本当の私達とはいったい何者でしょうか?みんなどこから来て、どこにいくのでしょうか

本当の私達とはいったい何者でしょうか?
みんなどこから来て、どこに行くのでしょうか?

私が体験を通して気づいた事を伝えていきます。
本当の私達は何者なのかを理解するために、まず知っておいたらわかりやすい事は、私達は永遠に存在する本当の私と、今回限りの名前のついた私=エゴと、体との3つで1つ。三位一体で出来ている存在だということです。
そして、今回限りの名前のついた私=エゴと体は形の世界に属しています。
形の世界とは?この地球を含む三次元の世界のことです。三次元の世界の特徴は、時間の経過と共に全てが移り変わっていく世界です。変化していく世界です。従って実体があって実体のない世界とも言えます。実体として存在するのは、唯一【今】という時間だけです。今・今・今が連続して続いていく中で、今という時だけに実体として存在しています。

それに対して、本当の私(私達)は形を持たない、形の世界を超越した世界と形の世界、その両方に属しています。

それでは形を持たない本当の私達とはいったい何者でしょうか?
形を持たない本当の私達は、言葉や思考では知る事が出来ない大きな存在です。言葉や思考では見つけることも確認することも出来ない大いなる存在です。言葉や思考では計り知ることが出来ない偉大な存在です。言葉や思考ではおさまりきれない程の無限で永遠の存在です。
形を持たない、形を超越した世界にも属している本当の私達を、形の世界(地球を含む三次元の世界)に属している言葉や思考では、明確に表現出来ないのです。
従って、ざっくりと表現すると、形を持たない本当の私達は「大いなる偉大で無限で永遠の存在」という言葉になります。
形を持たない大いなる偉大で無限で永遠の存在である私(私達)は、主体と客体(観察するものと観察されるもの)が同じ存在です。1つに溶け合って存在しています。従って形を持たない本当の私(私達)を、知る対象にも確認する対象にもできませんから、知る事も確認することも出来ません。

それでは知ることも確認する事も出来ない本当の私(私達)をどうしたらわかることができるのでしょうか?
その方法は、あらゆる知識・叡智に基づいた気づきによって繫がる事(そのためのガイド役をやらせて頂いています)、もしくは感性を通じて感じる事(一般的方法が、瞑想・禅・気功・ヨガ・アファメーション・祈り等があります)によってわかることができるのです。
主体と客体(観察するものと観察されるもの)が1つに溶け合って存在している形を持たない本当の私(私達)とは、気づきによって繫がる事(気づくという言葉がこれからも出てきますが、気づくとは本質を見抜く事です)、もしくは感性を通じて感じる事によってわかる事ができる存在です。

形を持たない本当の私達を物理的な言葉で表現すると、【全てをエネルギーとして持っている波動】という言葉になります。一般的な具体的な言葉で表現すると、【自由・愛・至福(平和を含みます)というエッセンスを持った意識】という言葉になります。
形の世界(地球を含む三次元の世界)に属している言葉は情報伝達ツールであり、道しるべにすぎませんから言葉は道しるべとして捉えてくださいね。

まずはここまでを気づき、理解して頂ければと思います。理解できなくても、知識として知っておいてもらえたら充分です。

ここから更に詳しく伝えて行く前に、本意ではないですが、私が体験を通して気づいてきたことや、形の世界に属している地球の特徴、今回限りの名前のついた私=エゴと体についての大切なことを伝えていきたいと思います。

私の体験と気づき

それでは本意ではないですが、伝えて行く事とも関連することがありますので、私自身が体験した事を書いてみます。
私は生まれつき胸がへこんでいて(漏斗胸)それがコンプレックスでした。身体も弱く、小さい頃はよく病院にかかっていました。
自分はあまり長く生きられないのでは?という勝手な思い込みもあり、何でこんな身体に生まれたんだろう?と今思えば恥ずかしい限りですが、世の中にはもっと大変な身体の状態の人達がたくさんいるのに、自分一人が、世の中の悲しみを一人背負っているみたいに生きていました。若い頃は勝手に、どうせ長くは生きられないと思い、自暴自棄になって遊びまわる毎日でした。

大学卒業後、ありえない事ですが、何故か(宇宙の計らい)奇跡的に、金融機関に勤める事になりました。
就職後も遊びに一生懸命でしたが、最初が肝腎と思い、仕事も一生懸命しました。そうすると、あいつは仕事が出来ると思われたのかもしれませんが、その後はいつも、自然に大事なポストにつかされ、そこで成果を上げて、更に大事なポストへと移っていきました。
30才の時に胸(漏斗胸)の手術を東京の病院でする事が出来、少しは胸のへこみもましになりましたが、ずっと何で生まれてきたのか?という疑問は持ち続け、今でいうスピリチュアルな事に興味がありました(私が思うスピリチュアルとは、本当の自分を知る事と宇宙の事について、少しでも理解していく事だと思っています)。休みの時とか時間がある時は、本当の自分を、宇宙を知るために、広く浅くですが、自然科学や心理学・哲学・宗教・物理・科学・歴史・宇宙の事等の勉強をしていました。
その中で特に東洋思想の「気」に興味を抱き、気功とヨガを特に勉強したり、習ったり、研究したりしていました。

その後、金融機関の仕事をしながら、地域や企業・市町村等から頼まれて、気功教室や気功の講演をやらせてもらうようになり、仕事の関係で全国でも、講演させてもらうようになりました。
全て順調で、仕事も家庭も経済的にも趣味(気功や音楽等)にも恵まれ、金融機関の役員となり、仕事面でも昇りつめましたが、自分自身がどれほど恵まれ、幸せである事には全く気づいていませんでした。失ってから気づく事になります。

役員になってから、不安や悩み、苦しみの日々が始まる事になりました。金融機関全般のかじ取りを任されていましたが、特に大きな問題があるわけでもなく、優秀な職員の方も多かったのに、何故かいつも不安で苦しい毎日を過ごす事になりました。
いわゆる「うつ」状態で病院に通い、薬を飲みながら仕事をしていましたが、とうとう耐えきれず、後先考えずに自ら辞任しました。

