新卒1年目の決断。会社を辞めて自分の船の舵を切ることに決めた話。
新卒1年目、2020年入社の私が、先日退職したのでとりあえず今の気持ちを書き残しておこうと思います。
誰に対してでもない、自分の備忘録です。
まず、この決断に至った理由…、社会のしがらみと”社会人たるものこうあるべき”みたいな謎の圧力に耐えられなかったから…
かっこよく言えば、「違和感」を感じる自分の感覚を守りたかったから。
半人前の社会人が何を生意気な事言っているんだ、と思われるのは百も承知だけど、社会に出てからずっと違和感を感じていることがありました。
「あと一日がんばれば三連休だから頑張ろう」
「もう今週もあと一日だから頑張ろう!」
「この仕事やりたくないな〜」
「この集まり意味ないから参加したくないな〜」
自分が社会人になって同じ立場の人間として社会人と出会ってみると、日々不満で溢れた”休みのために頑張る”大人の多さに絶望しました。
私は、学生時代から”こんな仕事はしたくない”と決めていたことがあります。
「週末が待ち遠しくなるような仕事」
つまり、仕事のある日はひたすら我慢。
「もうすぐ週末はだから頑張る。」の裏側は、平日はひたすら忍耐ゲーム。そのように仕事をしていると、一週間は単なるルーティーン。
憂鬱な月曜日。まだまだ週末まで程遠い火曜日。やっと折り返し、またはまだ半分の水曜日。残り2日の木曜日。ほぼ週末の金曜日。やっと週末の土曜日。明日仕事嫌だな〜な日曜日。
こんな毎日で一体いつがハッピなんでしょう?
文句があるのに改善するために動こうとはせず、朝毎日決められた時間に無駄に混んでいる電車に乗り会社に行き、1日の総体力を失った状態で、デスクに着き、そこから8時間の労働を開始。退勤の時間には他の"社会人"たちも帰宅するので、また電車は激混み。家に帰ったらもう時間も体力も残ってなくて、だらだら携帯いじってお風呂はいって寝て、また朝起きたら同じ毎日が始まる。
社会人になって半年くらい経った頃、当時の自分がそんな状況にいることに気づいたんです。
大人になって、親の元を離れて自分に選択権があって、自分で決めた場所にいるはずなのに、私は何の決定権が何もない。起きる時間も休む日も働く時間も働く場所も全部会社の言いなり。
早く週末にならないかな〜と考えるたびに、なんでこんなにつまらない大人になっちゃったんだろう…と思って辛かったし、この社会の多くの大人がなぜ同じ状況で我慢ができるのか疑問に思うことすら辛かったです。
考えれば考えるほど辛い。
つまり、考えなければ楽なんです。
世の中にはそもそも意味なんてなくて、朝9時に出勤する意味も、休暇を他人に決められる意味も、謎の会議たちも、全部意味なんてない。
「社会人だからしょうがない」
そう思って、考えることをやめたほうが楽。
いわゆる"社会人"の最高のスキルは「思考停止」ではないのかと思いました。
社会人一年目なんて何もできないんだし、余計なこと考えないで目の前のことをやればいいと、色々な人がいっているのを聞きました。
そう考えて、今できることに夢中になることが正しいのではないかと、退職に至るまでに本当に何度も何度も考えました。
「社会人なんだからしょうがない、目の前のことをやる」
「社会人なんだからしょうがない、今できることをやる」
でも、「社会人なんだからしょうがない」という言葉で”違和感”を拭おうとすればするほど、自分の違和感と自分への不信感は高まった気がします。
私の中で、”違和感”に目をつぶって目の前のことをやると言うことは、いわば思考停止行為。
個人的に、目の前のことに夢中になると言うことは、”違和感”を無視することとは違うと思っているんです。
自分で納得を持って夢中になりたいものに夢中になるときに、人間のポテンシャルは最大限まで拡張されるんじゃないかなって。
だからこそ私は、”違和感”のない環境で、自分が正しいと思えることを、自分の選択の元できる環境に身を置こうときめました。
自分の人生の舵を自分で切れる環境に身を置くために、手放さなければならないものもたくさんありました。リスクがゼロだったかと言われればそんなことないし、不安で押しつぶされそうだったこともあったし、体がおかしくなるほどストレスも感じていたのも事実、何なら今だって不安です。
でも、他人に自分の人生をコントロールされることよりはマシだと思うんですよね。
この一年で学んだのは、会社に勤めるということは、自分の人生をその会社に預けると言うこと。いわゆる”安定”と給料の対価に、自分の時間を会社に受け渡す。
私にとってはお金より地位より、時間が大切だったからこの決断になったのだと思います。
幸せは人それぞれ。みんなそれぞれ”違和感”を感じるポイントも違う。
私の幸せは、行きたい時に、行きたいところへ行って、会いたい人に会う。
たったそれだけ。でも、たったそれだけが叶わないのが、私がいた社会だったと思います。そしてそれが私の”違和感”でした。
他にも社会はたくさんある。そして私はそんな社会で働いている大人もたくさん知っていました。
船の運転の仕方はわからないけど、舵を自分で切ると決めた、愚かか無謀か絶望かわからないけど半人前の大人のストーリーって感じ。
まあ死ななければ大丈夫。死ぬこと以外はかすり傷とかいうし。
爆発する限界まで我慢して、かすり傷じゃ済まなくなるような人がいない社会になればいいなと思います。
今の私ははたから見れば逃げてるように見えるのかもしれないけど、数年後、これを挑戦だったと言えるような毎日を積み重ねたいと思う。辛かったら逃げることも正解だと今は思ってるけど、ちゃんとそれを証明しないとね。
誰かの希望になりたいなんておこがましいことは言わないけど、私は同じ”違和感”を感じてる人が他にもいるって知ったとき安心感を感じたことがあったので、noteにしました。
私のnoteの目的はだいたいそんなものです。
今日もありがとうございました。