第14話 生徒との「冷戦」の意外な結末
「先生とはなるべく話したくないです」。
高校に赴任して2年目のこと。4月最初のホームルームで、クラス替え後の新高2の生徒に自己紹介カードを書いてもらうと、その一枚にはこう書かれていた。
赴任1年目には失敗が多くあった。けれど、生徒には誠実に対応してきたつもりだった。生徒から信頼されている。うまく学級を運営している。男女分けへだてなく目を配っている——そうした自信が当時の僕になかったといえば、ウソになる。
2年目の春、早々とそれが過信だとわかった。1年の時まったく関わりのなかった女子生徒から、縁が芽生えるより先に示された絶縁状によって。
ハァーッ!?(怒)
小さくないショックを覚えると同時に、僕にはちょっぴり怒りさえ湧いてきた。一度も話したことないくせに、俺の何を知ってる!? 俺だってきみのことなんてなーんも知りたくないからな!
炎猛る不穏な4月、彼女と僕の、口をきかないクラス内「冷戦」が始まった。
オトナなめんな
その生徒はふだんから言葉少なめだったが、周りの女子とは笑顔で接していた。そしてダンスが大好きで、昼休みや放課後もよく校内で踊っていた。
放課後、何人かの生徒と僕で談笑しているとき、彼女も僕もあははと笑っているが、「ニアミス!」と心中あせっている自分がいる。そして互いの笑顔も笑い声もまったく交差しない。目すら合わせようともしない。黙殺の応酬。
ふん、オトナなめんな。
生徒の一部は、なんでか知らないけど、自己紹介カードの「絶縁状」を知っているようで、「どうするんすか~、先生」とニヤつきながら冷やかしてくる。僕は「この場合、『どうもしない』のが正解でしょうが」と応じるばかり。
とはいっても彼女は成績優秀で、大きないたずらをしでかすわけでもない。遅刻や欠席もない。いたって真面目に高校生活を楽しんでいる。
気づけば僕の授業だって、ていねいにノートを取っているし、説明にも集中して耳を傾けている。教室を周りながら彼女のノートを目に入れると、自ら評価した重要度に応じて色ペンを引き、文字の大きさを変えていた。
その姿勢には敬意を表さざるをえなかった。一方、僕を冷やかしてきた生徒のほうは、うたた寝……。おいおい。
会話しないというルールを厳守しつつも
このコントラストを前に、僕の怒りは日に日にしぼんでしまった。そして、会話しないというルールを厳守しつつ、1年間そっと見守ろうと改心した。1学期半ば、彼女と会話したのは一度きり。「いいか、なるべく話さないようにするから。困ったことがあった時だけは、ちゃんと伝えてよ?」
やがて1学期の後半にはこのしきたりに慣れ、毎日彼女を目の端に見守るという所作をマスターした。笑顔や言葉をかわすのでもなく、目を合わせるのでもなく、それでいて存在と表情を視野に入れる。どこまでそれがうまくいったかは、わからないけれど。
その頃には、いつぞや同僚の先生がつぶやいていた、「みんなに好かれようとしちゃダメだよ。ぜったいに無理が来るからね」との言が腑に落ちるようになっていた。
結局、僕は、どこかでスター教師願望を抱いていたのだろうか。分け隔てなく、みんなの僕ですよ。あなたのこと、僕がしっかり見てますよ……。うさん臭い「教師の鑑」を、半ば意識しつつ追い求めていたのかもしれない。
それを一人の生徒に真っ向から拒否され、怒りさえ覚えた自分はどうにも幼稚だった。1学期の終業式後、僕がそんな反省モードになった時点で、「冷戦」は僕の負けだったというほかない。
ただ無念。
三者面談で彼女に伝えた言葉
1学期に定めたしきたりを胸に、2学期の秋、三者面談を迎えた。その女子生徒とは正反対に(?)ニコニコした朗らかなお母さんにホッとしつつ、それに負けないスマイルで、僕は率直に次のように伝えた。
「お子さんの成績は申し分ありません。で、彼女の学校生活なんですけど……、よくわかりません! 彼女のリクエストもあって、ほとんど会話してませんので(笑)。彼女の表情とかには毎日注意してましたが、特にダンスが楽しそうだな、てことくらいしか具体的にはわかりません」
あらやだ、アンタ。とお母さんが娘に眉をひそめると、「いやいや、別に僕たちはケンカしてるわけじゃないので」と返した。そして、「でも一言、普段は会話しないようにしてるんで、この場を借りて彼女に期待してることを言わせてください」と続けた。
「英語、大好きでしょ? たぶん、あなたのように我が道を行くことに躊躇しない人間に、日本は狭いんじゃないかな。卒業したらさ、チャンス作って海外にチャレンジしてみたらいいと思う。ダンスの本場ってどこか知らないけど。どこまで“going my way”と自分のダンスが通じるか、勝負してみてほしいけどな」
「文化祭であなたがみんなを率いてたダンス、かっこよかった。俺、ダンスの素人だけど、鳥肌級。俺でもわかった、ダンスのキレが全然違った」
生徒が、一言つぶやいた。「見ててくれたんですか……」
この面談後に一気に雪どけ、なんてシナリオを求めてはいなかったし、引き続き僕たちに会話はなかった。そんなんで雪どけするんなら、最初から冷戦なんて始めなきゃいいし。
それでも、何人かで雑談する場で、彼女と笑顔を交わすことはほんのちょっぴりだけ増えた。別に、つかず離れずの、しれーーっとした関係で十分。そんな「余裕」が、僕の中には生まれていた。
そのまま2年が終わり、3年のクラス替えを経て、僕が彼女と関わる機会はなくなった。
久しぶりに顔をあわせたら……
「落し物が置いてある部屋、カギかかってるんで開けてください」
3年の3学期、卒業を控えた2月、女子生徒数人が職員室に来てそう言った。「めんどくせ~」と言いながらカギを持って向かうと、そのグループの中に、かつての「冷戦」のライバルがいた。
久しぶりに顔をあわせると、無性に気まずい……。
それでも教室に向かう途中、ちょっと勇気を出してたずねた。「あのさ、三者面談の時に俺がゆったこと、覚えてる?」 彼女はうなずき、ややはにかんで答えた。
「やってますよ、そのための勉強」
そっか、英語とダンスをさらに磨いてるのかぁとしみじみしてると、そうではなかった。
「한국말 공부하고 있어요! 大学行って、ソウルに留学できればなーって思ってます」
ソウル!? なるほど、ダンスのメッカは、意外な近場にもあるのだった。
卒業の最後まですれちがい続ける彼女と僕のやりとりに、妙な心地よささえ覚え、笑った。