫は大海のいさご(沙)のかずよりもをゝくこそをはしまし候けん。今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこ(夫)よ。そのゆへはをとこのすゝめ(勧)によりて、法華経の行者とならせ給へば佛とをがませ(拝)給べし。」上野殿後家尼御前御返事・縮一〇四九
「あなたは夫に先立たれて哀しみに打ち震えているかもしれません。しかし、私たちが生まれ変わり死に変わり、生々世々を流転する中で結ばれた相手、契りを交わした夫は、海の砂の数よりも多くいたはずなのです。
しかし、この度の契りこそ、真実の契りの夫でした。なぜならば、ご主人の勧めによってあなたは真実の御法と出会い、法華経の行者となれられたのですから、仏と同じようにお敬いすべきです。」
御教歌『いきかわり死にかはりつゝ法華経に 仕へん人を菩薩とぞいふ』
いま目の前にあることだけではなくて、本当に大切なことを見つけて、取り組む。無常の人生の中の、一番大切な命の使い方です。
悲しい別れも来ます。老いも、病気も、臨終も、やってきます。しかし、その時も、胸を張って「ありがたかった」「あなたに会えてよかった」「あなたと一緒にご奉公できてよかった」「また来世で」「またお会いしましょう」と言えるご信心をさせていただきたいものです。それこそが目標。きっと宿題の答えです。
昨夜は遣田御導師や御導師のお兄さま、ご親族の皆さまとお食事をさせていただいて、ゆっくりとお話をお聞きすることが出来ました。勉強になりました。
今日、お昼過ぎのフライトで旭川から横浜へ戻ります。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。