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第466回【筋トレ日誌 その他日々是】457(2022/8/15)▲▲親と過ごせる時間は意外と限られているのでは、と感じた話▲▲

今年は、
お盆休みで実家に帰省された方も多いだろう。


何と言っても昨年、昨昨年のような
行動制限がないのだから、
みんな胸を張ってじいじやばあばの元に
帰れたはずだ。
それは大変に結構な事だと思うし、
画面越しにしか家族に会えない辛い環境は
これで終わりになれば良いと思う。


かくいう私は、
お陰様でコロナが世間を賑わした年から
都会からの帰省をする必要がなくなった。


私は飛行機を利用して帰省していたので、
乗車率200%!というニュースの文句のような
大混雑の帰省とは無関係ではあったものの、
いざ帰省をしないで良い環境に慣れると
これは楽なもんだ、と思わずにはいられない。


そして必然と近くにいる親との接点は
以前に比べて増えることとなった。


日常的に近くいると
当たり前の光景になってしまうが、
このお盆休みに我が母が体調を崩し
毎日病院に付き添ったりしている過程で、
『当たり前も当たり前ではない』日が来ることを
朧げながらに実感したのである。


体調を崩したといっても
風邪や肺炎を患ったという類いのではなく、
疼痛とでも言えば良いのか
体に痛みが走り自由に動かせない状態が
続いていたのである。


車を運転して病院に行かせることもままならないし、
どうせ私も休みなので車を走らせ
病院まで付き添ったのだが、
バックミラーに映る母親(後部座席に座る習慣がある)を
見た時に、
弱々しくも見え老いを感じてしまったのだ。


こういうのは日常同じ時間を過ごすことが多いと、
なかなか気づきにくいことなのかもしれない。


よく久しぶりに帰省したら親の挙動に変化があり
認知症の初期だった、
なんて話を聞くことがあるが、
まだまだ若い、元気だと思っていても
当然だが私も親も歳を確実に取るのである。


いつどんな変化が訪れるかは、
私にも正直わからない。
特に我が家は、
親より上の世代は若くして亡くなっているので
正に未知の世界へ進んでいく事になる。


そう考えると、
今ある当たり前の時間を如何に大切にできるか。
親と過ごせる時間なんて、
多いと思ってもたかが知れている位に少ないものである。
特に、
親世帯と遠く離れていればなおさらである。


もうお盆休みは終わってしまったが、
親との過ごし方、付き合い方のようなものを
改めて考えさせられた休みであった。

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