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エクストリーム帰寮記~秘境から生還せよ~





掴めぬ手がかり


尽きぬ深山


何もない幽谷



距離で侮ることなかれ。

私が落とされたのは、エクストリーム帰寮最の秘境であった。

※この記事はエクストリーム帰寮アドベントカレンダー2023の11日目の記事です。


「エクストリーム帰寮、出たくね?」
コロポ編集部でそんな話が出だしたのは先月のことだっただろうか。「限界旅行サークル」を自称する我々にぴったりの企画であった。一年目だしとひよって控え目に57kmに決定。これは「参加者最長は目指さないまでも、せめてコロポックルの一回生では最長でありたい」という考えもあった。ドライバーは18きっぷ鬼ごっこでおなじみの猛者・さくらもちさんがやってくださることになった。気分はさながら「vsさくら」である。

しかし片道57kmといっても、その範囲は意外と広い。この地図は大学から直線距離45kmを表したものだが、北に行けば分水嶺近く、南東に行けば伊賀にまで着く。とりあえず南西に落としてはくれないことくらいは想像がつくが、界隈の秘境が全て選択肢に入るというのもなかなかである。
兵庫の山の中だろうか。はたまた伊賀だろうか。あるいは滋賀だろうか。いずれにせよ、きっと府内には落としてくれまい。
―結果から言えば、私が落とされたのはそんな想像も生ぬるいようなところだったといえる。


12月9日、午前1時。熊野寮から、一台の車が走り出す。大荒れ必至の逃避行が、今始まる。

メンバー(括弧内はツイッター)
筆者:あす会長(ももいはるたか(あす会長)@seibu_user)
占冠(政治を語るワニです@Uempets)
Mt.Rice(Mt.Rice@MtRice_ro)
うらん(うらん@Uranium2380)
ドライバー:さくらもちさん(さくらもち@396mc)


一時間半ほど走っただろうか。

暗い。ひたすらに暗い。星がきれいだ。
家が一軒、あとは何もない。落とされたのは、そんな三叉路だった。
北斗七星はどれだ、オリオン座はどれだと、また懐かしい話で盛り上がる。まさか中学受験の「北極星の見つけ方」がこんなところで役立つとは思わなかった。

さて、我々が進む道は三つある。
北か、東か、南か。
東と西は車道。電柱が点々と伸びている。
対して北は歩道。一応コンクリ舗装はなされているものの、車進入禁止の看板が立っている。
しかし同時に、交差点には二枚の看板があった。一枚は草木を取るなというなんてことは無いもの。どうやらここは童仙房というらしいことだけ分かった。
そしてもう一枚はこれだ。

不動の滝。
これが観光地なのか、はたまた何のことは無い滝なのかはわからないが、行ってみたら何か手掛かりが得られそうだ。(あと単に行ってみたかっただけなのもある。)

山道を下る

先ほどの三叉路から北へ進む。川に沿って下っていく。しばらくして舗装路は左へ分かれていき、山道になる。その入り口にあった看板がこれだ。

不動の滝 大字童仙房

・・・南山城村

地理に明るい占冠はすぐにピンと来たようだ。南山城村。関西線が貫く、南方の小さな村だ。全方位を山に囲まれ、東西方向の国道のほかに太い通りはない。
そしてここは、府内である。
どうやら他県に飛ばすまでもない、そういうことらしい。看板一つだが、おおむね居場所はつかめた。ずっと目をつぶっていたが踏切を通るような音は聞いていない。そして距離的にも関西線より南にいるとは考えづらい。南山城村。加茂より西、月ケ瀬口より北、そして滋賀県境より南。それが我々の現在地である。
そしてここで、川が北向きに流れていることが引っかかる。もしやこの川をたどると、滋賀につくのではないか?
とりあえず、不動の滝へ行ってみよう。

不動の滝


林道歩きを10分、そこから急な山道を10分。谷底に轟音が響く。暗い。暗くて何も見えない。明かりをつけると、そこには雄大な滝の姿があった。
ーいや、これではただの観光客である。我々の関心はただ一つ。さらに川下に伸びる道はあるか?

