エクストリーム帰寮記~ただひたすらに、進め!~
長い長い放浪の末、日が昇るころようやく県道に出た我々。その後も歩き続け、ついに再び京都の土を踏んだ。京都大学は、もうすぐだ!
メンバー
筆者:あす会長(ももいはるたか(あす会長)@seibu_user)
占冠(政治を語るワニです@Uempets)
Mt.Rice(Mt.Rice@MtRice_ro)
うらん(うらん@Uranium2380)
Winning Run
ついに京都に戻ってきた我々。久々に見慣れた「府」の看板、「宇治」の文字。安堵も安堵、喜びもひとしおである。ここで小休止を取ることとした。時間はすでに11時、歩き始めて8時間以上が経過している。草むらに座り込み、目をつぶる。・・・10分程度の休憩だったが、みな眠りに落ちていた。
先ほどとは一転、下り一辺倒の道となる。トンネルをくぐり、家も何もない道をひたすら下る。どこかの高速道路かのような殺風景さだが、歩道があるのが救いである。
山がある。道がある。トンネルがある。…あとは何もない。そんな気が遠くなるような山である。
歩き、歩き、やがてまた集落に出た。そこから国道が自動車専用のバイパスになり、我々は旧道を歩くことになった。道がひび割れた、路肩のない、辛うじて二車線ある感じの、そんな道。しかし車通りがなくなったから、さっきよりよほど心地よい山歩きだった。そうそう、そのさっきの集落にバス停があり、ようやく「人里」に帰ってきたなあという感じだった。
ー10分後
・・・
・・・??????
何が起きたか。
心地の良い旧道歩きをすることしばらく、峠の頂上にあるトンネルに行きついた。二車線幅ぴったりの、天井の低い、昔ながらのトンネルだ。
ーそのトンネルの入口近く、別の打ち捨てられたトンネルがあることに気づく。レンガ造りの、狭い、「明治」って感じのトンネル。疲れ果てた男たちは、吸い込まれるように入り込んでいった。
トンネルをくぐる。何もない山の中だ。
旧道は峠をトンネル二本で越えていたようで、整然と並んだ林の中、幅3M くらいの平らな道の跡が続いていた。
もう1本のトンネルも通ろうと思ったが不法投棄のタイヤが背丈くらい積もっていて通れない。
仕方がないから引き返そう‥としたらなんとパワーが有り余っている2人がこの山を越えると言い出した!
私はついていけないので 当然 引き返す。
旧道に戻る。ギリギリ 2車線だけあるタイプの古き良き 旧道 といった感じ だがさっきよりうんと太くて歩きやすい。
山の向こう側で 峠越えの馬鹿野郎たちを待ち構える。100m は あろうかという 山を半ば滑りながら降りてきてたまげてしまった。
嵐の前の静けさ
峠を越えてすぐまた バイパスと合流し 大通り 歩きに戻った。さっきと違って 歩道がなくなっておっかないが それでも清々しい散歩である。両脇には茶畑がだんだんに広がる。突き抜けるような冬の空、いい景色だ。
歩く ひたすら歩く。
じきに下りだった道が少し 平らになり ニュータウンの入り口らしき 分岐も見えてきた。山から ついに郊外に出てきたという感じである。
道端の草むらで10分間 休憩することにした。皆またすぐ眠ってしまった。
そんなまさに 郊外 と言った風景を進むことしばらく、道の両脇にはスーパーや薬局が。ついに我々は宇治の中心街に近づいてきたらしい!
そしてついに、私達はこの旅初の地図を目にする。
違和感
今ついに我々がたどってきた道筋を目にする。出発から11時間以上、距離感としても 40キロは絶対歩いているから、京都までは遠くとも15キロくらいだろう。
あれ?
