何者でもない半人前社会人の話に価値があるとしたら…?
新卒一年未満で会社を辞めた今日この頃です。
何で会社を辞めたかは前の記事で書いたのですが、今日は「これからのこと」を書いていこうかなと思います。
最近は、NPOのファンドレイジングとかWEBマーケとか、ライティングとか色々やって好きなように生きてます。
会社を辞める時に一番悩んだのは、「自分が一番満足できる自分になるには何が必要か」です。
”幸せ”の形って人それぞれだと思います。お金なのか、家族なのか、仕事なのか、時間なのか、他者からの評価か、やりがいなのか。
私にとっては、「自分で自分の人生の決定権を握ること」だったと思います。
私は、小さい頃から、人に言われてやることがめっぽう苦手です。みんなと同じは大嫌いで、もともと自分がやりたかったことも周りがやりたいと言い出すと興ざめします。
学校の行事とか、本当は大好きなのに、みんなと一緒に盛り上がるのが何となくしらけて参加していなかった高校時代とかありました…。自分主体で動くのはいいけど、言われたことやるくらいなら参加しなくていいやって言う、ひねくれ者です。
そんな私ですが、社会人になって、何もできない自分には、会社に勤めて研修を受けて一から仕事を教えてもらうくらいの選択肢しか思い浮かびませんでした。
社会人最初の数年間はみんな我慢するんだ”社会人なんだからしょうがない”。
どこかに行きたくても休みが取れないのは”社会人だからしょうがない”。
自分のペースで仕事したいけど定時通りに働かなきゃいけないのは”社会人だからしょうがない”。
そうやって自分に言い聞かせて、思考停止して、とりあえず普通の企業に就職しました。
でも、当たり前のことですが、数年間、ただ”社会人”という肩書きの元生きていても大したスキルは身につかないと思います。別に会社って魔法じゃないので、「とりあえず今は目の前のことやれ!!今を生きろ!!」って、会社に言われた通りに働いて、会社がなってほしい人材にはなれても、私がなりたい私には到底なれません。やることを決めてるの会社なので、あたりまえなんですけどね。
なりたい自分を叶えたかったら、自分で実現するしか手段はないと思います。成功している人を見ると、何かのきっかけで…とか、誰との出会いが転機で…とか、よくありますけど、実際はみんなそれぞれの人生に忙しいので、そんな外的要因に期待しても一生何も起きないのではないでしょうか。
誰かとの出会いが転機になっているのだとしたら、もうすでに圧倒的行動を起こしていた人に迷路のヒントをくれたのが、その人の恩師だったりするのではないかと思います。
もう迷路の中にいれば、そのヒントは役に立ちますが、迷路を初めてさえいなければ、ヒントなんか何の役にも立たないただのゴミです。
自分以外は誰も解決してくれないならどうするのか。
私の場合は、待っていてもしょうがないと思うので、無理矢理にでも、他のものは諦めてでも、自分が一番欲しいものは自分の手で取りに行こうと思いました。
そういうわけで、結果はどうなるかはわからないけど、「自分で自分の人生の決定権を握ること」を叶えるために、「完全成果主義」の世界に飛び込みました。
今は色々やっていますけど、固定給なんて概念はありません。給料も、やりがいも、学びも全部自分次第。やるも、辞めるも、休憩するも一番パフォーマンスの高い状態を自分のために維持できるように自分で決定権を握ります。
今の私は、何者でもない、来月生活できるかもわからないレベルの人間です。
でも、”我慢が美徳”の日本社会で、我慢することをやめて、自分の好きなように生きはじめた私が、何とか生きていけて、もし会社にいるよりも幸せになれたとしたら、この”何者でもない”私の話で少しだけ勇気が沸く人がいるんじゃないかなって、こっそりここに置いておきます。