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第309回 【筋トレ日誌 その他日々是】300(2022/2/27)▲▲今日は雑文です▲▲

週末たまたまBSに出ていた華原朋美を見て、
『この人随分とふくよかになったね』
と母親が突然言った。
『そうだねー、色々あったしね』
と返したものの
そういえば母親とテレビを見て感想を言う、
そんなことがいつ以来なのかと考える。


そもそもテレビをあまり見ない生活をしているし、
母親と同じ時間をテレビを見て過ごす
なんてことすら殆どないから。


子供の頃の私は
母親と過ごす時間が圧倒的に多かったから、
なおそう思ったのかもしれない。
逆に毎日日付が変わらないと
帰って来なかった父親とは、
一緒の時間を共有した記憶があまりないのだが。


こういうことを考え出すとキリがないが、
そもそも親と共有できる時間って
あとどの位あるものだろうか?
とふと思ったりして。


今は幸いに近いところにいるから
会おうと思えばいつでも会えるのだけれども、
何が起きるかは分からない。
突然病気になっちゃうかもしれないし、
自分が事故に巻き込まれることもゼロではないし、
起こってもらっては本当に困るけど
今のウクライナのような状況になってしまうかもしれない。


たまたま読んだ詩人の山﨑修平さんのエッセイ
『長寿梨』の中で、こんな回想が語られている。
昨日病院の見舞いで面会した親戚が、
次の日の朝に突然亡くなったとの知らせを受ける。


子供の感覚ではとても切ないこと
(山﨑氏の子供の頃の回想なので)
だけれども、
そういうこともあるよな、という気もするし。
どちらの感覚でいることが大切なのか、
うーん、最近今ひとつ分からないなー、
ということが多い。


人生で最も大事なものは
金よりも時間だ、ということが
肌身に染みて分かってくると、
今のこの時間って本当に意味あるのか?
とか、
この時間を別のところに振り向けたら
もっと幸せになるのではないか?
など、色々な思いが押し寄せてきた。


じゃ、
雇われの身から解放されて
自身の判断で全てを生きられる人生を!
と考えても、
突然明日からそんな時間が作れるわけでもないし。


世のみんなは、
そんな葛藤を持ちながら毎日
駅の改札でスイカをかざしているのかな。


ここまで書いていたら急に、
知覧の特攻平和会館に
再び行ってみたくなった。


かの特攻隊員たちは、
どんな気持ちであの手紙を書いていたのか。
おそらく、
子供や親、知人たちと
もっと大切な時間を過ごしたかったであろうに。

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