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《成城映画だより 特別編》 ライオン長屋「季節料理 藤」に通った成城の映画人

 2024年3月末、建物の解体により、57年に亘る営業を終えた料理店「藤」。筆者も昼夜を問わずに、よくお邪魔しました。京都仕込みの小鉢料理が美味しく、閉店は本当に残念です。当店には、大学(キャリアセンター)の仕事で呼んだ吉田類さんをお連れしたことがありました。「いいお店ですね」と喜んでいた類さんは、料理やお酒はもちろん、ご主人自筆の品書き(竹紙に毛筆で記す)がいたくお気に入りのようでした。のちに「酒場放浪記」の番組で訪問し、その後も個人的にお通いになったそうですから、よほど印象に残ったのでしょう。
 そこで今回は《成城映画だより 特別編》として、当店に通った成城の映画人をご紹介することにいたします。

2024年3月、57年の歴史に幕を下ろした「季節料理 藤」(筆者撮影)

 1967年3月、‶ライオン長屋〟と呼ばれる駅北口の商店街で店を始めた先代ご主人は、成城の生まれ。祖師谷小学校での同級生には田村正和さんがいたといいます。
 父・阪東妻三郎=バンツマ亡き後、京都嵯峨から成城に越してきた田村兄弟は、正和さんが祖師谷小学校、亮さんは開校したばかりの明正小学校に入ります。正和さんが家から近い明正小に通えなかったのは、まだ三年生までしかクラスが開設されていなかったため。
 亮さんは何度も店にお見えになったそうですが、正和さんが現れたことは一度もないとのこと。確かに他の店でも、正和さんをお見かけしたことはありません。
 ちなみに筆者は、亡くなるほんの数か月ほど前、散歩中の正和さんに遭遇しましたが、ジャージ姿にロングコートを羽織っているだけでも、実に様になっていました。お若い頃には、成城学園辺りまで足を延ばされていたと聞きます。あの古畑任三郎が、「藤」のカウンターに座っている姿を想像するだけでも楽しいことです。

長屋の名の元となったライオンのレリーフが掲げられた「代一元」と「久保田洋服店」
(成城大学卒業アルバムより)

 かねて述べてきたとおり、成城は映画人の街。私が当店でお見かけしたのは、俳優の三國連太郎さんと山田洋次監督のお二人。どちらもお酒は飲まずに、ご家族で食事を楽しんでおられました。 
 三國さんは成城と祖師谷の間を散歩している姿もよくお見かけしましたが、往年のギラギラした感じではなく、まるで『釣りバカ日誌』のスーさんのようでした。若き日の〝怪優〟ぶりをスクリーンで実体験してきた身としては、いささか拍子抜けしたほど〝普通の人〟で、思わず声をかけそうになったものです。 
 山田監督はかつて祖師谷団地に住み、のちに成城に越してこられました。モダンな団地生活が憧れだったとのことですが、大船の松竹撮影所まで通うのに1時間半もかかったことで、よく仲間から「東宝に入れば良かったのに」とからかわれたとお聞きしました。 
 大船の撮影所がなくなってからは、どの作品も東宝スタジオで撮られている山田監督。最新作の『こんにちは、母さん』(2023)では、南口の老舗割烹「仙海」でロケを行っています。 
 黒澤明監督や大林宣彦監督との交流も、‶映画村〟成城ならではのもので、なんだか嬉しくなります。

「藤」の斜向かいにあったカメラ店「カスガ堂」の壁には、ライオンでなく蓮の花のレリーフが
(成城自治会発行「成城のまち」より)