後になって、その原因がわかる事になるのですが、1つは本当の自分は思考だと思っていた事。2つ目はその結果、今という現実にいられなかった事です。従って本当の自分は思考(道具)だと思っていましたので、完全にエゴと思考が、主導権をとっていました。その結果、益々考える事が増え、仕事では、将来のビジョンや目標の計画・危機管理対策等にも関わっていましたが、その上で現実(確定している)である今にいたら良かったのです。
しかし、小さい頃のバイアス(思考の思い込み・思考の決めつけ)による、あるがままの身体を受け入れられなかった、現実(今)逃避型人間が形成されていましたので、本当の私(意識)がいる今にいられなかったのです。
その結果、エゴと思考による(思考は人間にとって、意識が主導権をとれば、最高の道具ですが、エゴと思考が主導権をとれば、最悪の武器にもなります)時間に翻弄され、いつも頭の使いすぎ状態ー実体のない、幻の未来や過去と戦っている「思考病」で、不安や恐れにつながる未定(わからない)の将来や後悔につながる過ぎ去った過去(変えられない)に、本当の私である意識もエネルギーも持っていかれていた事です。
この世界(地球)で、本当の私(意識)とはぐれて、さまよい(逃げられない今から、逃げようとしていた)迷子になっていました。

その時は原因もわからないまま、辞めたら楽になると思い、辞任したわけですので、辞めても悩みや不安、苦しみは変わらず、ついには入院する事になりました。入院しても原因もわからないままなので、薬を飲むだけでは治るはずもありませんが、三カ月後に退院させられました。自宅療養になってもエゴと思考が主導権をとり、ネガティブな自動的思考や自動的反応というパターンを繰り返し、今という現実にはいられない状態でした。考える事はただ1つ。楽になるために自死する事です。何度かいろんな方法で試みましたが、それも出来ず(結果良かったのですが)そんな日々を過ごしていた時、宇宙の計らいでしょう。
自宅で苦しくなって、そのまま意識不明となり、8日後に目を覚ます事になります。心筋梗塞でした。(宇宙が一度希望通り死なせてくれたと思っています)
その意識不明の8日間は、夢を見る事もない、深い眠り・堕ちた状態で全くの無でした。(源と1つになり、清められたと理解しています)
目覚めた時、深い静寂の中で、自分の意識だけがポツンとありました。思考は全く働かない状態で、何があったのかも理解出来ない状態です。しかし、その時の事は覚えています。その意識(本当の私)ー不思議な感覚について、何なのか全くわかりませんでした。

その後、一歩歩くことからのリハビリが2年近く続きましたが、その間は特に何も思わず、以前のように死にたいと云う思考もなくなっていました。
そしてある日、薬の副作用で苦しくなって、自宅で倒れた時があり、痛みでもうだめだと思った時、痛みが引いて深い静寂の中で、意識(本当の私)だけがポツンとありました。
ああ死なないと思いましたが、その不思議な感覚が、それがまだどういう事なのか、わかりませんでした。

そして3回目、経済的に苦しくなってきたため、グループホームで夜間の支援職員として働き始めた頃、夜中に強烈な痛みで倒れ、その痛みが引いて、又深い静寂の中で、意識(本当の私)だけがポツンとありました
本当の私は死なない。生きていると感じましたし、同じ不思議な感覚が3回目なので、これが本当の私である意識(魂)だと納得しました。
私は今・生きている この感覚。生きているとは、意識がある事です。

何もかも、取り除かれた時に、ただ一つ残るものが意識(永遠の生命)です。

そして、本当の私・意識がなければ、あらゆる物事を認識出来ない事や意識がないと、思考も感情も記憶もこの世界も存在しない事に気づき、意識が覚醒しました。そして意識(魂)は永遠に存在してゆくものだと、確信しました。
 
それからは、学んできたスピリチュアルのあらゆる知識が、今まで以上に繋がり、様々な事に気づき始めました。すると、不思議と思われる体験も増え、その体験を通して、気づいたり、味わったり、感じたり出来るようになりました。
言葉にすると真実を限定してしまいますから、表現するのはむつかしいですが、誤解を恐れずあえて言葉として、いくつか体験した事を上げてみます。

◆夜間の支援職員をしている時、毎回9カ所のトイレ掃除をしますが、その時に突然ー自分自身をそして身体を100%信じきれる絶対信頼・絶対肯定・安心感のただただ幸せ・至福という状態を味わう事が出来ました。

◆自宅で食事中、突然意識が拡大して、体からはみ出して、どんどん大きくなり、大きな自分を認識しました。その後、朝鏡を見ながらアファメーションと祈り(本当の自分と繫がるため)を実践している時に同様に意識が拡大して、同時に言葉が降りてきました。その言葉が私達は言葉や思考では見つける事が出来ない大きな存在。言葉や思考では計り知れない程偉大な存在。言葉や思考ではおさまりきれない程の無限の存在と云う言葉です。

◆朝ベッドの中で、アファメーションと祈りをしている時、意識が体からはみ出して、大きくなり自分という小さい枠(境界の役割の体)からの解放・体や時間等の束縛・制限から解放される本来の自由を味わいました。

◆朝アファーメーションと祈りをしている時、体内スペース・内なる広がりを感じ、思考や言葉や音が現れては消えていく、この世界に起こる場(形や音となって出現するもの)よりも更に深い場にいる感覚を体験しました。物事が起こる前の空間(この世の全てを造り出している場)の存在を認識しました。

◆朝アファメーションと祈りをしている時、突然涙があふれ出し、大いなる存在(源)と1つになっている喜び・つながっている幸せ・これが究極の愛なんだ・という感覚を味わい、感じました。

その他にもありますが、このような体験はいつ起こるのかは全くわかりません。起こそうと思っても起きるものではなく、自然に起こるのです。(あくまでも私が体験した事ですし、言葉では本質は言い表せませんが)

私が言える事は
1.スピリチュアル(本当の私を知りたい)に対して、関心がある事。
2.一定の知識がある事(知識がないと、起こったとしても、何が起こったのか理解出来ないのではないかと思います)
3.アファメーションや祈り、気功、瞑想等をしている時に体験する事が多いように思います。

私は今も、もがいています。本当の私ー意識が主導権を取ったり、エゴと思考が主導権を取ったりを繰り返しています。それほどに、エゴと思考による観念(自動的思考・自動的反応というパターン)は強いものです。引き戻されます。
しかし、アファメーションや祈り、気功等を続けている内に本当の私(意識)が主導権をとる割合が増えてきています。そして大切な事は、言葉の真意が降りてくるようになりました。

人類全体が進んでいく方向、人間の最高形をこの世界に現していくため本当の私と繫がる基本的な条件を、私の体験を通して伝えると
◆時間(現実)はいつも今、本当の私は思考(道具)ではなく意識である。この深い真実に気づく事。
◆本当の私である意識が、時間のない今にいる事。その意識を意識する事。(本当の私=意識はいつも今に存在します)
◆心が穏やかで平安である事。

その上で、瞑想(マインドフルネスを含む)や禅・祈り、アファメーションや気功・ヨガ等、リラックス(心をゆるませるために身体をゆるませる)する事を続けられたら、本当の私と繫がる・気づく・感じるのではないかと思っています。