目の前に全ての答え合わせがなされている。
何から手をつけていいかわからない。
まずどうやら 宇治が近道というのは大嘘だったらしい。地図に見える 琵琶湖に抜ける道が明らかに 近道である。そしてさらに京都が明らかに遠い。驚くべきことに(薄々お察しのとおり、かもしれないが)宇治田原 は宇治ではなかった。
我々のスタート地点・童仙房が右下に見えてるのに対し、
我々が目指す京都はあまりにも遠くにあった。
誤算
先ほどの 地図を過ぎてから京都へ向かう道は国道と分岐しさらに険しい山へと 入り込んでいった。車通りに対し道が狭く、なかなかひやひやする。
下る 下る 下る。
喧嘩を売った相手より遠回りしているとわかったからか、政ワニの口数も少ない。黙々と、淡々と、進み続ける。
まさに渓谷といった感じの中を下ること、さらに一時間半。前方に何やらでかいものが見えてきた。
天ヶ瀬ダムと言うらしい。
でかい。
そしてここで見えた 収穫が一つある。宇治駅まで 3km の看板だ。
ついに電車が走っているようなところまで近づいてきたのだ。
歩きつづける。だんだん風景が開けてきて、人も増えてくる。
我々はついに宇治にたどり着いた。
宇治 橋を渡り 京阪線沿いを進んでいく。
出町柳に向けてひと駅ずつ着実に進んで行く。
二駅 目にして京大宇治キャンパス前にたどり着いた。
芝生でまた大の字になって目をつぶる。
調子に乗る男
見慣れた校名を見て我々のメンタルは大いに回復した。そしてあの男がまた、調子に乗ろうとしている。
だいたい同じくらいの距離に落とされたサークルの友人に、なんだか言っている。さっき喧嘩を売っていた相手たちは、もうゴールしてしまった。しかし君元気だねえ。
さらに進む。 そして 六地蔵駅に着いたところで また休憩。 ここで メンバーの一人Riceが大休止を提案した。
彼はダムを過ぎたくらいからずっと疲労を口にしていたが、ここに来てついに一旦寝て体力を回復しないかと提案した。
しかし政ワニは、ここで寝てはいられない、彼を置いて先に行こうと言い出す。あくた川のラーメンを食べることを モチベ にしてきた彼にとってここで休んでいてはいられなかったのだろう。
もうとっくに 日は沈んでいる。早くしないと、あくた川は閉まってしまう。それだけでなく、彼は他チームに喧嘩をふっかけた手前「翌日つきました」ではいけないわけだ。しかし確かに寝たら余計に体力を消耗するというのも おっしゃる通りである。だが一人置いていくというわけにはいかない。結局ここで政ワニとうらんの二人は先へ、私とRiceは三十分くらい休憩してから進むこととした。
休憩の後、再出発。二人に減った旅路、夜道をひた進む。
暗い道を進み、国道24号ー奈良と京都を結ぶ幹線に出た。
さらに京阪沿いを進む。伏見稲荷の前を歩いたところで、左へ。川端通りに出ることにした。京都の大動脈、これをひたすら上れば神宮丸太町駅、京大熊野寮につく。さあ、ラストスパートだ。
しかしここで、疲労困憊ののRiceがもう動けないという。「もう俺はここで寝る。先に行っててくれ」「すまんな」
‥そうして4人で始まったこのやかましい旅は、ついに2-1-1というとんでもないフォーメーションになった。
最終決戦
ついに一人である。 隣には誰もいない。鴨川沿いをひたすら進む。
ふと顔を上げる。燦然と輝く 京都タワーが見える。高校生の時、目を輝かせてみた風景そのままである。新幹線が通り過ぎていくのが見える。のぞみの 黄色い 幕が点々になって通り過ぎていく。東京で見た風景と一緒だ。
ああ。 俺何やってんだろうな。
地元から遠く離れたこんなところで、なぜ一人で歩いているんだろう。
ふと そんな気持ちになる。受験の時 聞いていた音楽を聴き、気持ちを奮い立たせる。充電はもう1%しかない。何のために歩いてんだろう。 でも、進むしかない。
七条、六条、五条。一つずつ 心のなかでカウントしていく。いつもよりうんと 長く感じる。
四条、三条。だんだん 風景が 見慣れたものになっていく。
足が痛い。進む。
そして 丸太町の交差点を右に曲がると 目的地はすぐそこだ。
時刻は夜10時過ぎ。
こうして私は、生還した。
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