失敗できる幸せ、そして成長

東京2020オリンピック(TOKYO2020)の男子鉄棒で、若くイケメンな橋本大輝選手が金メダルを勝ち取られました。
その解説の中で、ムーンサルト(月面宙返り)を...というクダリを聞き、そう言えばムーンウォークと言えばマイケルジャクソンと言う印象が強いが、ムーンサルトって確か日本人選手が生み出した技ではなかったか、そう思い調べてみると、面白い記事に行き着くことができました。
ちょっとワケがあってリンクは貼りませんが、森末慎二氏にインタビューした際の記事の内容です。
そこには、こう書かれていました。
記者:実は、ずっと前から疑問だったのだ。
なぜ、体操はこんなにも進化してしまったのか。
----中略----
森末氏:「ああ、理由は簡単ですよ。たくさん失敗できるようになったから」
----中略----
森末氏:「わたしが体操始めたころはね、鉄棒の下って砂だったんですよ。そりゃコンクリの上に落ちるよりはマシだけど、落ち方によったら結構な怪我をしちゃうこともある」
記者:なるほど。でも、それと技の進化にどんな関係が?
森末氏:「いまはね、落ちても痛くないんですよ、クッションが進化してるから。で、痛くないから、落ちることを怖がらずにいろんな技に挑戦することができる。何度でも、何度でも、できるようになるまで落ちることができる。加えて、自分がどんな状態だったか、すぐに映像でチェックすることもできる。そりゃ進化しますって」
----以降略----
これはスポーツの中の話である。しかし、これを実際に現代人が生きるこの世の中に置き換えるとどうなのだろう。
そう、現代人は、特に日本人の多くはヒトに対して失敗を許さない雰囲気が渦巻いているのではないか、私はそんな風に何とも言えない気持ちに襲われる。
生きている中で、人は何らかの過ちを犯すことがある。
それが犯罪と呼ばれるものであることも時にはあるが、多くの人はその過ちを何らかの形で償ったのち、また生き始めようとする。
しかし、彼等の人生は一度犯した失敗が足枷となり、そこから先に進むことができない、進ませてもらえない、いやさらに後退させられてしまっているような世の中になってきているのではないか、そんな風に思えることがある。
確かに、今のようなネットワークが発達する前の昭和的な世の中でも、何らかの生き辛さはあったとは思うのだけれど、今の世の中は瞬く間にさまざまなことが世の中に伝わり、それがその人に何ら関係のないことであっても、彼らを攻撃してくるような事が多くなっているのではないか。
 列車のホームやバスなどの中でベビーカーを押す親、ゆっくり歩く老人、何ら過ちを犯しているわけでもない彼らにも、容赦ない攻撃が仕掛けられる。
テクノロジーの進歩は、我々人間にとても大きな世界を見せてくれるようにはなったのだけれど、人が生きることに対しては失敗を許そうとしない、寛容になれない人を作り上げてしまっているのではないかと感じてしまう。
今の私は、テクノロジーの進歩により職を持ち賃金を得て家族と共に生きることができているが、そんなことを考えると、テクノロジーの方向性、いや人は何か失敗してはならない方向に舵を切ってしまっているのではないか、そう思うことがある。
時にはそんな面倒くさいことも考えてしまうのです。

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