私が体験した事と気づいた事です。

地球の特徴

私達が住む形の世界である地球(三次元の世界)の特徴について伝えていきます。
大切なことなのでもう一度伝えますと、この地球を含む三次元の世界の特徴は、時間の経過と共に全てが移り変わっていく世界です。とどまっているものは何一つなく全て変化していきます。従って実体があって実体のない世界とも言えます。今・今・今が連続して続いていく中で、今という時だけが唯一実体として存在しています。

そしてこの地球(世界)の特徴は相対の世界でできています。
相対の世界とは? 暑さと寒さ 昼と夜 喜びと悲しみ 善と悪 光と闇 正と誤 誕生と死 陰と陽等、反対の極があると云う事です。比べるもの(事)があると云う世界です。
一方が存在しなければ、もう一方の意味はわからないように出来ています。2つでひとつになっているのです。1つだけなら全て普通になり、本当の意味がわからないままとなり、体験を通して感じたり味わったり出来ないのです。
苦楽も同様です。人はみんな幸せになるために、生まれてきています。幸せは楽しむことでもあります。本当に楽しむ体験(人生の中でも大切な事)をし、味わうためには、反対の極である、苦しむ体験をする事により、本当の深い楽しさが理解できるように出来ているのです。
従って、苦しみは辛いかもわかりませんが、苦楽は2つでひとつのセット、同じ存在なのです。

比べるもの(事)がある世界とは、私は小さい頃から何故か紫色に関心があり、数ある色の中で紫色に惹かれ、紫色に魅せられています。もしこの世界が紫色一色だったとしたら、そこに存在するものが全て紫色だったとしたら、もうそこには「紫色」は存在しません。紫色が認識されるためには紫色でない色が必要であり、紫色以外の色がないと紫色の魅力も紫色が存在する事も出来ません。これが比べるもの(事)がある世界、相対の世界です。この相対の世界に気づく事が大切になってきます。

 そして私達も相対で出来ています。永遠に存在する意識(魂)と今回1回限りの名前をつけられた私・あなた(エゴ)と2つでセット、ひとつになっている存在です。本当の私に気づくためには、本当の私でないものが必要なのです。多くの人々は今回1回限りの名前のついた私・あなた(エゴ)と思考が主導権をとっていて、自分自身のアイデンティティ(同一化)としていますので、本当の私達はみんな同じ永遠に存在する意識だと云うことに気づいていません。(というか、本当の私達を思い出す!気づく事が人生の目的の1つだからです。)

 そしてもう一つの特徴はこの世界(地球)には、肝腎な事には浅い真実とその背後に深い真実があると云う事です。
例えば太陽は昇り沈みます。朝日や夕日等素晴らしい風景を見せてくれて感動しますが、これは浅い真実です。深い真実は宇宙に出て、太陽を見れば認識出来ると思いますが、昇りも沈みもしません。そこに在るだけです。存在するだけです。どちらも真実です。
勝負もそうです。浅い真実は勝つ喜び、負ける悔しさを教えてくれます。深い真実は勝ちだけ・負けだけでは存在しないと云う事です。コインの表裏のように、2つでセットになっていて、片方だけでは、その意味はわからないまま失われてしまいます。従って、勝ちと負けは単独では存在しない、同じ存在なのです。どちらも真実です。

そして、大切な事の1つが時間についてです。時間は過去-現在-未来と流れていて、時計のように動いています。人間が作り上げた素晴らしい概念です。この時間によって便利で正確で、共通の世界を作りあげています。人間が作り出した、人間だけの素晴らしい浅い真実です。学術的にも必要です。
深い真実は時間(時)はいつも今です。地球上の人間以外の生き物や植物等にとっては、いつも今です。
時間(時)はいつも今=ここです。
それ以外はありません。何かが起こる時、今以外に起こる事があるでしょうか?自らのパワーやエネルギーを使って、感じたり、味わったりする体験をする時、今以外に感じたり、味わったりする事が出来るでしょうか?
現実は今しかないのです。これが深い真実です。
人間が生きていくためには、時間の浅い真実が必要ですが、この深い真実を理解すれば、現実であるーいつも今=ここを大切にする事が出来るのではないかと思います。
これが「時間」の深い真実です。

体について

次に体の深い真実について伝えていきます。

体はあなたそのものです は浅い真実です。深い真実は体は「あなたであって、あなたではありません」自律した知的で知性の備わっている、素晴らしい存在です。
いつも自律的に休みなく働いてくれている、完全完璧な存在です。
体に備わっている知性とは、(本能や自然治癒力を含む)体自らが考えー判断しー最善の方法を実行していると云う事です。
現代医学でわかっている事は、1秒毎に人体では約60億もの反応が発生していて、どの反応をとっても、他の全ての反応と関係し、体全体が連係して、情報交換した上で、人体にとって最善の方法を実践しているようです。
例えば、体にとって不必要な細菌が侵入した場合は排除するために、熱を出して殺したり、汗や下痢やもどす行為によって体外に排出する事を、体自体が自然に起こしています。体自体が体に行う、体のメンテナンスであり、浄化作用です。(それを人間がどうとるかですが)

私であって私でない体を例えて言うなら、買い替えのきかない車のようなものです。この車(体)の主人(乗り主)は意識です。耐久年数は約120年と云われています。上手に運転していけば、120年は乗れる車(体)ですが、今現在日本では、平均で84年ぐらい(男81才女87才)の耐久年数のようですね。
この車(体)は自動運転約95%・手動運転約5%ぐらいの割合のようです。従ってあなたが体に出来る事は、手足を動かす。目を開閉する。口から食べる、話す・考えるETC.くらいでしょうか?その他は脳や内蔵全般を動かす事(心臓を動かす・血液の循環や血圧の変動・全ての内蔵を働かせる等)を含め、大半は自動運転で、体全体に備わっている知性によって、活動しているのです。

この知性は宇宙に存在する、普遍的な知性とつながっています。
もちろん、現代医学の進歩は素晴らしく、私もおかげで生かされています。具合が悪くなったら病院に行けばいいですし、薬も必要なものです。
しかし、医学がどんなに進歩しようと、この体に備わっている知性、そのものを解明する事は出来ないと思います。体の部位の模倣品(Ips細胞による人工臓器等)は作る事が出来るでしょうが、体全体を作り、全般を動かしている知性を作る事は、人間には出来ないと思います。(設計者ではないですから)
従って私が伝えたい事は、体に備わっている知性を信じましょう。体の知性とつながるのです。(知性とつながるとは?意識を体の知性に向けると、体の知性が目覚めます)

自分が体をコントロールしているように思いますが、大半は体自身が体をコントロールしているのです。知性によって。
従って、今回の人生の病気や生死(体の)のタイミングは、自分ではわからないですし、コントロール出来ないのです。

