日本映画と〈在日〉スパイス
物語に埋め込まれた〈在日〉
このところ、古くから日本に根付いてきた在日コリアン(在日韓国・朝鮮人)を正面からあつかったエンタメ映像作品は、ほとんどありません。
私としては、2001年に公開された、金城一紀原作の映画『GO』(行定勲監督/宮藤官九郎脚本)がいまだにイチオシ。
今見ても、キレッキレの窪塚洋介の怪演はグッときます。在日だろうがなかろうが、きっと胸に響く何かがある、青春映画の常道!
けれど、その後は映画『焼肉ドラゴン』などの例外をのぞいて、めぼしい在日映画が見あたりません。
おそらく、2000年代から、日韓関係や日朝関係が緊張するにつれ、在日がバッシングされるようになったことが大きいでしょう。「ヘイトスピーチ」の言葉も、2010年代には一気に市民権を得ました。
とすると、在日なんて、エンタメとして扱わないに越したことはない。さわらぬ神に、なんとやら……。そんな雰囲気が、映画やテレビ業界に広がったのかもしれません。
21世紀には、何回か韓流ブームがやってきました。今では、韓国の映画、ドラマ、音楽、エッセイ、小説はまさに百花繚乱(ひゃっかりょうらん)。韓流コンテンツ全盛期なだけに、在日がエンタメ業界で敬遠され気味なのは、ちょっぴり歯がゆくもあります。
だがしかし--。近年(に限らずかもですが)、在日は映像作品の中に「埋め込まれる」ようになってきました。
おそばで言ったら「七味」のような(時に辛すぎる「一味」のような)、お寿司で言ったら「わさび」のような。作品のスパイスに使われているように思えるのです。
ヤクザ
近年、出色のアウトロー映画といえば、2021年公開の『孤狼の血 LEVEL2』(白石和彌監督、池上純哉脚本)。劇中、ブッ飛びまくるヤクザ者上林(鈴木亮平)の手下、チンタ(村上虹郎)は在日韓国人です。そして上林にだってコリアンルーツが匂います。
こんな生活はイヤだ、抜け出したい。
ちんぴら生活をつづけるチンタは一片の希望を〈韓国〉という理想に託し、刑事の日岡(松岡桃李)に韓国のパスポートを入手できるよう頼みます。韓国にツテはまったくないけれど、うだつの上がらない人生を日本で送りつづけるよりマシだ……。
この作品の舞台は現代ですが、かつて1960年代、ツテがないまま北朝鮮へ渡った在日をほうふつとさせるシーンです。
また、東映のヤクザ映画全盛期の1970年代には、在日ヤクザがしばしばスクリーンに登場していました。『孤狼の血 LEVEL2』は、それへのオマージュという面があるかもしれません。
ヒーロー
同じく、白石和彌監督による『仮面ライダー BLACK SUN』(全10話/髙橋泉脚本、2022年)も、彼のワールド全開です。
「仮面ライダー生誕50周年記念企画作品」と銘打ってますが、そこはやっぱり白石作品。地上波じゃ絶対放映できません。Amazon Prime限定配信だからこそのブッ飛びよう(いい意味での「遊びよう」)。
まず、〈怪人〉たちは、〈人間〉と同じ権利をよこせ! と街頭デモを展開します。それに対し、「クサい」怪人を虫けらあつかいする一部の人間たちが、ヘイトスピーチやヘイトクライムをつづけます。
第一話ののっけから、現代の日本社会をデフォルメするのです。白石監督、生まじめに「遊んだ」という感じです。視聴者をこれでもかと挑発、威嚇(いかく)します。
怪人タウンは東京・鮫洲(さめず)の横丁にあるという設定ですが、そこが映る場面では、ハングル文字の書かれた段ボールがよく画角に入ります。
この作品をみる人からすると、〈怪人=在日〉という図式がすぐに思い浮かぶわけです。
「怪人お断り(いわばJapanese Only!)」の喫茶店もあれば、バスに乗る怪人を毛嫌いする乗客もいます。他方、怪人側にだって悪どい考えの者もいるし、決して一筋縄じゃない。なんと、政党もつくっています!
怪人と人間のあいだに立つ役回りの少女、和泉葵(平澤宏々路)や、仮面ライダーBLACK SUNこと南光太郎(西島秀俊)。ふたりを中心に、物語は、ヤクザ映画さながらに血しぶきをあげながら展開します。
このシリーズ、万人ウケを狙ったプロットじゃありません。戦闘シーンは、CGに慣れた現代人からすると昭和っぽい水準。葵からいつも「おじさん」と呼ばれる光太郎の変身シーンは、どう見てもくたびれている……!
それでも、視聴者の胸に深々とツメあとを残そうとする野心があふれています。個人的には、このギラついた感じ、好きです。
ある男
最後に、平野啓一郎の小説を映画化した作品『ある男』(2022年/石川慶監督/向井康介脚本)を見てみましょう。ここで重要な役回りを担うのが、弁護士の城戸(妻夫木聡)です。
彼は在日3世ですが、日本国籍を取得しています。その彼と食卓を囲むなかで、日本人の義父(モロ師岡)はカジュアルなヘイトスピーチをくりだします(以下、セリフの文言は完全な引用ではありません。そういう趣旨のセリフだとお受け取りください)。
そこで義母(池上季実子)が、城戸をフォローすると見せかけたマイクロアグレッション(些細な差別)を続けます。
ここで城戸は、やり返さない。ほほえみを浮かべ、ただ耐えるのです(この点は、崔洋一監督の名作『月はどっちに出ている』〔1993年/崔洋一・鄭義信脚本〕の主人公、姜忠男の戦術にも通じるでしょう)。
私をふくめ、在日は「その場をやり過ごす」という戦術をとることが多い。城戸の痛切はほんとうによくわかります。
城戸は、面会に訪れた刑務所で、囚人の小見浦憲男(柄本明)からも容赦ないヘイトスピーチを食らいます。
にっちもさっちも行かない在日の生きざまを、小見浦はせせら笑うのでした。いやぁ、柄本さんの演技は目つきが死んでて実にいい!
アイデンティティ、日本人/在日、国籍、ヘイトスピーチ。城戸が抱える煩悶(はんもん)は、谷口大祐こと「ある男」(窪田正孝)をめぐるミステリーとシンクロしながら、物語は展開します。
ほんとの自分て何だろう。なんで、みんな、私がほんとの自分だって信じてくれるんだろう--。
『ある男』は、原作者平野の〈分人〉論を下敷としつつ、古くて新しいアイデンティティの問題を突きつけてやみません。
抑圧された者の声
以上、3つの映像作品を題材に、スパイス化する在日のすがたを見てきました。
在日が「主役」だろうが「スパイス」だろうが、在日を取り巻くさまざまな問題は、在日だけにあてはまるものじゃない点は変わりません(この点は、拙著『在日韓国人になる』終章をお読みいただけるとうれしいです)。
誰だって、うだつの上がらない生活から「逃れたい」ときがある。ヘイトスピーチに「立ち向かいたい」ときだってある。誰だって、みずからの過去を清算し、ゼロから人生を「リスタート」したいときもある。
「私たち」/「みんな」に共通する悩みや課題が、スパイスとしての在日を通じて描かれている。そうとは言えないでしょうか。
映像作品の主役の座から降りた在日にも、新しい「私たち」/「みんな」を築きあげることへ向けた役割がある。このことが私には興味深いなぁと思えます。決して悪くはない役回りでしょう。
さてさて、今日は何を観ようかな。