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第8話  キラキラ生徒の答えは全部「イ」

2016〜2019年にかけて、高校の教室でもがく教員の姿をcakesで連載していました。cakes終了につき、noteに転載するお誘いを受けましたので、定期的に再アップしていきます。よろしければご覧ください。 年齢や年代などは当時のままですので、ご了承くださいませ。

この子は絶対モテキャラなんだろうな。

今の高校に勤務しはじめた4月、最初に教壇に立った2年世界史のクラスで、そう思う生徒がいた。初回の授業から、彼は一風ちがっていた。いかにも少女マンガに出てきそうな、笑っちゃうくらいのキラキラオーラが出てるのだ。

容姿やオーラを武器に人生を勝負し、駆けるのはありだと思う。にしても、そういった少年は勉強しない! 以前勤めていた高校でそう思ったことがある。「俺は頭じゃ勝負しない」とでも割りきってるのか? 学力不振を前に、僕はしばしば嘆息していた。

うーん。この学校で出会った彼も、どうも初回の授業からチャラけた雰囲気だし、同じ部類かな……。俺の人生じゃないし、まいっか。勝手にそう醒めながら4月を終えた。だが、僕の安っぽい先入観は、5月以後きれいに打ち砕かれたのだった。



「ズルい」生徒


最初、彼の反応に「おや」と思ったのは、375年に始まるとされるゲルマン人の大移動(なつかしいでしょう?)のとき。その一派にヴァンダル族というのがあって、彼らはローマの文化財を略奪・破壊してまわった。

その故事をもとにした英単語が、vandalize(文化財などを破壊する)。

イスラム国(IS)が中東の歴史的文化財を破壊していることに関する英文記事を見せ、僕は「ここで使われてるvandalizeってどういう意味? ヴァンダル族のやったことから推測してみ〜」と生徒にたずねた。

わかるわけないっしょ。そんな反応がクラスの大勢だった。一方、前から3列目にいたその生徒だけは思案顔で、紙の辞書を引きはじめた。僕はちょっとおどろいた。辞書を引くという表現(行為)が死語になりつつあるくらい、高校は電子辞書の天下だから。

「あった。やっぱし。壊す、ね!」

僕は授業しながら、チープな先入観を反省した。その子は、とにかく緻密な、いじわるく言えば神経質そうな字でノートを取っていた。大学ノートの上部に印字された「・」に沿った字間をあけつつ、ノートを「もてなす」ともいうべき丁寧さ。オリジナルのイラストまでつけている!

1学期のテストの出来は、90点を超えた。

これは……。彼は見た目のオーラに加え、頭も冴えてる点で「ズルい」生徒だった。知性という金棒を備えつつあるキラキラおにだった。新米世界史教師の僕は、その金棒にさらなる磨きをかけようと、授業に力をこめるのだった。

ふつうに生きてれば美貌はやがて朽ちる。十代のころのみずみずしさを15年後、30年後も保ってるのはむずかしい。かたや、美しさに対し、知性は長持ちするはずだ。

中年教師のやっかみだと受け取られただろうけど(笑)、僕は放課後の雑談のさい、度々そうした本音を伝えた。鬼はその度ハニかんだ。とても優しい鬼なのだった。



解答用紙に書きこんだ怒りの「0(ゼロ)」


その鬼が、初めて手を抜いた。3学期、冬休みあけの確認テスト。2学期の授業内容から出されたそのテストは、ごく基本的な問題を四択形式で出したもの。彼の実力なら、満点を取ることはお茶の子さいさいだった。

うんっ!? 採点した僕はうなった。記号の解答がすべて「イ」だったのだ!! あいつ、ぬかったな!