自分が出来る事・やれる事、体にとって出来るだけ負担にならない事(暴飲暴食をしない・睡眠をとる・適度な運動をする等)をした上で、後は体に任せましょう。現状つらい苦しい状態の人達もいると思いますが、その現実(今)が体にとっては、ベストの状態なのです。

私が体験した事は心臓(心筋梗塞)ともう一つは、前立腺が腫れあがり、オシッコが全く出なくなる苦しい思いをしました。一ヶ月間尿道に管を通して、しんどい状態で対応していましたが、おかげ様で一ヶ月後には、普通の状態に戻りました。

その時に体の深い真実に、気づかされました(皆さんには、そういう目にあう前に、気づいて欲しいと思っています)

それ以来私が実践している事は、体の反応のおかげでトイレに行くたび、いつも自律的に働いて、完全完璧に働いてくれている、体の知性に感謝しています。(当たり前に出ていた物が出ない苦しさがわかったから)

又、心臓の薬を毎日飲んでいますが、そのたびに心臓を補助してくれている薬に感謝すると共に、いつも自律的に働いて完全完璧に働いてくれている心臓さんに感謝の言葉を投げかけて、知性とつながるようにしています。(心臓が止まった・大変さがわかっているから)

そして私の中で大切さー重要性の優先順位をつけていて、一番大切にしているのは、本当の私である意識。二番目が意識を乗せてくれている(入れてくれている)体。三番目が感情。四番目が思考です。

体は思考と感情によって、反応してくれているものですから。例えば、思考によって怒りが発生したり、緊張すると、血圧が上昇したり、体が熱くなったりします。
悲しい・嬉しい感情になると、涙が出るように、体は思考と感情によって、ただただ忠実に反応してくれているだけです。

体についての深い真実「体は私であって、私ではない」を理解すると、必要以上に体にこだわらなくなります(1回限りの居場所)。体が100%自分自身だと思っていると、体(物質)はエントロピーの増大と云われるように(不可逆性・秩序から無秩序へ)必ず滅びる方向へ向かいます。
従って、必ずどこかでつらい、苦しい思いを味わうようになりますので、今から体さんは自律した知的で知性の備わっている完全完璧な存在であり、私であって私でないと云う、深い真実を理解する事をお薦めします。

それでは続いてエゴについてお伝えしていきます。

今回1回限りの名前のついた私(エゴ)の正体は?キャラクターとは?

 ざっくり表現すると、人類全体の歴史(記録)から、造り出されているDNA(集合意識・集合無意識)と今回の両親を含む、先祖の血統と、育ってきた環境によって、作られたものです。

最新のDNA研究でゲノム解析の結果、現代日本人のDNAは、古墳時代3~7世紀の人達のDNAと類似している事がわかったようです。
このDNAの内訳は、縄文人20%と弥生人と渡来人の混血20%とその当時、日本に渡って来た、大量の渡来人との混血60%、この三つの構成になっているようです。私達日本人の姿・形や性格の25%ぐらいは、このDNAを引き継いでいると思われます。
そして、今回の両親を含む、先祖(平安時代8世紀以降)の血統による、姿・形や性格が25%ぐらいと、今回育ってきた環境や様々な体験に基づいて作り出されている姿・形や性格が50%ぐらいで、あなたの今の性格(キャラクター)は、作られていると思われます。
従って、ネガティブと感じる性格(キャラクター)は、あなた一人の個人的なものではありません。本当の私達とは、関係ないものです。

 人類の歴史を振り返ってみると、生き残っていく事が大きな目的でした。(今も地域によっては、そうですが)
従って、あらゆる事に対して、危険か安全か、この生き物や人間は敵か味方かを見極めたり、予測して備える事が大事であり、その結果が私達のDNAに組み込まれています。又、人間の根源的感情として組み込まれている、喜び・怒り・悲しみ・恐れ(不安)は、誰もが遺伝子に組み込まれているものであり、あなた一人の個人的なものではありません。

一つずつ見ていきましょう。

◆喜びはポジティブな感情ですし、人生は楽しむためにありますから、嬉しい時・楽しい時は、嬉しさ・楽しさを表現して味わえば良いと思います。又、行動している事に、自分に喜びがあるのか、本当に喜びを味わえているのかを、チェックしていく事が大切です。

◆悲しみは自然な感情ですから、つらい時・悲しい時は、その感情を適度に表現して、味わい開放する事が大切です。そのために涙があります。涙は悲しみやつらさを流してくれる、素晴らしい浄化作用があります。又、嬉しい時や感動した時はその感情を増幅する、素晴らしい作用もあります。しかし、悲しい感情を表現・解放出来ずに、ためていくと問題が生じてきます。

◆怒りは、これも一時的感情ですから、誰かを傷つけない程度に怒りを表現して、解放してゆくと、やがて過ぎ去っていきます。
しかし、表現・解放しきれずに持ち越した場合、第二次的感情の恨みや憎しみに変わる事に、気をつけなければなりません。

 ◆不安(恐れ)も一時的感情ですから、良い意味で危険を察知したり、感じたりするブレーキ効果として使えば良いですし、受け入れるといいですが、不安や恐れを排除しようとすればするほど、反作用が働いて、余計につのってきます。そして、エゴと思考が主導権を取り出すと、不安や恐れは第二次的感情の、不安症やうつ・パニック状態につながっていきますので、そうなると問題になってきます。

 このように、適度に表現・解放されずに残った、感情のカスの事をペインボディと呼ぶそうです。人類は全て自分の内に、人類全体の感情的な痛み(感情のカス)と加えて、個人的な過去の経験による、感情の痛み(感情のカス)を持っています。このペインボディは感情的な痛みが、自分(ペインボディ)を太らせるエサとなるため、更なる感情的な痛みを求めています。(波動の法則=同じネガティブな波動は共鳴し、エネルギー化する)
従って、自分自身に痛みや苦しみを与えている多くは、このペインボディによるものが原因で、自分のネガティブな自動的思考・自動的反応ーパターン(思考の決めつけ・思考の思い込み)に気づく必要があります。
特に、ペインボディが活動して、苦しい時やつらい感情が、わいてくる時に繰り返すパターン(ネガティブな自動的思考・自動的反応ー思考の決めつけ・思考の思い込み・感情的痛み)を客観的に観察する事が、重要になります。気づいていくと(見抜くと)ペインボディに支配される事は、なくなるようです。

又、脳は生存本能として、快適信号も不快信号が出る事も、どちらも良い事と感じるように出来ているようです(脳は良いー悪い・正誤の判断は出来ないようです)。従って、「退屈」を嫌い、より強い刺激を求めています。
アルコール依存・ギャンブル依存・薬物依存症等が該当します。

