「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」レビュー

「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」を読んだのでレビューを書いていきます。

本当にいつもありがとうございます。感謝しております。

さて、この本、「自分を他人と比べて落ち込んでしまう」などといった陥りがちな悩みを25個掲載しており、それぞれに解答がついています。いわゆるQ&Aの形式です。

面白いのが、著者が答えを書くという体裁ではなく、哲学者の考え方を引用しているところです。「アリストテレスはこう言ってる」というような感じです。

なので、色々な哲学者の考え方をかいつまんで紹介する本というのがこの本の本質だろうと思います。

最近ですと、「嫌われる勇気」のヒットでアドラーが人気です。個人的には、哲学というのは昨今のブームだと思っています。便利で満ち足りた現代において、本質的に物事を考えることが必要だとみんな気付き始めているように思うのです。そんな、哲学ブームの導入書として、本書は最適なのではないかと思います。

今回は、依存症の治療に取り組んでいる身として、活用できそうな以下の5つの思想をまとめていきたいと思います。

  • ブッダの思想

  • ジャック・ラカンの思想

  • ジョン・ステュアート・ミルの思想

  • カントの思想

  • 親鸞の思想

ブッダの思想

渇愛、煩悩、執着、瞑想、縁起、無常といったキーワードをこの章では紹介したいと思います。

渇愛+煩悩=執着

渇愛:過去や未来を想像して、何かを欲したり嫌ったりすること

煩悩:濃密な感情

渇愛というのは、過去や未来を想像して、何かを欲したり嫌ったりすることです。この渇愛に煩悩が加わると、執着が形成されます。

この考え方の特徴は、執着というのは今の感情ではないということです。

確かにその通りで、不安や緊張はすべて未来に対する感情です。後悔は過去に対する感情です。

不安や緊張、後悔に対応するには「今、ここ」に集中すればよいのです。

それが、瞑想であり、マインドフルネスなのです。

私も後悔や不安にとりつかれてしまうことがあります。ブッダの教えをもとに、瞑想やマインドフルネスに励んでみるのもいいかもしれないと思いました。

また、「縁起」という考え方も面白いです。

縁起:これあるに縁りてかれあり、かれ生ずるに縁りてこれ生ず

縁起とはつまり、原因によって物事が起こるということです。

すべての物事には原因がある(すべては縁起である)と考えると、結局はすべての物事は原因の原因の原因の…と堂々巡りすることになります。

そう考えていくと、すべての物事は実態をもたない一時的なものという発想(無常)に至ることになります。

無常の考え方を踏まえれば、不安や緊張、後悔も一時的な実体のないもので、いずれ過ぎ去ると考えることもできますね。

ジャック・ラカンの思想


マズローの法則では、人間の欲求が階層となって出てきます。

下位の欲求から順に、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求(所属と愛の欲求)、承認欲求、自己実現の欲求となります。

簡単に言えば、食べたい、家に住みたい、孤独は嫌、集団で上に見られたい、自分の夢をかなえたいといった感じです。

さて、昨今は食事も家もありますし、学校や会社もありますから、もっぱら承認欲求と自己実現の欲求の時代と言ってもいいと思います。

その中でも、今回は承認欲求の話をしていきたいと思います。

SNSでは、承認欲求が刹那的に満たされますが、その「いいね」の数もすぐに忘れ去られてしまいます。承認欲求が満たされているようで満たされないから、またSNSで投稿をすることになってしまいます。

一方で、後世に残るような芸術作品をつくりたいという承認欲求は、満たされると満足感があり、刹那的ではありません。

この違いを、ジャック・ラカンが「小文字の他者」「大文字の他者」と表現しています。

  • 「小文字の他者」:現実に実在する個人

  • 「大文字の他者」:象徴的な他者であり、「神様」。自分の中に内面化した他者。

マズローも承認欲求は高位と低位に分けられ、前者は自分が自分を承認できるか(他者依存的な評価軸から脱し自分で立てた基準や目標)、後者は「誰かに褒められたい」といった欲求としています。

他人(小文字の他者)からちやほやされたい、という欲求は低位の承認欲求で、それは当然抱いてもいいのですが、評価は他者が決めるものですから他人の期待に応えるような人生になってしまいます。

「大文字の他者」を意識した人生にしていき、ゆくゆくは自己実現の欲求を満たせるようにしていきたいものです。

ジョン・スチュアート・ミルの思想

ミルが提唱したのは功利主義という”現金”な哲学です。

人は、2つの快楽があるときに、より高級な快楽を選ぶという単純なものです。

ダイエットを例にとれば、

食べる快

vs

引き締まった体になる達成感、自分との約束が守れた自信(自分への信頼)

という風に快楽を戦わせると、人間は高級な快楽、つまり達成感や自信を選ぶというのです。

あれれ、少しおかしいですね。そうかんがえると、依存症患者が問題行動を選んでしまうというのは、我々依存症者が「人間」ではなく動物以下ということでしょうか?

