見出し画像

救われる者1

気怠い朝

午前六時。各種教科書と英語と古文の単語帳と三冊の小説を鞄に詰め込んでさっと家を出た。よく晴れた五月の日差しは心地の良い眩しさだった。今日くらいはいい日になるといいな。

登校には少し早すぎるがこのくらいの早朝の時間帯が人通りがそれ程多くないので好きだった。道中で学校の生徒達とも顔を合わせずに済むしな。途中、公園に立ち寄って野良猫に飲みかけのミルクをやったりしながら何となく時間を潰して今日も学校に行こうかどうしようか迷っていた。昨日は母親に連れられてカウンセラーの所へ行った。妙齢の女性カウンセラーとの面談はお気に入りのボカロとか今期のお勧めのアニメの話をしているとあっという間に一時間経ってしまったのだが、個人的には悪くない感触だと思っていた。母さんは家に帰ってからすっかり参ってしまっていたからもう行く事はないかもしれないけど。さっさと家を出て奔放に一人暮らしでもしてみたいと思う。あの息詰まる家にいるのもそろ限界だ。学校の生徒達は皆楽しそうに青春を謳歌しているというのになぜ僕だけ毎日こんな鬱々としているんだろうか?前世で何か悪いことでもしたのかもしれないな。

学園

学校に着くと既に七時近かった。と言っても登校してきているのは予習をしている2,3人くらいだ。僕は大人しく隅っこの自分の席でこの間古本屋で買ったバルザックの人間喜劇を読んでいた。さっさと授業が始まって欲しい。授業中は話を聞いているだけで済むからまだ楽なのだが、休み時間は教室に居場所がないから困る。皆が談笑している中僕だけ一人ぼっちだ。学校なんてこの世からなくなればいいと毎日祈っていた。

次第に生徒達が登校してきた。皆挨拶を交わしそれぞれの話題に花を咲かせている。うるさくなってきたので本に集中できなくなってきた。まだ一時間目の授業までには時間がある。仕方ない、中庭でも行くか。

私立の学校だからそれなりに設備は充実している。偏差値も結構高いので皆揃って行儀が良い。授業をサボる生徒なんてまあ僕くらいのものだ。教師達からは割と問題児扱いされている。最初は友達がいないからと色々と心配されていたのだが最近は完全に放置気味だ。さっさと卒業してしまいたい。そんな風にいつものどうしようもない思考に鬱々として中庭でぼんやりしていると養護の先生が車を降りてきて何かを運んでいた。目が合った。
「おお、少年。ちょっと手伝ってくれ」
重そうな荷物を運んでいる。仕方ない、僕はため息をついて近づいた。
「なんですか、このダンボール」
「冷蔵庫だよ。故障したから新調したんだ」
「へえ」
まあ、女性にはちょっと重いか。手伝ってやろう。
「よっと」
僕は何とか一人で抱えて、保健室まで運んだ。
「さすが、頼りになるね、男の子!」
「はいはい」
鍵を開けて、保健室へ荷物を降ろす。丁度良い、今日はここでのんびり過ごすか。
「冷蔵庫はあるといいよな。そろそろ暑くなるし。少年もお世話になるぞ、きっと」
「そうですね」
自慢じゃ無いが保健室の先生とは小学校以来ずっと友達だ。先生は箱を開けて冷蔵庫を取り出すと、コンセントを差して起動させた。
「うん、問題ない。ちゃんと冷えてるな」
「先生、ちょっと具合悪いので一時間目ベッドで寝てていいですか?」
「ん?さっきまで重い荷物を平気で運んでいたように見えたのだが」
「どうやら風邪をひいたらしくて」
「ふむ。では熱を計ってみたまえ。38度以上あったら、病欠を認めてやろう」
そんな高熱あったら学校なんて来てない。
「まあ、それは嘘ですけど、どうも教室にいるとしんどくなっちゃんですよね。人に酔ってしまうというか」
「まあ、君の場合は今に始まったことではないが、そもそも君は私とならこうして普通に話せるのにどうして教室では駄目なのかね?」
「さあ?割と昔からこうだったんで」
「何かきっかけが必要なんじゃないかね?部活でもやってみるとか。君は本をよく読んでいるのだから文芸部に入ってみてはどうだ?」
「今更ですよ」
「ふむ。そうか」
先生はお茶を煎れてバリバリと煎餅を食べていた。仕事中なのにいいんだろうか?
「億劫ですが、そろそろ戻ります」
「頑張ってな」
不真面目だけど良い先生なんだよな。僕は保健室を後にして重い足どりで自分の教室へと戻った。

授業中適当に聞き流しながら、バレないように手元で今度は太宰の小説を読んでいた。高校の授業なんて至極詰まらないから仕方がない。この間本屋で全集が売っていたから読んだことのないやつを全部まとめて買ったのだ。しばらくは楽しめそうだ。