高校生たるもの、手を抜くことだってある。ぬくぬくとミカンをほおばって、ぐうたらする時間だって大事だ。けれど、採点していた僕の感情は怒りに支配されていた。2学期までのさまざまなテストでは無双だった生徒の戦意喪失に、面くらったのだ。

僕は、A4の解答用紙に目一杯でかでかと、怒りの「0(ゼロ)」を書いた。すべて同じ選択肢を書いた場合は「0」となることを、事前に生徒には伝えてあったから。

後日、答案を返却された彼はおどろいていた。同じ選択肢を記入した場合のルールを失念しており、まさか0点とは思ってなかったのだという。授業のあと、僕は彼を呼びだした。

「俺の知ってる努力家の少年はどこに行ったんだ。おふざけにもホドがあるでしょう。で、3学期末の試験はどうするの。俺は100点しかねーだろって思うけどな!」

そう伝えて僕はすたすた立ち去った。彼の表情を目に入れることもなく。



頭ではわかっていたけれど


教員室に着いた僕は、いつものことながら猛烈なる反省タイムに入った。

教員免許を取る前の大学の教職課程では、いっとう最初に学ぶ教師のイロハ。それは、「怒る」と「叱る」はちがうということ。前者は高ぶる感情、後者は教育効果を計算した上での理性に基づく。

やっちゃった……。ぬかったのは僕のほうだった。あの「0点」が何かのSOSだとしたら? 家庭で何かあったのか? 友だちとのトラブルは? 教師がこういった想像力を働かせてもいいはずだった。いや、働かせないとダメだった。プロなんだから。

なのに、生徒への手前勝手な期待が一度肩すかしを食らっただけで、この体たらくである。怒って立ち去る甘ちゃんだ。いても立ってもいられなくなった僕は、隣席のベテラン国語教師にざんげした。すると、彼はこういった。

「若いねぇ。ひょうひょうとしたあなたでも、そういうことあるんだ(笑)。でもさ、『失望した』とかまでは言ってないんでしょ? それ言っちゃったらマズかっただろーね。ま、教師の期待と怒りが薄っぺらいものだったら、生徒は見抜くものだよ。もしそうだとしたら、その子は3学期の世界史を捨てちゃうだろーね。さぁ、どう出るかな」

「失望」とか「幻滅」までのヘビー級の言葉は、吐いていなかった。生徒に対する教師の「失望」「幻滅」ほど、独りよがりのものはない。頭ではそうわかっていたけれど、まさか自分がそれに近いエゴにかれてしまうとは……。

そのクラスではいくらか気落ちしたまま、3学期の授業を進めた。



生徒に救われる経験


学年末試験まで1ヶ月を切ったころ。僕が1年生たちと雑談していると、部活で、キラキラオーラのその生徒(2年生)の後輩が寄ってきて、こういった。

「○○先輩、次のテストへの気合い、ハンパないっすよ。物理とか数学の時間、ずーっと世界史やってるって。机の下でノート開きっぱで、何かぶつぶつ小声で唱えてるらしーっす。絶対100点とってやるって言ってますよ(笑)」

おいおい、授業中の「内職」はダメだろ、まったく。今度あいつに言っとかなきゃな。と新米中年教師は、苦笑しながら教師らしい返答をした。けれど内心は、高2の少年に「救われた」との思いでいっぱいだった(物理と数学の同僚教師には申し訳なかったけれど)。

勝手にトレーナーを気取った教師が、前のめりの期待と怒りを抱いたことで、生徒の知性の芽が危うくしぼんでしまうところだった。生徒本人のレジリエンス(回復力)のおかげで、その最悪の事態は避けられたのだった。

1年生たちと雑談をつづけた僕は、目が潤むのをごまかすことに必死だった。

2年最後の学年末試験で、彼は99点を取った。唯一まちがえた記号問題の誤答は、くしくも「イ」だった。かつて羅列されたことで、おたがいに痛い目を見た、あの、「イ」。テストを返却するとき、僕たちは答案にただ一つ×のついた「イ」をながめ、ほぼ同時に笑いがこみ上げてきた。

「君はまだまだ伸びるってことさ(笑)。点数じゃ測れない高み。本当に色々なことを君から教わりました。一年間、心の底からどうもありがとう」

今度こそは、吸い込まれそうなキラキラな彼の目を見て、そう伝えた。

去年、私と上のようなやりとりをくり広げた彼は、今春、ぶじ卒業していった。4月からはいよいよ大学生になる。ハタチになったら、ウマい酒でも馳走しながら、あらためてしっかり謝らないといけない。

教師は生徒に教わってこそ、存在意義がある動物なのだと思う。

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