 エゴと脳は苦しい刺激や不快な刺激をも、気持ち良いと錯覚してしまい、ネガティブな自動的思考や自動的反応を反復してしまいます。
この思考病におちいると、刺激を求めるクセがついていますので、刺激がなくなると新しい刺激を求めて、エゴと脳は思考と感情を使い、思考に逃げ込んでしまいます。
本人が喜んでいればいいですが、苦しんでいるのに、エゴと脳は気持ち良いと錯覚していますので、ネガティブな思考(不安・恐れ・心配)や感情にはまってゆき、繰り返し、本当の私(意識)がいる今から離れた状態を作り出します。

この真実(エゴと思考により、自分自身に苦しみを作り、それでいて自分が苦しむべきではないと思っている)に気づいて、関心を持って、自分を観察して認知していくと、錯覚がこわれます。

人間の根源的な感情や脳のしくみについて、伝えてきましたが、人類の歴史によって作られた、ネガティブな感情はエゴと思考によるもので、本当の私(意識)ではありません。広大無辺の意識のほんの一部にすぎません。
そして、私達の住む地球は相対の世界(反対の極がある)であり、一方の極だけではその本質がわからないために、本当の私(意識)に対して、反対の極のエゴ(ネガティブを好む)が必要なわけです。
一方の極だけを求め、一方の極を排除する事は目指しても、出来ないのが相対の世界です。

 それではエゴが自ら生き延びるための戦略、エゴ(我)の共通項目をあげてみます。
人類共通のエゴ(我)は集合無意識として、誰もが持っているものだと思います。(濃淡はあると思いますが)

 ・この広い宇宙で、ポツンと一人だけで、存在すると思い込んでいる。
・あらゆる動機の底流は、不安・恐れ・欲望から成り立っている。隠れた動機は、特別でありたい。支配したい。力が欲しい。関心が欲しい。もっともっと欲しい。
・自分は常に不完全な存在。何かが足りないと思い込んでいる。従って完全完璧・完成をめざす(プラスの面もありますが)
・他人と比べる事。何かと比べる事を物差しとしている。
・自分の正しさを主張し、こだわる。自分の考えは人類80億分の1の考えにすぎない、とは思わない。結果として、対立や敵を作る事になる。
・抵抗する事。否定する事が、強さだと思っている。
・エゴ(我)は今にいられないため、今から離れる手段として、エゴ(我)は問題を好む。(考える事によって主導権がとれ、本当の私が在る今から離れる事が出来るから)
・エゴと思考が主導権をとっている。従って今回の人生の過去だけをアイデンティティとしているから、自動的思考(思考の思い込み・思考の決めつけ)自動的反応を繰り返す。この自動的思考、自動的反応を東洋では、カルマとよんでいます。
・エゴと思考によって、自分自身に苦しみを作っている。それでいて、自分が苦しむべきではないと思っている。
・エゴ(我)は現実を改ざん(否定・抵抗)して、ネガティブもしくはポジティブな状態を作りだす。etc

誰にも、当てはまる可能性がある、エゴ(我)人間の集合無意識を上げてみました。自分自身に当てはまる事があれば、気づく事が大切です。
人生とは何かを(大切な事)気づいていく事でもあるからです。気づくとは?本質を見抜く事です。

 人類共通の集合無意識に気づき、無意識と云うエゴに光を当てて(光を当てるとは意識を向けるということです)、顕在意識化していく事が現人類が進化していくために必要となってきます。

そのための三つのパラダイムシフトについて伝えていきます。

三つのパラダイムシフト ①「すべてはひとつ」

私達が人類の歴史により、記録されたDNAや血統、育ってきた環境によって抱えている、最も大きな誤解は「この広い宇宙で一人だけで存在している」と無意識で思い込んでいる事です。

私達は誰かと誰か(両親)が結び付いて、愛し合った事によって、形になってこの地球(世界)に現れてきます。そして両親を含む誰かに育てられて、一人前になり、誰かが作った食べ物を食べ、誰かが作った服を着て、誰かが作った場所(家)に住む事によって、生きていく事が出来ています。人は誰もひとりでは生きていく事が出来ない、助け合って生きていく事しか出来ない存在なのです。
そして源(サムシンググレート・絶対神)が存在している全てのものを関連付けて、結びつけているからこそ、今存在する事が出来ています。

私達の住む、水の惑星である地球は太陽と云う恒星がないと成り立ちません。二つの位置関係が、地球より近い金星でも、地球より遠い火星でも、人類は今存在出来ていません。そして生物が生きていくため必要な、液体であり固体にもなり、気体として蒸発・循環して情報を吸収出来る、人間の三分の二を占めている水があり、植物プランクトンや藻(海藻類等)によって、人間に必要不可欠な酸素が作られます。

又、食べるものの大半が作られる土は、岩石惑星である(地球)岩石の長い年月をかけての風化によって生まれた砂や粘土に、腐った動植物の遺体(栄養物)が混ざって土が作られます。その土に住む一万種類以上の微生物のおかげで、肥沃な土が出来るのです。その土で作られた食物のおかげで、私達は生きていく事が出来ています。更に植物と昆虫類のおかげで、私達が暮らす事が出来る、豊かな緑(森林や花等)の世界に広がっていったのです。まさに私達は全てつながった、源(サムシンググレート・絶対神)による完璧な秩序・完璧なバランス・完璧な調和が維持されている事によって、存在出来ているのです。

 この単なる偶然とか自然とかと云う言葉では、現しきる事が出来ない程の全ての環境が整った素晴らしい完璧な地球に、私達は三つの命を持って、一人になって生まれてきます。

 三つの命とは、宿命-運命-天命です。

宿命とは宿る命、命にすでに宿っているもの、今回生まれてくる時の前提条件のようなものです。いつの時代に何処の国で誰と誰の子供で性別を決めて等、事前に決めてきたもので、変える事が出来ない命です。従って親が子供を作って生んでいますが、子供が親を選んで生まれてくるのです。

運命とは運ぶ命、運命の大半は他の人々によって、又時には出来事によって、運ばれてくるものです。従って自分次第で、いかようにも変わっていく事が出来るのが運命です。

そして天命(天職)は今回の人生でやろうと事前に決めた目的・計画のようなものです。
この天命(天職)に気づくと、スムーズに実現出来るように、人生は導かれていきます。変えられない(すでにそうであるもの)宿命に抵抗せずに、天命に向かって(今回の人生で自分がやりたい事)進んでいくと、運命は切り開かれていくのです。

