慣用商標「カステラ」に「オランダ船の図形」の元ネタとなった事件について
とある長崎県を舞台にした商標法事件について、長崎旅行を画策していたところ、長崎名物といえばカステラなのを思い出しました。カステラといえば、慣用商標(商標法3条1項2号)の商品「カステラ」について商標「オランダ船の図形」なのは、商標審査基準でもお馴染みでしょう。
商標審査基準に載っているということは、元ネタとなった事件があるはずです。いったいそれは、どんな「オランダ船の図形」なのか、そしてそのカステラ屋は今も残っているのか、調べてみました。
1.元ネタとなった登録商標について
(1)登録259485号「オランダ船の図形」(旧々43類 カステーラ)
登録259485号(商願昭9-6300、商標公告昭9-6199)
指定商品:旧々第43類「カステーラ」
出願日:1934年4月3日
登録日:1934年11月28日
権利者:沼座勉次(広島市山口町)
(2)登録259485号を慣用商標であるとした大審院判例
登録259485号に対して、請求人は不明ですが、無効審判(昭和10年審判299号)が請求され、その後、無効抗告審判(昭和11年抗告審判677号)を経て、本件商標は慣用商標(旧商標法2条1項6号)であるとして登録無効と判断されました。そして、大審院(現・最高裁判所)に上告されましたが、棄却されました(大審院 昭和13年(オ)1593号)。
2.沼座勉次さんの「富屋カステラー」
カステラは長崎が発祥の地で、長崎といえばオランダ貿易の出先「出島」があったことから、登録259485号「オランダ船の図形」も、てっきり長崎県の事件だと思っていたら、縁もゆかりも全くない広島県の商標でした。
商標権者の沼座勉次さんは、広島市山口町で1926年「富屋カステラー」を創業し、そのカステラは全国菓子品評会でも褒章を受けるほど好評だったようです(出典:「躍進日本」60頁(著者・長里清、帝国聯合通信社、1940年))。
ただし、沼座勉次さんは、国会図書館デジタルコレクションによれば、先ほどの「躍進日本」以外には、1935年の「広島県商工人名録」146頁、同年11月28日の「官報2672号」に記録されるのみで、「富屋カステラー」の記載も「躍進日本」以外に見つけることができませんでした。
また、「富屋カステラー」があったとされる広島市山口町は、現在の広島市中区の胡町・銀山町・幟町にあたるようですが、グーグルマップで検索しても、それらしき菓子屋はヒットしませんでした。これら地域は、原爆の爆心地から約1.4kmのところにあることから、大変胸が痛みますが、「富屋カステラー」も戦禍の影響を受け、歴史の中に埋もれてしまったのかもしれません。