滝まで続いていた明瞭な踏み跡は、先には続いていなかった。結局ただの骨折り損だったわけである。さっきの看板のところから北西に行く林道をたどる・・・いや、往来があるのか怪しい砂利道だ。この道に頼るわけにはいくまい。
スタートに、戻るぞ!!!

振り出しに もどる

さっきの三叉路(緑)に戻ってきた。残る選択肢は二つ。東か、南か。
悩んだ末、電柱を見てみることにした。東に行く道は電柱に書かれた番号が減っていくのに対し、南に行く道は増えていく。電柱の番号が立てた順であれば、終点に近づくにつれ番号が増えていく‥‥すなわち番号が減るほうに向かえば人里に出られる可能性が高い。東へ進む。
しかしこうしてみると、ここに落としたさくらさんは「滝こっちって書いてあるところに落とせば、行くでしょw(なんもないのにね!)」とでも思っていたのだろうか。だとしたら性格が悪い。

道なりに歩いていくこと10分、分岐に行き当たった。大きな看板が見える。もしかしたら地図かもしれない。駆け足で表面を見る
・・・
・・・


高麗寺。

街への手がかり、なし。

そばに立つ、ハングルの看板


ここはただの山ではなかった。

京都に残る秘境。外界と隔絶されたコリアンタウン。
それがここ、童仙房の正体であった。



さあ。
ここからどう脱出する。

コリアンタウンからの脱出

看板前からさらに南へ。進むとさらに広い三叉路に出た。ここでついに核心に触れる看板に出会う。

信楽か、
 国道か。

選択

東へ行き信楽に出るか。
南に行き国道に出るか。早くも決断を迫られる場面が来た。


あの看板から得られる内容が二つある。一つは、信楽に出られるということは、すなわち予想通り関西線より南には来ていないということである。同時にもう一つ、南に行けば出られる国道というのは、関西線と相当近くにあるものだということが想像できる。
南へ行くルートは、間違いなく人里に降りられる最適解である。しかし京都市から南に来ている中、さらに南へ行くというのは完全な逆行作業である。
では信楽に行くのが正解か。しかし信楽の界隈が大変な山であることは容易に想像がつく。なにより、信楽は、滋賀だ。分水嶺を二回越える覚悟は、あるか。

占冠「多少遠回りでも、確実に出られるほうを選ぶべき。南へ行き国道に出る。そこから西へ行き、木津に出る。そうすれば確実に帰れる」
あす「それだと距離が大変なことになる。57kmで帰れるような場所である以上、そこまで村内でも関西線沿いのところには来ていないはずだ。北へ行こう。」
占冠「いや、分水嶺を越えるのか。」
あす「街中長距離より、山越えの短距離が楽だ」
……

作戦会議

ここにきて、初めて方針が割れた。結局、我々は大まかな位置はつかめていても距離感まではつかめていなかったのである。
京都市から57kmという情報と、周辺の明らかに「山奥」という感じな風景。私はここが京滋県境と相当近い場所にあると感じていた。しかし占冠は同時に、滋賀南部の山地の険しさを案じていた。北に行っても、安寧はそう簡単に訪れないのではないか。
審議の末、先ほどの地図に、ここを信楽向きに行ったらあるとあった高麗ハイツの前まで行き、何かしらか情報を得ようということになった。
…歩くこと5分。先ほどの地図にはすぐ近くにあるように描かれていた高麗ハイツにいつまでたっても行き当たらない。道しるべを失ったまま県境に突き進むのは無謀であるということで、先ほどの分岐までバック。結局、南進することとなった。

違和感

分岐から15分は歩いただろうか。ぽつぽつと民家はあるものの、相変わらず静かな山の中である。たまにシカのなく声が聞こえる。エンジンの音、クラクション、そんな街中と無縁の風景が延々と続く。
しかしこのまま下っていけば、そんな街へすぐたどり着けるのだ。

・・・
・・・ん???

この道、下ってない!