このように、私達は誰も一人・みんな一人ですが、みんな一つ・全ては1つの存在です。つながっています。ワンネスです。

現在の宇宙物理学で言われている、138億年前に全て1つだった私達が分裂(ビッグバン)して、空間や形となって、誕生と死(輪廻転生)を繰り返し、様々な体験をしていっているのです。
その体験を通して、全ては1つ・ワンネスを思い出していきます。

これらの深い真実を理解して、意識化していきましょう。深い真実を理解(顕在意識化)すると、「他人と比べる事・何かと比べる事を物差しにしている」無意識は、参考程度に比べる事はあったとしても、あまり意味がない事に気づきます。

 又、無意識で一人だけで存在していると思い込んでいるため発生する、あらゆる動機の底流にある「不安・恐れ・欲望」と云う動機が、本能的な不安や恐れは残っても、おおむね安心と云う動機に変わっていくでしょう。

欲望と云う動機も仏教で言われている「小欲知足」少しの欲で満足するようになり、概ねは満たされている動機に変わっていくでしょう。あらゆる動機の底流が、おおむね安心・安定-おおむね満たされているから組み立てられる、思考や感情・行動がいかに素晴らしいかを、味わえていく事になります。

 私達の集合無意識と云う「闇」に存在している「この広い宇宙でポツンと一人だけで存在している」から「全てはひとつ=ワンネス」と云う真理を意識(本当の私)と云う光に照らしていきましょう。
ひとりでも多くの人たちが「全てはひとつ」を意識化(顕在意識化)していけば、地球全体は愛と自由と至福と平和に満ちた素晴らしい世界に大きく変わっていくでしょう。
無意識という闇に存在していた、あらゆる動機の底流が「不安・恐れ・欲望」から「概ね安心・安定・概ね満たされている」に動機が変わっていくからです。

 三つのパラダイムシフト②「時間の絶対的真実に気づく」


二つ目のパラダイムシフトは時間の絶対的真実に気づくことです。

 エゴは思考を使って現実を改ざんして、ネガティブ(もしくはポジティブ)な状態を作り出そうとします。しかし、現実は中立であり今と云う1つの状態しかありません。変える事は出来ません。
そして、何かが起こる時、今以外に起こる事があるでしょうか?
自らのパワーやエネルギーを使って、感じたり・味わったりする体験をする時、今以外に味わったり、感じたりする事が出来るでしょうか?

過去は記憶に、記録されたすでにそうであるものであり、二度とそこに帰る事は出来ません。夢・幻のようなものです。
未来は予想(イメージ)・予測と云う、決して現実として現れることのない夢・幻のようなものです。

現実は今です。今はここです。そして体験する時間はいつも今です。
従って、いつも今を一番大切にしましょう。今といつも調和していましょう(苦しみは今との不調和だから)。

 ところがエゴは主導権をとるため、今から離れる手段として、思考を使い問題を好みます。ここで云う問題は、疑問を解く問題ではなく、現実もしくは過去・未来を良くないもの(悪くなるのでは?)と考えネガティブ思考にはまっていく。もしくは現状を退屈な(面白くない)状態と考えて、問題にしてしまう事を指します。時間(過去に帰ったり、未来を思ったり)に生きるのではなく、今にいる(今に在る)事を選ぶ事を習慣にしましょう。

エゴと思考が主導権をとっていると、いつも幻の時間を必要としますので、無意識のまま、今回の人生の過去をアイデンティティとします。思考の決めつけ・思考の思い込みに基づいた自動的思考・自動的反応というパターンによるジャッジを繰り返します。この状態では新しい発想や新たなアイデアが生まれにくい状態です。多くの人々はこの状態ですが、一部の人々は意識(本当の私)が今に在り、思考・感性をツール(道具)として使っています。

 例えば、人々を感動させる新たな音楽を作り出す、音楽家の人達が曲(メロディー)や詞が天から降りてくると表現しますが、意識が今に在り、思考・感性をツール(道具)として使えているからです。
スポーツ選手が新たな記録や劇的な活躍をした時に、ゾーンに入った状態だったと表現するのも、意識が今に在り、思考・感性をツールとして使えていた時です。
優秀な事業家が新たな事業や発想・アイデアを生み出せるのも、この状態だからです。

過去の人類に役立つ事を発見、発明した人達も意識(本当の私)が今に在り、思考・感性をツール(道具)として、使っていた人々です。

発明王と云われるエジソンは、私が成功出来たのは「研究室に時計を置いていなかったからだ」と言っています。この深い真意に気づいている人達は、どれぐらいいるのでしょうか?
時計を置いていないという事は、いつも現実である今という時に意識(本当の私)があり、思考・感性をツールとして使っていたということを意味しています。

時間は絶対ではなく、相対的なものと云う事を発見したアインシュタインは、時間は幻に過ぎないと言っています。

最新の科学や物理学では当たり前に証明されていますが、時間は光速等の速い乗り物に乗れば、地上と比べゆっくり進みます。この事実は昔話で伝わる、浦島太郎の物語が表しています。浦島太郎は助けた亀(亀型の光速の乗り物ーUFO)に乗って、竜宮城(宇宙)に行って一週間程度で帰ってきたと本人は思ったが、地球は誰も知り合いがいなくなる程、時間が進んでいた。そして土産の玉手箱を開けるとおじいさんになったと云う話です。

 又、重力の弱い所では、強い所と比べ時間は速く進みますし、重力が強いと時間はゆっくり進みます。高精密時計で実験した結果、地上とわずか500メートル上空とでも(スカイツリーの天辺)重力の強弱の違いによって、時間がズレる事が証明されたそうです。

 このように時間は場所によって違うのです。時間は空間(場所ー距離)と分ける事が出来ず、宇宙は時間と空間が交じり合って出来ています。時空として存在しています。

人間が作り出した、人間だけの素晴らしい浅い真実の地球時間は便利で正確で共通の世界を作りあげました。学術的にも重要です。しかし、それは絶対時間ではないのです。

もう一つ例を上げますと、私達の地球時間は太陽の回りを一周する事を1年(1歳)として、1年365日ー1日24時間、ズレが生じるので、4年に一度・うるう年1年366日を基準としています。
同じ基準を使って、太陽に近い水星に暮らしているとすると、太陽を一周(公転周期)するのに88日で1周します。地球人が1歳になった時、同じ基準だと水星人は4周はしているので4歳になっています。
太陽から遠い海王星に暮らしていると、太陽を一周(公転周期)するのに、165年かかります。この基準に当てはめると、現在の所、海王星人で1歳を迎える人々は誰もいない事になります。
このように、時間は空間(距離ー場所)と分ける事が出来ない、宇宙は時空として成り立っているものなのです。

そして、これら全てに共通して言える大切な事は、時間は何処にいても(水星・海王星・アメリカ・ヨーロッパ・日本等)いつも今=ここだと云う事です。

この深い絶対的真実に気づきましょう。

 私達は生活していくため、浅い真実(1年365日ー1日24時間)を活用して、便利で正確で共通の時間である時計の時間を基に暮らしていく事には変わりありませんが、深い真実に気づき、時間はいつも今を最も大切にして、生きていく事をお薦めします。時間=今=ここです。

 そして本当の私・意識が今に在ると本当に自分がコントロール出来る事は、今-考える(思考・思う事・イメージする)・今-感じる事(五感で感じる・第六感で感じる・第六感(シックスセンス)を越えた領域セブンスセンスで感じる)・判断、決断が必要なら、今-判断、決断する事・行動が必要なら、今-行動する事。

これくらいが私達がコントロール出来る事だと、気づくのではないでしょうか?