お昼休み。いつも通り僕には一緒に食べる相手なんていないのでコンビニで買った弁当を持って屋上にでも行こうとした。出来るだけ教室には居たくない。新クラスになって一ヶ月程経つが僕が一人で行動することに既にクラスメイト達は慣れてしまっていた。

屋上は日差しが直接照りつけてもう少しすると暑くて利用できなくなりそうだった。中央に樹が植えてあって少しのどかな感じがする。誰もいないのは助かったけど、普段はカップルが逢い引きしたりしている場所だ。僕は目を閉じて、束の間の静寂を楽しんでいた。学校で一人きりになると何だか不思議な気分だ。周囲の監視による束縛から解放されたような。ここで眠ってしまおうかと一瞬思ってしまった。
まあいい。さて食事でも摂るか。黙々と焼き魚の弁当を食べる。食べながらぼんやりと昨日の事を思い出していた。あれから母とは一言も口をきかなかった。母さん、疲れてたなと少し心配になった。

何となく午後の授業はすっぽかすことにした。こういうことは時々やる。鍵を開けて図書室に忍び込んだ。社交性のない根暗人間ならせめて知識だけは人並み以上に詰め込んでやろうと最近そんなことを考えていた。小さい頃から本の虫だったので、読書は苦にならない。
誰もいない図書室を満喫しつつ今日の所は釈迦について勉強することにした。適当に仏教のコーナーから数冊取り出す。釈迦は仏教の生みの親だ。彼は元々王子だった身分を捨てて真理を求めて修行の道を選んだ。王子としての責務も家族も全部捨てて求めたものがあったんだ。仏教には色んな宗派があるけど結局はどれも釈迦崇拝に始まって釈迦崇拝に終わるってどこかで読んだな。釈迦は最初は当時の流行に乗っかって何年も断食の苦行を続けたけど結局苦行は無意味だと知り最終的には瞑想によって悟りを開いた。自分を苦しめることが修行ではないということなんだろう。じゃあ、僕の学校生活もただの苦行ではないと言えるんだろうか?僕はどうすべきんだろう?このままでいいんだろうか?試しにお腹に手を当てて目を瞑り深呼吸してみた。複式呼吸法による瞑想。だけど3分ほどで飽きた。向いてないのかもしれない。まあ瞑想には色んな種類があるって言うから焦ることはないか。時計を見ると結構時間が経っていた。さてどうするかな。今はまだ授業中だろう。まあいいや。僕はそれからもひたすら読書に時間を費やしていた。

二人の友達

放課後になった。教師に見つからないように、教室に鞄を取りに行く。クラスメイト達も残ってたけど誰も僕の事なんて気にしてやしない。まあどうでもいい。さっさと帰ろう。

トコトコと帰り道を歩きながらスマホでKindleを読んでいるとLINEがきた。蒼と百花からそれぞれメッセージが届いていた。
「月曜日怠いよねー。陽太は今日もぼっち登校?」
「やっと学校終わった。でもそろそろ中間テストだから塾行かなきゃいけないんだよな。陽太は今日の放課後はどうするんだ?」
僕は軽やかな気分になりメッセージを返す。
「今日も誰とも喋らなかったよ。養護の先生と少し話しただけ。今は授業終わって帰ってるところ」
そしてスマホをポケットに仕舞った。すぐに返ってくる。時には授業中にも来ることがある。二人ともリアルに馴染めなくてネット依存症みたいな感じだからな。

二人とは、中学の頃にとあるチャットルームで出会った。当時僕は深夜までネットばっかりやっていて気まぐれで入ったそのチャットルームで、「中学生集まれ」という部屋を見つけて遅くまで入り浸っていた。そこでオーナーだった百花と受験勉強中だった蒼と知り合った。他にもメンバーは何人かいたんだけど僕らは文学と音楽という共通の趣味で気が合ったので三人でダラダラとよく夜遅くまで喋っていた。百花は東京に住む名門の中高一貫校に通う才女で、何でもよく知っている娘だった。文学では紫式部を尊敬していた。蒼は音楽が好きで作曲もやっている多才な少年で芥川の小説を好んで読んでいた。3人とも現実に折り合いがつけられず学校にも家にも居場所がなかった。百花は義理の母親と折り合いが悪くよく喧嘩ばっかりして、よく泣き言を呟いていた。蒼の所は両親とも弁護士で仕事が忙しいらしくて完全に放置らしかった。家を飛び出して公園でギターを弾いている所を補導されたこともあると言っていた。僕らの住んでいる所は残念ながら遠く離れていたので同じ高校に通う事は出来なかったのだが、将来は三人で宝くじでも当てて無人島に住もうとか冗談混じりに語っていた夜もあった。まあ、碌な事が無い人生だけど、この二人と出会えた事は神に感謝していなくもない。

小説を読んで将来に投資したいと思っていただけたら、是非サポートをお願いしたいです。小説や詩を書くことで世界に還元して行けたらと思います。