はたして時間は「使う」ものか。
時間の使い方が上手い、という表現があります。最近は費用対効果どころか時間対効果なんて言葉まで出てくるようになって、私は目眩を覚えます。
資本主義社会には、すべての事象を未来の資産に変えていく性質があるように感じます。物質も時間も消費して、永遠に成長し続ける経済という幻想が、資本主義の本質ともいえましょう。時は金なり、なんて恐ろしい言葉があっさり受け入れられるほどに、世の中は資産と時間に飢えています。
ハイデガーは著書『存在と時間』の中で、私たちの存在の本質を「有限な時間そのもの」であることを明らかにしました。緻密で厳格な証明の過程は本書にある通りですが、彼の主張を是とするならば、時間は使うものではないでしょう。
むしろ時間を「モノ」のように上手く使おうとするほどに、自分自身が「モノ」になって消費されていくことになりかねません。
それはミヒャエル・エンデが『モモ』で問題提起した、灰色の男たちのインチキで人をまるめこむ計算のようなものです。
そう。時間は貯金できない。
時間を支配しようとするほど、時間に支配される生活が訪れるものだと、私の経験は訴えます。多忙を極める医業に従事する中で徹底した効率化を求めた先にあったのは、人間性の喪失でした。
ひとつ選ぶことは他を捨てることと同義です。
選べないからといって決断を保留したら、ひとつも残らず全て捨てることになるか、決定権を誰かに譲渡することになるでしょう。決定権の放棄は人生の主体性を損ないます。
生まれた瞬間から死に向かう有限な自分を正面から見つめたとき、私たちは初めて「今」を純粋に経験できるのかもしません。時計に規定される時間という幻想を打ち砕き、世界をあるがままに感じ取ることができたら、心の平穏が訪れることでしょう。
私は今に集中します。
それは刹那的享楽とは一線を画する、明鏡止水の境地です。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の存在が生命の希望に満ちて美しく輝きますように。
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#時是金也雖不追求之勿 #其先在只虚無而已
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#大家好謝謝茄子