この三次元(地球)で私達が実在するのは?私(意識)が今に在る(私は在る)事・今に在る時だけ存在しているのです。時間の流れの中で、今-今-今が連続して続いているだけです(昨日は前の今・明日は次の今)。それ以外は、過ぎ去った過去も明日からの未来も、他人の事も病気や人々の生死のタイミングも今何が起こるかさえも(天変地異等)コントロール出来ないのです。
コントロール出来ない事は宇宙に任せて、コントロール出来る事だけに意識を集中させましょう。

 そうしていると大切な事に気づいていきます。それは自分自身にとって今がベスト。常にベスト。今が最高、常に最高。今が幸せ、常に幸せという事がわかってきます。

 階段を一歩ずつ上がっていく事を想像してみてください。今の時点より1つ下が昨日のレベル・10段下が1年前のレベル・100段下が10年前のレベル。1つ上が明日のレベルですが、明日は永遠に来ることはありません。来るときは現実として現れるのは、今の日である。今日となって初めて現れてくるからです。従ってあなたがいる今がいつも天辺であり、頂点ですからベストな状態なのです。今の時点で過去を振り返ると下に見える全てが未熟に見えるのは当然の事です。過去に何か失敗があったとしても、それがあなたのベストだったのです。

この深い真実に気づけば、反省はしても後悔する必要は全くなくなります。

人間が作り出した素晴らしい概念の時計の時間(地球時間)は守り、大切にすると共に、時間の絶対的真実である「時間はいつも今。今=ここ」に気づき実践していきましょう。

それが新たな人類の進む方向です。

 

三つのパラダイムシフト③「思考の決めつけ・思考の思い込みを超越する事を習慣化する」


三つめのパラダイムシフトは、人類最大の課題でもある思考の決めつけ・思考の思い込みを超越することを習慣化していくということです。

思考の決めつけ・思考の思い込みとは? 私達はこうあるべき、こうあってはならない、こうなったらどうしよう、こうなって欲しい等を基に作り出されるパターンの事です。

 この思考の決めつけ・思考の思い込みは人類全体の歴史・記録によって作り出されているパターンをDNAとして受け継いでいますし、今回の人生で特に影響力の強い母親(もしくはその立場に匹敵する人)の価値観や考え方も思考の決めつけ・思考の思い込みとして無意識ですり込まれています。また、今回の人生での様々な体験を基にしても思考の決めつけ・思考の思い込みが生まれます。

これらの思考の決めつけ・思考の思い込みを基に様々な出来事に対してジャッジ(判断・評価)を繰り返してきたことで、それぞれの思考パターン(ネガティブ・ポジティブ等)そして思考と感情は繋がっていますので、感情のパターン、その思考・感情のパターンに基づく出来事や状況等に対しての反応=ジャッジ(判断・評価)する事が出来上がってしまいます。この自動的思考・自動的反応は自動的・反復的に繰り返します。これらを一連してそれぞれ1人1人につくりだされているものが、思考の決めつけ・思考の思い込みの正体です。東洋ではカルマと呼びます。(大半の人はこの状態で人生を終わります)

私たちはそれぞれの思考の決めつけ・思考の思い込みによって様々なジャッジ(判断・評価)をしていますが、特に問題なのが正誤・善悪のジャッジ(判断・評価)をすることです。誰の中にもあるエゴ(無意識)は自分が知らない事をおそれていますので、正誤・善悪のジャッジを得意としていて、思考の決めつけ・思考の思い込みを基に結論を出そう、解釈しようとしたがります。

ところがこの世界(地球)の特徴である、肝腎なことには浅い真実とその背後に深い真実があることを伝えましたが、正誤・善悪に関しては浅いレベルでは私達の生まれながら持っている理性や知性によってジャッジ(判断・評価)できるのですが、深いレベルでは私達人間にはわからないのです。

 例を挙げてみますと

・戦争は正義と正義(どちらも正義と思っている)との戦いだと思いますが、戦争の勝者は常に正しく、敗者は間違っていると言えるのでしょうか?

・国を運営する正しい政党はあるのでしょうか?

・たくさんある宗教の中で、どの宗教が一番正しいのでしょうか?

・全ての正しさを答えられる人がいるのでしょうか?

これらを含め深い真実は人生に答えがないように、正誤・善悪という捉え方は出来ないのではないでしょうか?

しかし、人類は正誤・善悪のジャッジ(判断・評価)を繰り返ししてきた事によって様々な不幸や苦しみを作ってきました。

この深い真実を昔から伝えるため受け継がれている話が、アダムとイヴが善悪を判断する知恵の木から果実を食べたために、天国を追われた物語です。

エゴと思考がタッグを組むと、エゴは時には正義という言葉を使い、時にはプライドという言葉になって、自分の主張を通そうとしてきます。結果、対立や敵を作る事になるわけです。思考(考える)というツール(道具)は全人類に平等に与えられている素晴らしいツール(道具)であり、全て同じ思考をする人など存在しませんから、自分の考えは人類80億分の1の考えにすぎない事を理解しましょう。

思考という道具(ツール)はエゴに仕えると使い方によっては最悪の武器にもなりますが、人類の歴史を振り返れば認識できると思います。
本当の私達(意識)に仕えると最高の道具(ツール)になりますから。(時間の絶対的真実で伝えています。)

 また、今回限りの名前のついたあなた(エゴ)は否定する事、抵抗する事が強さだと思っていますが、否定する事・抵抗する事がいかに無意味であり、逆効果となることに気づく必要があります。

否定するとは? 認めないというジャッジです。
抵抗するとは? 受け入れないというジャッジです。

この否定する事、抵抗する事こそが、あなたの中のエゴがしている行為であり、自分の中のエゴは更に肥大化していきます。

無意味であり逆効果なのは、認めない・受け入れないとジャッジしている事はもうこの世界(地球)に現実として現れてきているものだからです。
その既にそうであるもの・現実を否定・抵抗すると、その否定するもの・抵抗するものに、エネルギー・パワーを与える事になり、その対象がより強化されることになるからです。否定・抵抗すると自らのエゴは更に肥大化していき、否定・抵抗した対象をも強化(パワーアップ)していく事になるからです。この深い真実に気づきましょう。

