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私の人生の夏休み

*語学科目ができない*

突然だが、私は英語ができない。
私より若い世代がどんどん英語を吸収するなか、私の英語力は中学校レベルでストップしているし、妹を辞書代わりにしている。

今年で大学3年目。
つまり、できない英語に加えてドイツ語も始まって3年目。
ドイツ語の良いところは、発音が基本的にローマ字読みなところ。悪いところは名詞に性別があっていちいち覚えなきゃいけないところ。

私はドイツ語もできない。


私の大学では、中国語、フランス語、ドイツ語の中から1言語を第二外国語として選択できる。
ドイツ語にした理由は、よく分からない。強いて言うなら、当時の彼氏と一緒に考えた結果?
これも、ドイツ語を選んだ理由にはなっていない。
なお、一緒に勉強する学生イベントは発生しなかった。


私の最初のドイツ語文法の先生は、たまに抜き打ちで独和辞典を持っているかチェックする先生だった。

正直重い。重すぎる。

勉強は不得意だが一応法学部なので、ポケット六法も持ち歩く。
ポケット六法とは何ぞやという人はググって欲しい。国語辞典くらいある、ポケット詐欺だ。

カバンが重すぎて腕にアザができたことがある。とにかく重いのだ。

そんなこんなで、私もドイツ語に苦手意識を持ちつつあったのだが、1年生の後期に文法の先生を変えたことが私のドイツ語転機になった。

この先生を選んだ理由は、時間割が都合良かったからで、第二外国語にドイツ語を選択したのと同じくらい理由はなかった。
先生は第1回の講義で、「ウィーン語学研修」の説明を90分ノンストップで話し、単純な私は

「あ、これ行こう」

なんの脈絡もなく、そう決めていた。



*大学生活は人生の夏休み?*

「大学生活は人生の夏休み」

昔からよく言われているが、なぜだろうか。
確かに、大学生は勉強しようと思えばどこまでも突き詰められる一方、楽単科目を漁ればどこまでもサボり続けられる。

普段から出席票を代わりに出して欲しいだの、宿題の答えを写させて欲しいだの言ってくる人はある程度いるし、テスト前には「お前誰だっけ」って人からLINEが届く。


私も決して努力の塊ではないが、"大学"のみが"人生の夏休み"と称されることに少し違和感を覚える。

ここで私が言いたいのは、"イマドキの大学生は大変"ということではない。先に述べたとおり、時間的余裕のある大学生はいくらでもいる。
なぜそう言われるのか。それが気になるのだ。


さて、
大学生活を"人生の夏休み"と言う人は誰だろう。そう考えたとき真っ先に思いついたのが社会人だった。

大学入学前の人間は、大学がどんなところかまだ知らない。
大学を"人生の夏休み"と称することができる人は、その時代を懐古することができる人だ。
社会人や、主フなどがこれに当てはまる。


彼らと大学生の違うところは、"休もうと思っても簡単に休めない"という意識があるところだと思う。

だからといって、学校が辛いから休みたいと望んでいる人に対して、"良いよな、休めるんだから"なんて言うのは少し違う。
"人生の夏休み"にも、似た質感の"羨ましさ"があるように感じる。

辛さを比べても誰も救われないから。

誰かと自分の環境を比べそうになったときは、こう思うことにしている。
大学生には大学生の、社会人には社会人の、専業主フには専業主フの辛さがある。

全部投げ出さないと生きていけないくらい辛いときは、誰だって投げ出してしまうべきだ。自分の休暇を決めることができるのは、自分しかいない。
誰も私を最終的には甘やかしてはくれないのだ。



*大学生の夏休み*

去年の夏、アルバイトで貯めたお金をほぼ全部使って語学研修に参加した。

8月の1ヶ月間、午前中は学校、午後は観光で遊び回り、苦手な英語とドイツ語を交えながらコミュニケーションを取る。
相変わらずヒドイ出来だが、ジェラート屋のおじさんにドイツ語を褒められたときは嬉しかった。

あの1ヶ月は、楽しい思い出ばかり。

なぜ大学に通うのか徐々に分からなくなっていた私にとって必要な時間。自分のお金で参加して、自分なりの目標を立てて過ごした時間が、私の自己肯定力を上げた。

間違いなく"良い夏休み"だった。
人間には良い休みが必要だと思った。


大学生が楽と思う人は、自分自身に良い休みを取らせてあげないといけない。
私は、"休もうと思っても簡単に休めない"という意識があることを自覚している大人になりたい。

そんな簡単に甘いこと言うなって言われそうだな。それでも、自分を最終的に甘やかせるのは自分だけ。これを忘れないことは大切なことだ。


私はまだ、大学生までしか経験していないが、社会人になったら、私の大学生活を"人生の夏休み"だと振り返る日が来るのだろうか。
私より若い人たちに向かって"休めるのは今のうちだよ"と言うようになってしまうのだろうか。

私の大学生活は誰かから見たら人生の夏休みなのかもしれない。
それでも、私が大切にした時間を、そんな風に思う大人にはなりたくない。

あぁ、怖いな。

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