『えんとつ町のプペル』感想を書くよ。
12/25に公開の映画 えんとつ町のプペル。
試写会の後の、前田裕二さんのインタビューで、「観客それぞれが自分のストーリーと照らし合わせられるような作品だと思う。」とおっしゃっていて、色んな人のストーリーや、映画の受け取り方が気になりました。
家族で話していたら、それぞれ全然違っていてすごく面白かったので、とりあえず私の感想を置いておきます。
私は、自分が人生で一番辛かった高校時代と重ね合わせました。
私は、西野さんやルビッチ、プペルのような大きなことを成し遂げたわけではありませんが、理不尽なルールや、空気を読まなければいけない雰囲気、”協調性”という言葉で個性を押しつぶすような教育に納得ができなかった高校時代を思い出しました。
先生たちが決めた理不尽なルールや、先生が教科書を音読し続けるだけの授業。
これが自分の人生の役に立つのか、髪の色やスカートの丈やリボンの色、そんなものを取り締まってなんの意味があるのか。先輩たちはOKなのに、私の学年では禁止。理由を聞いても「学年の決まりだから」の一点張り。
最初は一緒に抗議していた同級生も、「従わなければ指定校の推薦をしない」と先生に言われて、あっさり言われたことを聞き始めます。
「ただ、納得のいく理由が知りたい」それだけなのに、説明もしてもらえず、いつまでも異議を唱える私は問題児扱い。
今振り返れば、本当にちっぽけな出来事ですが、高校生の私にとって高校という場所は自分が属す社会でした。高校生の頃の私は、高校の外の、日本の外の景色を知りません。
えんとつ町の中で煙の外の世界を知らない人たちと重なりました。
くだらないルールで取り締まってなんの意味があるのか。ルールが存在する意味すら説明することのできない大人の言うことを聞いて、自分がなりたい大人になれるはずがない。誰も認めてくれなくて、辛くて塞ぎ込んで、学校に行かなくなりました。
当時の私は、自分が何になりたいかはよくわかっていなかったと思います。でも、もっと他の世界を見てみたくて、私はアメリカの大学への進学を決めました。
見たことない雲の先の世界に思いを馳せるルビッチに、日本だけが世界じゃないはずと信じたかった高校時代の自分を重ねました。
そして、先生や同級生からは変わり者扱いされ、父親には将来を考えて日本の大学へ進学しろと留学を反対されました。
でもそんな時も、絶対私の決断を応援してくれた母と祖母の存在が、星を見に行くと言ったとき周りに陰口を言われるルビッチの背中を押すルビッチのお母さんの姿に重なりました。
世界で1人でも自分に味方がいると思えたら、踏ん張れることってありますよね。
日本の外の世界を知ってからは、例え、日本社会で違和感や疑問を感じても、自分がいる環境を変えればいいだけなので息苦しさは感じなくなりました。
星を見に行きさえすれば、見える世界はガラッと変わるのに、星を見に行く方法がわからなくて、星を見に行く勇気がなくて、違和感と一緒に塞ぎ込んでしまう、高校時代の私のような状態はとってももったいない。
私もいつか、自分が見た星がどれだけ綺麗だったのか周りの人に伝えられるブルーノのような人になりたい!って思っていたのを思い出しました。
さいごに。
私がえんとつ町のプペルを見て、西野さんが本当にすごいなと思ったのが、「星を見に行くのではなく、みんなに星を見せる」ことができるところです。
“If you wanna go fast, go alone. If you wanna go far, go together.”
星が見たい自分の覚悟を決めて、星を見に行くことよりも、星なんてないって諦めてしまっている人たちに星を見せてあげることの方が何倍も何倍も大変だと思います。
でもそれをやるから、西野亮廣なんだなーと。
本当に素晴らしい作品でした。
映画を見た人がそれぞれどんな感想を持ったのか、色んな人と話したくなる作品です。
これからも、素敵なエンターテイメントを応援します。