ヨーロッパ写真文化論
写真を発明した二人のフランス人。
写真術は、19世紀前半にフランスで発明されました。発明に関わった主要な人物は、二人のフランス人です。1820年代に最初の写真撮影に成功したのがニエプスです。しかし長時間の露光を要したことや像が明瞭とはいえなかった(版画のように見えます)ため、さらなる研究が必要でした。その後、ダゲールが1839年に「ダゲレオタイプ」という画期的な銀板写真の技術を発表したことで、写真が一気に実用化しました。
ヨーロッパから世界に広がっていった写真術。
写真術については、当時いろいろな手法をいろいろな発明家たちが競うように研究していました。そのうちの一人、同様にフランス人のバヤールは、ダゲールとほぼ同時期に写真術を開発したにもかかわらず名声を得られなかったので、抗議の意をこめて溺死者に扮したセルフポートレートを発表しています。またイギリス人のタルボットもやはり同じ時期に「カロタイプ」という写真術を発明しています。こうして、写真は爆発的にヨーロッパそして世界中に広まってゆくのです。
写真は芸術ではなく、記録資料?
1840年以降、フランスで肖像写真が大流行しました。画家に頼んで肖像画を描いてもらう時代が終わり、パリのブルジョワ階級の人々が人気の肖像写真館に押し寄せたのです。名刺版のブロマイド写真「カルト・ド・ヴィジット」もまた流行し、撮影、鑑賞、収集といった写真の愉しみが大衆に広まりました。一方で、その頃「写真は芸術ではない」という主張がさかんになされました。機械がつくりだした像は、芸術たり得ないという考え方です。有名なフランスの詩人ボードレールが「写真は記録資料にすぎず、芸術に仕える下僕のようなものでしかない」と述べたのはよく知られています。その一方で、今に伝わるボードレールの肖像写真は、その芸術性によって我々に感銘を与えるのですから面白いものです。
そして写真は芸術となった。
写真は芸術かどうかという問題は、19世紀末、ピクトリアリスムの写真家たちによって引き受けられます。印象派の絵画のような光の効果を技術的に生み出し、構図に工夫を凝らすなどして、写真も芸術的営為なのだという主張がなされたのです。写真が芸術としての地位を確立するまで、現在からは想像できないような紆余曲折があったのです。
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写真から、幅広く芸術を考えていく「広域芸術論Ⅰa」。
あるときはエッフェル塔、あるときは現代アート、あるいは写真というようにテーマを変えながら、ヨーロッパの芸術文化について横断的に論じる授業です。広い視野で芸術をとらえることができます。
※本記事は成城大学入試情報サイト「成城ブリッジ」より転載しています。
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