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日本初のオリンピックで盛り上がる1964年の成城にプレイバック!

7月26日からパリオリンピック・パラリンピックが開幕します。コロナ禍での1年延期、無観客開催となった2021年の東京大会では、選手も私たちも様々な制限のあるなかで、オリンピックを楽しみました。今回は今から60年前に日本で初めてオリンピックが開催された1964年の日本、そして成城学園の様子を紹介します。
(『sful-成城だより』vol.14(2019年発行)再編集)

アジア初のオリンピック開催
NIPPONの活躍に心躍る

1964年、アジア初のオリンピック「東京オリンピック」の開催に向けて、日本の風景は大きく変わっていきました。
東京モノレールや東海道新幹線が開通し、地方空港も開港。ニューオータニやプリンスホテルといった大型ホテルが東京を中心に誕生するなど、様々なインフラが整備されました。
 世界各国のテレビ放映では、初のカラーでの衛星中継を実現。スローモーションVTRが登場するなど、放送技術も一気に進み、まさにオリンピック一色の1年でした。
 日本は、体操や柔道、レスリングなどで金メダルを16個獲得。特にバレーボール女子は「東洋の魔女」といわれ、圧倒的な人気を博しました。

いつの時代も
おしゃれに敏感な成城生

1964年の成城はどんな感じだったのでしょうか。当時の大学の卒業アルバムで振り返ってみましょう。
 トラディショナルなアイビールックが流行しており、キャンパス内を闊歩する学生たちの姿にもその影響を感じることができます。写真を見ると、女性のパンツスタイルはほぼ皆無。ジーンズも、この頃は男女ともに一般的ではありませんでした。

女子学生は、ノースリーブのトップスに膝丈のスカートでキマリ

大学は、経済学部、文芸学部、短期大学部で構成されていました。今よりも学生数が少なく、よりアットホームな雰囲気だったことがうかがえます。

学園文化祭は、この頃から幼稚園から大学まで、同じ日に開催。また、学園合同のイベントとして体育祭も行われていました。時代に合わせてベストな在り方を選択しつつ、ワンキャンパスならではの良さは、当時も今も変わっていません。

幼稚園児から大学生まで参加した体育祭

ポケベルもケータイもスマホもない時代
学食のうどんは25円

最後におまけです。当時の物価や伝達手段がわかる写真を発見しました。
なつかしいと思う方、なにこれと戸惑う方、世代によっていろいろだと思いますが、歴史の1ページとしてお楽しみください。

外出先での連絡手段は公衆電話一択!
うどんが25円! 学食はみんなのオアシス
庶務課の仕事風景。黒電話、書類は手書きの時代です

構成=編集部 写真=成城学園
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