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❖読書:謎の大王 継体天皇

応神天皇5世の来孫、第26代天皇の人だ。
古事記、日本書紀に書かれていることなので何が何だかわからないこともあるが、この人に関しては本当に謎が多い。
暴君として名高い第25代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御してしまったために、越前福井から呼ばれることになる。何か途切れ感があるが大丈夫か?
記録ではこの天皇、20年近く大和の地に入っていない。大阪の樟葉にいた。
大和の豪族が拒否したのか、大和の豪族と戦っていたのか、それとも新しい場所に王権を作ろうとしたのか、わからない。かなりの武闘派だった。

それにしても、どうして地方から天皇を選んだのか。どうも解せない。
一度、福井市内にある足羽山公園に行ったことがある。
そこには継体天皇の像がある。
当然、像は大和の方向、少なくとも樟葉の方向を見ていると勝手に思っていたが、何故か西?北西?の方向を見ている。大陸?朝鮮?の方向だ。
もっと驚いたのが、手には弓のような武器を持っている。
天皇が武器を持っている。正直、驚いた。

私は歴史家ではないので完全な推測でモノ言っているが、もしかして彼は大陸?朝鮮?からやってきた豪族なのではないか。
大陸から日本に船で渡ろうとすると、九州・山陰・能登半島に漂着することが多いと聞く。ま~実際に渡来人が日本にやってきていた史実と照らし合わせると誰が来てもおかしくない。
越前福井から呼ばれたのではなく、大陸から日本に渡ってきて大和王権に対して戦争を仕掛けていたのではないか。

別に天皇制のタブーに挑戦するつもりは全くないが、どう考えても一回途切れていることは確かなようだ。
継体天皇の墓は大阪府高槻市の今城塚古墳にある。前方後円墳だ。
正確には継体天皇の墓である説が有力とされている。
宮内庁は認めておらず、ちょっと離れた場所の古墳が正としている。
ここには何度も行ったことがあるが、人様のお墓で子供たちが楽しそうに遊んでいる姿は微笑ましいものか、よくわからなくなる。
織田信長もこの場所を訪れたらしい。

今更何を言っても推論でしかないのだが、今後何かしら新しい史料が発見され何かが確実になったとしても多分公表されないのだろう。
難しいことはよくわからないが、ややこしくなるからな。

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