死も結婚もゴールじゃない。

今の私にとって「死」とは。
個々の人間の通過儀礼であって、自分の死も滞りなく過ぎてほしい行事のひとつ、な感じなのかも。

自分で「滞りなく」は難しいけど、戒名を生前にいただき位牌に刻んでおいたり、墓じまいしてご先祖さまも父も今まだ生きてる母と私も一緒に菩提寺の永代供養墓に入る手続きしたり、もちろんそれ以外の終活もして、ってできる限りの準備しとくからさ~、悪いけどヨロシク頼むわ~みたいな(^o^;

一般的には。
死って最終目的地、ゴールっぽいイメージ。
かな?(^o^;

でも。
結婚がゴールじゃないように、死もゴールじゃないと思うんだよね。
個人個人の通過儀礼に過ぎない、と。

結婚は、最終目的地じゃないよね。
それはもう多くの人が知ってるし、実際結婚を経験した人もそう思ってるはず(^.^;
結婚までバタバタ慌ただしくても、その瞬間を夢に見て生きてきたとしても、その先に実際は日常が待っている。バラ色じゃないことも待っている。

きっと。
今生の死の先にも、日常が待っている。
小学校卒業したら中学校入学があるように、死のあとに続く日常があると思う~。
バラ色の天国の日々なのか、痛くて苦しい地獄の日々なのかはわからないけど…。

誰かが結婚したって、関係ない人には関係ないように、あなたの死も、他人には関係ないこと。
自分の死が、他人には無関係なこと自覚して淡々と死んでいけばいいのに、まぁ、爪あと残そうと頑張るヒトの多いこと!(ーー;)

いつかまた自分が肉体を持って生まれたときに、平和な未来であってほしい♪幸せな人生送れるように♪って、そのために今やれること精いっぱい頑張って生きれば、結局、自分のためにもなるし、地球の未来のためにもなる。
それでいいじゃん。

…人間じゃなくても。
猫でも、野鳥でも、メダカでも、ウクライナに咲く一輪の花であっても。
生まれ変わった先で幸せな一生を過ごせたら、と願う。

地球の永遠なる平和のために、生きる。
自分の名を人類史に刻むことにこだわるなんて、ちっちゃいちっちゃい。
長い目でみたらホモ・サピエンス史はあとどのくらいで終わるやら(^o^;
もっと壮大な視点と視野で生きなくちゃ♪

やることは、1円にもならなくて、ちっちゃく見えても。
プラゴミひとつ拾うだけでも、実は地球にとってすごーくありがたいことかもしれない。
モノを減らすのももちろんだけど、プラでなく紙や布、木でできた素材のアイテムをなるべく選んで使うことも心がけたい。

存在が消えるように、残すもの少なく死ねたらカッコイイけど(墓石に名を刻まない手続きはした)、さすがに現代の日本ではそうはいかないねぇ(^o^;
できる範囲でできることを。

生きてるあいだシェアできるものはシェアができるようなしくみ、ほしい。

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整苑
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