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牧野富太郎さんと、なんじゃもんじゃの木

 牧野富太郎著作の「牧野植物随筆」に「なんじゃもんじゃの真物と偽物」の文章があり、偽物の六番目に近在の「なんじゃもんじゃの木」が登場している。
 なぜ偽物なのかを探ったが、本物は千葉県下総の神崎神社の楠木で、他のなんじゃもんじゃは全て偽物ということしか分からず。神崎神社のものは、かの水戸光圀公がこの地を訪れ、あれはなんじゃ?と問いかけたと文献として一番古い記述であろうということで、あとは真似て言い出したのだと推測されるので偽物としたのだろう。
 現代では、なんじゃもんじゃといえば「ヒトツバタゴ」で植木屋さんでも流通しているが、牧野博士は大正13年6月発行「科学知識」で、近年、青山六道の辻のヒトツバタゴを「なんじゃもんじゃ」と呼んでいるのは滑稽だと述べている。

六番目の偽物「イヌザクラ」を検定した?

 偽物の中でも六番目はかなり具体的な情景が描かれているので、この地を訪れて樹種を検定したのかと、事実を探ることにした。
 土佐の牧野植物園に問い合わせをしてその記録がないか調べていただいたところ「ほぼ、訪れていないでしょう」という返答であった。
「ただし、なんじゃもんじゃの真物偽物の記述については、『牧野植物随筆』の元原稿されるものがいくつかあるので、そちらをご覧ください」と、東大時代の「植物學雑誌」第1巻第10号(明治20年11月発行)、池長・成蹊學園・津村順天時代の「植物研究雑誌」第5巻第7号(昭和3年7月発行)などを紹介いただいた。

 読み進めると、近在の「なんじゃもんじゃの木」は「イヌザクラ」で、明治20年の記事ですでに大樹と記述されているが、その後、大正15年5月11日にこの木の写真と花枝を牧野博士に届けた人物がいたと昭和3年の雑誌に記述されていた。
 その人物は、当時、成蹊學園出版部の厚見純明君とあり、この地の宗悟寺の22世住職であった。成蹊學園創設者の中村春二とは日光での女学生への植物採集講義の際、意気投合し、途絶えていた雑誌の再発刊となる。厚見純明は中村春二が曹洞宗大学での教え子で、卒業後成蹊學園の舎監となっている。
 中村春二は交流後、1年ほどで病で急逝、雑誌はしばらくして津村順天堂に引き継がれるが、厚見はその後も牧野との交流があったということになる。

 牧野博士は、現地に訪れはしなかったが、厚見が届けた現物の花枝、写真を検定して「イヌザクラ」に間違いなしと結論づけていることが証明された。

箭弓稲荷神社の「なんじゃもんじゃの木」

 一方で、この地の「なんじゃもんじゃの木」は大正12年3月に碑をたてたことが分かっているが、いつ誰が言い出したかは不明のままだ。ただかすかに「二代目なんじゃもんじゃの木」と読める刻字があって、本物に最も近い「なんじゃもんじゃ」かと想像もできる。新たな情報を待とう。
 この木の持ち主の箭弓稲荷神社は、江戸時代、文化文政の旅ブームで、十編舎一九の「金の草鞋」、小林一茶の「草津記」に登場するほどに、大いに賑わいを見せた神社である。水戸黄門の「なんじゃもんじゃ」の話が、この地に派生してもおかしくはないだろう。明治29年10月に奉納された神社全景の銅版画には大木として「ナンジャモンジャの木」が描かれている。


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