秋風のゆくえ
大学3回生の秋。
これから先の人生、一体どうやってごはんを食べていくのか。秋の風をきって歩きながら、そんなことを少し真剣に考えてみなくてはならない時期に入ってしまった。
ここには初めて書くけど、実は私は中学生のころから国語の先生になることを目標に据えて勉強してきた。
ただ、その理由は「どうしても先生になりたいから」というものではなく、国語が好きで学校も嫌いじゃないので、もし先生になればずっとそこに携わっていられると思ったから。
それにこれから私が年を重ねても、学校で自分より若いひとびとと触れ合うことで、新たな刺激を受け続けることができると思ったからでもある。
だからそれをぼんやり目標にして大学に入った。
進学に当たって、教育学部に行くか文学系の学部に行くかという問題はあったけど、結果的には文学を2年半ほど学んできた。
ただここ最近、果たして私は先生になってもその職業を続けていくことができるのか、そんな不安な気持ちが生まれてしまったのも本当だ。
今まで21年間、私は何よりも家族を第一に優先させて生きてきた。
それは私が家族の一員として、そこを安定させることをもっとも強く望んだからだ。私の基盤はあくまで家庭であり、そこがしっかりしているからこそ外の世界で悩んだり、理不尽な日々と戦ったりすることができる。
だからおそらく私は仕事を持っても、ある程度は家族との時間を優先させたいと思うだろう。それが生まれ育った家庭であれ、私が新しく作る家庭であれ同じことだ。そうなると教員というのはあんまり向いていない気がする。
私は今までずっと、先生に恵まれてきた。たくさんの先生に助けてもらってここまで来られた。
だからこそ教師というのは本当に素晴らしい職業だと思う。
そう思うけれど、果たして私は自分の家庭を投げ打ってまで教師として生徒を導くことができるのだろうか、なんて考えてしまう。
なんなら教育学部を選ばなかった時点である程度答えは出ているのではないか、なんて思い、その話を妹にしたりもした。
そしてゆくゆくは考えなくてはならない問題が私にはもうひとつあるのだ。
それは私がお寺の娘であり、3姉妹の長女であるということについて。つまり、女の子ばかりの後継者の中で誰がどうやってお寺を守っていくのか、ということだ。
もし僧侶になりたいのなら、それなりのプロセスを踏む必要がある。
ふたりの妹任せにするのも、逆に長女の私がすべて責任を持つのも違うと思う。しかし私は私の生まれ育ったお寺が心底好きだし、そこを絶やしてしまったり、だれかに譲ったりしたくはないから、できることなら自分たちの一族でその場を守っていきたいから、それなりに何か考えなくてはならないのだ。
しかも今、お坊さんはお寺の業務だけでごはんを食べていくのがとても難しい時代になっている。本当はお寺のことに専念したくても、ごはんを食べていくにはそれだけじゃ苦しい。
だから私の知っている多くのお坊さんは、僧侶とはまた別の職をもっている。もちろん父もそうだ。おそらく私も(私たちも?)、お寺を継ぐとしたらそういうやり方をしなくてはならないだろう。
今あれこれ考えて悩んでいても、最後はきっとなんとかなる。私は幼いころからいつだって漠然とそう思っている。思っているというか、信じているのだ。だって今までもそうだったから。
でもこういう不安はことや、ちょっと心配なことは、胸に秘めているといっぱいいっぱいになってしまう。だからどこかへ吐き出す必要がある。文章にすることで、自分の頭の中を整頓することもできるから、文字があって本当によかった。
でも私の未来はきっときらきらなはず。それを信じてなんとか、ふんばったりがんばったりしてみたい。
誰にとっても決して約束されていない明日だけど、CCさくらのさくらちゃんの受け売り、「なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ」をモットーに、どんなことがあっても、まっすぐ、ひたむきになんとかして生きていこうと思う。