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苦手な揮毫で「大白蓮寺」

けっこう頑張って書きましたー(汗)。

書のたしなみがないので、一筆でここまで書くのは大変でした。

でも、10年、20年、50年、100年、200年、1000年、2000年、スリランカに清涼山大白蓮寺が永続、隆昌発展していることを願い、頑張りました。

スリランカ 清涼山 大白蓮寺

「清涼池の蓮華荘厳せるが如し」妙法蓮華経見宝塔品第十一 

「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」妙法蓮華経従地涌出品第十五

「蓮華は水に生じ水に長じ、水の上に出でて水に著せざるが如く、是の如く如来は世間に生じ世間に長じ、世間の行を出でて世間の法に著せず」青白蓮華譬喩経

御教歌「池水のにごりにしまぬ蓮葉は 雨のふるにもぬれずぞ有ける」

御教歌「こぼるゝもたまるも風にまかせ置きて 露にもぬれぬ池のはちすば」

最蓮房宛の御書は中古天台の影響の見えるものも多く問題もありますが、『当体蓮華抄』には下記のような記述があります。

「抑も此の蓮華の所生の処を尋ね候へば、何なる池、何なる水に開け、何なる処、何なる境に生じたる華とやせん。

若し雪山の北、香水の南、無熱池と云ふ池に大白蓮華開け、不思議の妙華を備へたり。彼を以て妙法蓮華と号すべきなり。

又法伽はら王の池に千葉の蓮開けたり。而るに人中の蓮華は十余葉、天上の蓮華は百葉、仏菩薩の蓮華は千葉也。是を以て妙法蓮華と云べき歟。又白鷺池そこに生じたる蓮かとよ。昆明池呉山ふもとに尋ぬべかるらん。つらつら事の心を案ずるに、遠にも尋ねず、遥にも求めず。

我等衆生の胸は池、心は水、悪業煩悩の淤泥の中に正因仏性を備る、是を指て妙法蓮華とは名るなり。

夫れ世間の蓮華は夏開て冬開かず、淤泥に生じ陸地に生ぜず。風にもまれ、浪に沈み、氷に閉られ、炎にしぼむ。但し仏性の蓮華は然らず、三世無辺の花なれば春夏秋冬常葉なり、遍一切処(※釈尊のこと)の蓮なれば六趣三有(ろくしゅさんぬ※六道三界)に遍く開く。善悪不二の花なれば悪業の厚薄をも撰ばず、邪正一如の華なれば煩悩の淤泥にも生長す。十悪の風にももまれず、五逆の浪にも沈まず、紅蓮の氷にも閉じず、焦熱の炎にもしぼまず。

此の如く仏性の蓮を我も人も奉持ながら、無明の酒に酔て身内の仏性の蓮を知らず、煩悩の闇に迷て我性真如を覚らず。貧女が家中の秘蔵を忘れ、龍の身内の玉を宝と覚えざるが如し。然則(しからばすなわち)衆生の仏性は雲中の水、土中の金、石中の火、木中の華の如く隠れて見えずといへども、仏性の蓮は衆生の身内に納まれり。是則妙法蓮華の当体也。」

来る8月20日、スリランカにて清涼山大白蓮寺の寺号公称法要を奉修させていただきます。日本からも多くのお参詣をいただきますこと、心からありがたく思っています。

ありがとうございます。

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