かわっていくこと、かわらないこと
つい先日、中学で出会ってから付き合いを続けている友人とお互いの予定が合ったので、少し遅めのランチをした。出会った頃は、まさか近い将来ふたりが同じ大学に通うことになるとは夢にも思っていなかった。
彼女とは、ある意味最も不安定でぐちゃっとしている、中学生という青春時代を共に過ごしたので、もう今更何を言い合っても恥ずかしくないし、苦しくもない。私たちは中学生のときしょっちゅう喧嘩をして、互いにこれでもかと言葉のナイフを突きつけ合った。周囲の友人が入ってこられないほど激しい口論を学校でしたこともある。そのときは今以上にお互い不安定で幼かったので、傷付くことも傷つけることも別に構わなかったのだ。加えて、喧嘩ごときで終わってしまうような友人関係ではないことを互いに心のどこかで分かっていた。
いや、そう思いたかっただけかもしれない。
実際、彼女はとても自己中心的な少女だったし、私は非常に夢見がちな性格だった。喧嘩を通して私は彼女のその難のある性格を少し丸くさせたし、彼女は悲劇のヒロインを演じたがる私を現実世界へ引きずり出した。私たちはただのちっぽけな、これからなんにでもなれる中学生の少女だった。
彼女と喧嘩をすることはもうほぼない。お互いの一番脆いところや、根っこの部分を知ってしまっているので、落ち着いて会話ができるようになった。
私たちは別々の高校へ進学して、会うことはほぼなくなったけれど、連絡だけは定期的に取り合った。しばらく音沙汰がなく、そろそろ連絡がくる頃かな、と思っていたら案の定彼女から連絡が入る。恋の話が多かったけど、勉強のこと、将来のこと、なんでも話した。そして喋りたいだけ喋るとお互いの日常へ戻った。そして忘れた頃に再び連絡を取り合った。
高校の3年間はその繰り返しだった。
だから彼女は離れてからその大切さが分かった友人だ。幸運なことに進学した大学は同じで、しかしそのかわりキャンパスが違うので、ときどきこうして予定を合わせて会う。
彼女はまだどこか自己中心的だし、私もいまだに夢見がちだけど、それらは以前より尖っていない。傷つけあわなくとも、ただそれをお互いに愛せるようになったのだ。
彼女と会ってしばらく、そのようなことをぼんやりと思っていた。
すると数日後、彼女から再び連絡がきた。
「中学という不安定な時期にあなたに会えてよかった」とそこにはあった。
少し可笑しくて照れくさかった。考えていることはそうたいして変わらないのだ。同じ教室で過ごしたあの日々が、私と彼女の心のどこかを同じ色で染めている。
私の一部は確かに彼女に作ってもらったのだ。そして彼女の一部もきっと私が作った。他の部分がどうであろうと、それだけは変わりない。
そんなことを思っては忘れていく。そしてまた彼女に会ったとき、私は同じことを思い出すのだろうと思う。
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