道に沿って流れる川が北向きに流れていることに、このときようやく気が付いた。

険しい山のある信楽、それに対しアップダウンの少ない国道―その理論が打ち砕かれた瞬間だった。南に行っても山越えがあることが、確定した。

作戦会議、再び

作戦会議が再び開かれた。南に行く道は、登りであり、すなわち分水嶺を越えねばならない。ということは、国道まで相当距離があることが予想できる。つまり、南北方向の移動がとてつもなく増えるルートなのではないか。
・・・そんな話をしているときであった。
エンジンの音が聞こえる。向こうからヘッドライトが見える。こちらに近づいてくるのが見える。バイクに乗った男性。ここに来て初めての、通行人であった。

第一村人発見

すぐさま呼び止めて、聞く。
「京都市街まで歩いていきたいのですが、こっちと信楽、どっちに行けばいいですか?」
返答はこうであった。

京都に行くなら、絶対信楽に出たほうがいい。
国道まで出るのには、ここから20kmかかる。
国道に出ても、平らではない。そこから木津まで歩いて、ようやく平地に出る。
すごい山なのは変わりないが、北のほうがまだマシだ。
信楽に行くのにはさっきの道をずっと北へ。絶対人住んでないだろうと思うような山の中を延々行くと、タラオという集落に出る。
そこから左へ行くと、信楽に出る。そこから宇治タワラというところへ出られる。
ま、どっちみち今日中には帰れんな、ハハハ

・・・
どうやらここは、とんでもない場所だったようだ。

いいニュースは、ここから京都市内までの道筋がわかったらしいことである。そして悪いニュースは―最悪なことに―その道のりは長いらしいことだ。
おじさんは新聞、それも京都新聞の配達員の人で木津からここまではるばる配達してきているらしかった。一部くれた京都新聞に挟まっていた折込チラシは、なんと伊賀上野や名張といった三重西部のものだった。

振り出しに戻る(30分ぶり 3回目)

戻ってきたね。
うん。
・・・

2:50にスタートしてから2時間30分近くが経とうとしている。我々は山中をぐるぐる回るだけ、たぶんスタートから1kmも動いていない。


暗い山道をひたすら歩く。一車線しかない道、辛うじて舗装はあるものの、寂しい道である。小さな集落(家一軒しかないが)を過ぎて、九十九折りの道に変わる。いつのまにか街灯もなくなっていた。今まで街へのカウントダウンだった電柱の番号。信楽に出る道に入ってからどんどん増えていき、やがて電柱すらなくなっていた。落ち葉がたまった、土で汚れた舗装の上には辛うじて轍が見える。先ほどの看板、新聞配達のおっちゃん。その二つだけを信じて、進む。ほかの皆は違うようだが、私は出発からここまで電波が一本も入っていない。ほかの参加者はどんなところに落とされているのだろうか。少なくとも5時にもなって電波無しなんてことはあるまい。とんでもない。やはりここはとんでもない。

エンジンの音が聞こえる。この、先の見えない山道に一筋の明かりが見える。車だ。
呼び止めて聞く。「この道を行くと、信楽に出られるんですか?」
運転手のおじさんから得られた話はさっきのおっちゃんと同じだった。信楽に出られる。信楽に行けば、宇治タワラに出られる。希望が見えた。何よりこの道が行き止まりでなく、ちゃんと目的もって通っている人がいるという事実が大きかった。

歩く。歩く。ひたすら歩く。山を前に右へ左へのたうち回っていた道が、ふいに山に向き直る。

暗い中でもわかる、立派な切通しだ。すり鉢のように一様な勾配が、見えないような高さまで続いている。
そして今まで登りだった道が、下りに変わる。

さよなら南山城。そして、こんにちは、信楽。

文明の明かり

また山道をひたすら歩く。下りな分多少楽だが、道の様子は変わりない。

だんだん明るくなってくる。分岐から歩くこと、1時間。祠が見え、民家が見え、電柱が立つ。


田んぼがある。集落がある。我々はようやく、下界まで下りてきたのだ。


歩く。歩く。そしてついに、太い通りに行き当たる。


バス停だ!!!

出発から暗い山の中を歩きとおすこと4時間。ついに公共交通と対面。路線図を見ると、信楽、さらに北に行けば京阪石山寺駅の文字があった。

もう孤独な山歩きをしなくていい。車通りがある。電波だってある。集落があって、小学校があって、商店がある。文明社会とは、なんて素晴らしいものなのだろうか。

最初の朝だ。

(京都大学まであと??km)

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