 先代ご主人の跡を継ぎ、店を切り盛りしてきた加藤兄妹に伺うと、監督では深作欣二さんと和田勉さんが見えたとのこと。深作監督は妻の中原早苗さんと、先頃亡くなった小澤征爾さんの家の北側にお住まいでした。ここはかつて「朝日住宅」(1929年、朝日新聞が設計・分譲したモデルハウス)があった区域で、他に山本嘉次郎監督や高峰秀子さん、中村メイコさんが住んでいたこともあります。
 東宝の前身「ピー・シー・エル映画製作所」で子役としてデビューしたメイコさんですが、次女・神津はづきさんとそのご主人・杉本哲太さんとは、成城のスナック「プティ・ボワット」で何度かお会いしました。とても感じの良い青年・哲太さんに、酒の勢いを借りて「俳優とは何ぞや」とお説教をしてしまったことを、筆者は今でも恥じ入っています。ご本人がお忘れなら良いのですが……。
 NHKディレクターだった和田勉さんは、ご夫人のワダエミさんと隣町の砧にお住まいでした。ご子息が成城大学に在学中、よく中庭で木登りするので、職務上その都度注意させていただきました。
 黒澤明監督の『乱』でアカデミー衣装デザイン賞を受けたワダエミさんは、小澤征爾さんや横尾忠則さん、山田洋次監督が集う蕎麦店「増田屋」でしばしばお見かけしました。駅前北口の甘味処「櫻子」で食事を楽しまれていたことは、NHKの「サラメシ」で紹介されています。
 深作欣二監督の作品には、ヤクザ路線でない『軍旗はためく下に』(72)という反戦映画の力作がありますが、何と自宅そばの富士見橋でロケされています。出演者は、成城ロケ映画『若き日のあやまち』(52)で女優デビューした左幸子さん。ご子息の健太氏も成城学園出身で、映画の世界に入ったのは親ゆずり、それとも成城という環境が影響したものでしょうか。
 
 俳優では他に元日活の宍戸錠さん、元東映の渡瀬恒彦さん、成城ハイムにお住いの頃の地井武男さんが通われたとのこと。宍戸さんは成城の最北端九丁目にお住まいで、バスで駅までやって来るお姿を見るにつけ、馬に乗ってきたらさぞかし様になるのにと、勝手な想像をしたものです。
 渡瀬さんは大原麗子さんとの結婚時も成城住まいでしたが、当店に通っていたのはその後のことになるそうです。晩年は、東映映画に出ている時とはまるで違った、穏やかなイメージが素敵でした。
 地井武男さんは岡本町にお住いのイメージが強く、成城ハイムにお住いの時期があったとは存じませんでした。「ちい散歩」の番組は有名ですが、地井さんの没後は、やはり成城住まいだった若大将・加山雄三さんが継いだことにご縁を感じてしまいます。
 
 ご本人は来られなかったものの、五丁目在住の有島一郎さんのご息女(ご自宅前で「ファイブ・スポット」という喫茶店を経営)も常連だったとのこと。‶若大将〟シリーズの田沼=田能久たのきゅう一家が、父(有島)、長男(加山)、その妹・照子(昨年亡くなった中真千子さん)の三人とも成城住まいだったことは、あまり語られない事実です。
 ご近所のいちょう並木通りにお住まいだった宇津井健さんや神田隆さんは、「藤」にはお見えにならなかったと聞きます。『スーパー・ジャイアンツ』シリーズ(新東宝)やテレビの『赤いシリーズ』などで〈成城ロケ〉経験豊富な宇津井さんですが、ご自宅の地下で「葡萄屋」という高級レストランを経営していたこともあり、庶民的な当店には足が向かなかったのでしょう。それに、あの強面の神田隆が隣で飲んでいたら、果たしてどんな気分になったものでしょうか……。
 ちなみに神田隆と言えば、筆者は〝はまり役〟だった『金環蝕』(大映)や『不毛地帯』(東宝)での政治家役(佐藤栄作にソックリ!)より、『警視庁物語』シリーズ(東映)で演じた一課の捜査主任役が断然好みです。

学園正門前のいちょう並木沿いにあった「葡萄屋」。
自宅の玄関先では宇津井健さんをよくお見かけした
(成城大学卒業アルバムより)

 古いお店が徐々に姿を消していく成城。街は今や、進学塾と買い取りショップのオンパレード。ライオン長屋も、60年代から続くお店は川上精肉店さんだけになってしまいました。それでも、有島一郎のお孫さんが営む居酒屋「笑山」(南口駅前)や、斎藤寅次郎監督のご自宅を使った茶懐石店「一宮庵」(監督のご親族が経営)には、今も映画人が集っています。

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。