ミルは言います。尊厳(プライド)とは「下劣な存在に身を落としたくないというためらい」であると。

そう考えると、われわれ依存症者には「下劣な存在に身を落としたくない」という感情があまりないのかもしれません。自暴自棄に近い感情で問題行動をしていることもありますからね。

ミルはこうも言います。「今までに目の前の誘惑を我慢して、何かやり遂げた成功体験」を思い出すべきだと。それを言われると辛いのが依存症者ではないでしょうか。依存症者はある種のコンプレックスや孤独を抱えています。思い出せる成功体験などないに等しいのかもしれません。

ミルの教えにしがたがって、私は以下の2点に気を付けて生きていきたいと思います。

  • 下劣な存在に身を落としたくないという尊厳・プライドを大切にする

  • 誘惑を我慢して、何かやりぬいた成功体験を思い出す(受験勉強など)

カントの思想

カントは、次のように述べています。人は、一時の感情や欲望といった「傾向性」に流されがちと。傾向性というのは簡単に言えば欲求のことです。

傾向性の例を挙げれば、無視されたら怒るとか、おいしそうなものがあれば食べたいとか、楽をしたいとか、セックスをしたいとかです。

そして、カントは2世界説という考え方を説きます。

現象界:傾向性のなすがまま(悪魔の声)

英知界:因果を引いてみることで、因果の外に立つ、超越した世界(天使の声)

カントの2世界説というのは、文字にすると少し難しいですが、簡単に言えば”天使の声と悪魔の声”です。

そこで、”天使の声”が自分自身の中にある道徳律であり、崇高で高貴なものであるとしています。その道徳律を守ることで、自分へのリスペクトが生まれます。

私もカントの考えを聞いてその通りと思いました。自分の中は道徳律というのがあります。それに従えた時は嬉しいし、自信になります。

一方で欲望、渇望に負けたときは、どんどん自信がなくなって、さらに問題行動を繰り返してしまうという負のスパイラルを経験しました。

きっとその時に足りなかったのは、”天使の声”に対するとらえ方だと思うのです。崇高で高貴なものとも思っていませんでした(自分の作ったものを崇めるというのは恐れ多い感じがしました)。そして、何よりも、”天使の声”に従うことで自分へのリスペクトが生まれるという考えがありませんでした。

今では、そのような考え方で取り組めてます。自分の”天使の声”を大切にしていますし、それにより自信も高まっています。

親鸞の思想

親鸞の思想で「悪人正機」説というものがあります。

煩悩を断ち切れず、悟りを開くこともできない悪人(凡人)こそが、阿弥陀如来の導きにより救われるという教えです。

ここでは、善人と悪人の意味がすこし現代と異なりますので、確認させてください。

善人:自分の取り組みで何とかできると思っている人

悪人:愛欲や金銭欲に自分が無力であり、罪深さをみつめ、深くあきらめる人

注意点としては、悪人は”悪いことをしてもいい”と開き直っているひとではありません。自分自身の欲に無力であると感じ、傷つき、自己嫌悪に陥っているのです。

以上をまとめると、自分でどうにかできると思っている人よりも無力であることを認めた人の方が救われるという考え方です。

まさに、性依存症と関連があります。依存症は「治せるんだ、気合で我慢だ」と思っている人(善人)と、「依存症になってしまったので自分は性に無力であるから環境を変えていかないといけない」という人(悪人)の話にも聞こえてきます。そう考えると、後者が救われるというのは納得します。

悪人が行き着く心境が「他力」です。自力で何とかしようという気負いが抜けて、弱さをさらけ出し情けない有様になることをいいます。

「他力」と聞くと、自分一人では回復が難しいと悟り、精神科に通院したり、自助グループに通う当事者の姿を思い浮かべます。「私は性依存症者です」とあきらめの境地でミーティングで宣言するのも、「他力」だと思います。そして、身をもって体感しているのですが、「他力」という考えに至った方が、心が軽くなりますし、問題行動から遠ざかることができています。

親鸞は今から1000年ほど前の人物ですが、1000年前の人の知識で自分が楽になれるヒントをもらうとは思ってもいませんでした。この出会いに感謝したいと思っています。

最後に


この本は、ノートに要点をまとめながら読みました。哲学は面白いと痛感したと同時に、依存症にも通ずる考え方が沢山ありました。

これを機に、哲学にも触れる機会を増やしていきたいと思います。


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