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バイアスもっていませんか?|多様性を尊重できるこどもに育てるために必要なことを考えてみる

こんにちは!みほです。

たまに昔のテレビ番組を見ると、いまの時代のコンプライアンスとのギャップに驚かされることはありませんか?なにも大人向けのバラエティ番組だけに限った話ではありません。アニメ番組も、それ、、完全アウトですよね、、というセリフやシーンが放映されていたということに、今となっては衝撃を受けるばかり。

本当「ないよねー」と笑うのは簡単ですが、そんな時代に育ったわたしたち親世代には、自分たちで気づけないある種の刷り込みがされている可能性があるのではないかと思います。たとえば異性愛者ではなく、同性愛者であることを揶揄しからかうことが公然と認められてしまう風潮。多数派でない人々を多数派が見下出すような空気。染まっていないつもりでもじわじわと染み付いているバイアスがないとも限りません。

そこでわたしも実践しており、この記事でお伝えしたいのは、自分自身が無意識に持ってしまっているバイアスを明らかにすること。ダイバーシティが当たり前に認められるようになりつつある時代に、バイアスを持って生きている自分を知るのは辛い作業かもしれません。わたしも己を恥じてしまうこともありました。でもそこに目を瞑って育児をしていると、無意識のバイアスをこどもにじわじわと擦り付けてしまうかも、、。その方がよほど怖いことではないでしょうか。

そういった意識しないレベルでのふるまい、ことば、ときには目線といったものは、バイアスを受ける立場の方にとっては強く感じられるもの。こんな時代になっても、息苦しさを抱えながら生きられている方はたくさんいらっしゃいます。たとえばLGBTQの方々。データ元によってばらつきはあるものの、日本の人口に占める割合は約3-10%と言われているそう。内閣府が主催する「子供・若者施策調査研究会」が実施した講演※の中では、当事者であるお子さんがいじめに遭う率、不登校になる率などの数字が並んでいますが、その中でも「自殺念慮を抱いたことがある率は約69%に及ぶ」という衝撃的な一文がありました。その数値は悲しいけれど、日本人の平均と比較しても非常に高いものだとおもわれます。それだけ、日常生活の中で生きづらさを感じられているケースが多いことが容易に想像できます。ダイバーシティが謳われる社会になりつつあるとはいえ、前時代的な根強い偏見は彼らを苦しめるし、なにより、誰にカミングアウトしていいかわからない、誰であればどんな自分でも受け入れてくれるかわからない不安、あるいはアウティングされてしまう可能性も、彼らの苦しさにつながるものなのではないかと思います。

彼らのことを考えた時に思い出す、ほろ苦いエピソードがあります。それは、アムステルダムに住むフランス留学時代の友人に10年近くぶりに会ったときのこと。彼の瀟洒なアパルトマンにお邪魔したとき、彼は少し言いづらそうに、「一緒に住んでるんだ、彼と。そういうこと」と言ったのです。わたしの答えは、「Pourquoi pas? Ça  fait longtemps ?(そうなんだ、いいね!ふたりは長いの?)」。それは心からの声でしたが、彼が長く付き合った恋人を紹介するのに躊躇いを見せたことがとても堪えました。もちろん10年ぶりの再会だったということもあるでしょう。彼が日本人は保守的だという印象を持っていた可能性もあります。それでも、友人の恋人の紹介に勇気を必要とさせてしまったことに、なんとも言えないもどかしさ、情けなさを覚えました。

だからこそ、我が子やこれからの世代の子どもたちには、当たり前に多様な人を受け入れられるようになってほしい。どんなバックグラウンド、性的嗜好、性自認、、を持つ方も、その人そのものとして認める力を身につけてほしい。

その一歩が親であるわたしたち自身の、多様性の受け止め方の見直しと捉えることもできるのではないでしょうか。もし、あれ、わたしって意外とバイアスもちだったかもと思ったならば、ぐずぐずコンプライアンス時代に生まれ育ったのだから仕方ない、と切り替えて、お子さんと一緒に新しい時代の多様性について一緒に考えてみてはいかがでしょうか。わたしもその一歩を踏み出したばかり。きっと我が子から学べることもあるのではないかと楽しみに思っています。

※第4回「LGBT子供・若者セミナー」
なぜ今、LGBT問題?
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/mondai/h26/k_4/pdf/s1-2.pdf


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