私達が思考の決めつけ・思考の思い込みを超越することを習慣化していくためには、正誤・善悪・否定肯定・受容非受容の区別をしない事を心がけていきましょう。なぜなら、これらの区分けは無意識というエゴと思考(道具)がしていることだからです。

それでは私達にとってふさわしいジャッジ(判断・評価)とはどういったジャッジでしょうか?それはエゴが確立する前の赤ちゃんや小さい子供達が答えを教えてくれています。

赤ちゃんのジャッジは自分にとって快か不快かだけです。快適だから笑っていますし、不快(お腹がすいた・おむつが汚れた・眠たい等)だから泣いて表現します。小さい子供達は快か不快かに加えて、自分にとって面白いかどうか(関心がある・興味がある・好奇心がある)のジャッジです。

私達も見習って自分にとって気分が良いか・気持ちが良いかどうか、自分にとっておもしろいかどうか(関心がある・興味がある・好奇心がある)のジャッジで充分ではないでしょうか。更に加えるとしたら、エゴの個性と云える好きか嫌いかまでで留めましょう。
そして自分にとって面白い(関心がある・興味がある・好奇心がある)事をしていると、夢中・無心の状態となり、楽しさを感じます。更に楽しさの奥に私達の本質から喜びという感情が溢れ出てきます。

この快か不快かやおもしろいかどうかはエゴと思考ではなく、感性から湧き上がってくるものなのです。私達の本質は思考(道具)ではなく感性とつながっているのです。

この事実に気づいたら、思考(思考の決めつけ・思考の思い込み)から本当の私(私達)である意識をできるだけ開放して、感性の方に意識を向けていく事を心がけましょう。
その方法が瞑想(マインドフルネスを含む)であり、禅であり、気功やヨガ、アファメーションや祈り等があります。

そしてなかなか気づかないかもわかりませんが、苦しみや不幸は人生で起こってくる出来事や状況が原因だと思いがちですが、その出来事や状況に対して、それぞれ1人1人に作り出されている思考の決めつけ・思考の思い込みによるジャッジ(自分にとっての善悪・正誤・肯定否定・受容非受容・損得・好き嫌い等)によって苦しみ、不幸が発生します。
従って同じ出来事が起こっても、それぞれの人の思考の決めつけ・思考の思い込みによる解釈によって、考え方や感じ方が違ってくるのです。

実は人生におこってくる出来事(事実)、人生の状況(事実)は常に中立なのです。事実、現実は常に中立です。

例えば全ての人間にとって天変地異は良くない事と思いますが、宇宙(自然)にとっては変化(破壊と再生)は普通の出来事なのです。私達は出来事や状況に対して、それぞれの思考の決めつけ・思考の思い込みに基づく解釈の仕方によって、苦しみや不幸を感じたり、また楽しさや嬉しさを感じたりしています。この深い真実に気づきましょう。

気づいた上で人生は様々な体験の場ですから、喜んだり楽しんだり、また悲しんだり苦しんだり悩んだりの感情を味わっていきましょう。

思考の決めつけ、思考の思い込みを超越することを習慣化していくとは? 無意識というエゴ(今回限りの名前のついたあなた)と思考(道具)が本当の自分だと思っている錯覚(幻想)に気づき(気づくということは本質を見抜くことです)本当の私達(あなた)=意識に思考が道具(ツール)として仕える事を意味しています。

 
三つのパラダイムシフトについて伝えてきました。「全てはひとつ」を意識化していき、「時間の絶対的真実」に気づき、「思考の決めつけ・思考の思い込みを超越することを習慣化」していく事によって、人類は戦争を含む争い事や貧富の差はあるとしても、飢餓に苦しむ人たちが存在する不平等な社会はなくなっていくでしょう。

 そして更に人類の進む進化の方向を理解するためにも、本当の私達は何者なのか?に気づいていく事が大切になってきますので、本当の私達は何者なのか?について詳しく伝えていきます。


それでは形を持たない、大いなる偉大で無限で永遠の存在である本当の私達とはいったい何者でしょうか?


更に詳しく伝えていきます。

 形を持たない私達は、ずっと過去から存在し続け、これからも未来永劫、永遠に存在し続ける、身体でもなく、思考でもなく、言葉でもなく、感情でもない、意識です。物理学者が発見したように、物質の本元、体はエネルギーです。量子力学で明らかになったように、全ての本元は波動です。

私達は意識・エネルギー・波動という言葉になります。

私達は波動です。それぞれが特有の周波数を出して、振動している波動ですから、決して破壊する事の出来ない、従って決して滅びる事のない、また決して新たに創り出す事の出来ない存在です。

そして私達は自分達の中に、それぞれが全てをエネルギーとして持っています。そのエネルギーの中で大切なものを言葉に変換しますと、過去の体験やあらゆる情報。無限の能力・無限の力、柔軟性。あらゆる可能性や無限の創造性。純粋な知識や無限の知恵(叡智)・理性・知性。そして神の心。神の心とは、愛や感謝や自由、富や豊かさ、幸せや健康で元気、安心や究極の喜び、勇気、究極の平安や究極の安らぎ、調和や平和、至福等、全てをエネルギーとして持っています。

そしてそれらのエネルギーを使って、今回の人生を形づくり、形として現れないものは、体験を通して味わったり、感じたりしてきています。従って私達はそれぞれが、自分の人生を創っていく事が出来るクリエーター、創造者ともいえます。私達は創造者です。

そしてなかなか気づかないかもわかりませんが、私達は宇宙意識(宇宙生命)という1つの生命とつながっています。ワンネスです。ひとつのものです。1つの生命とは、生き続ける命、永遠に終わる事のない、サイクルの事です。

そのことに気づくと私達はこの宇宙とも1つ、神とも1つの存在だと気づいていきます。それぞれの中に神が存在しています。(神とは、人間の最高形を現した言葉と、限定して使っています)
そして、この宇宙・宇宙意識(宇宙生命)、私達意識エネルギー波動の背後には、全てを包み込む存在。

言葉にすれば、源・ソース・統一場・絶対神(神を創りだした神)・サムシンググレートが存在しています。(このサムシンググレートの事を以下源と統一して使います)

源とはこの森羅万象と云われる宇宙の全てを創造し、宇宙の全てを創り出した本元です。設計者です。宇宙の法則そのものです。

 それでは源が造り出した宇宙はいったいなにで出来ているのでしょうか?

この宇宙の大半は無限と云う空間で出来ています。

この空間こそ大切な場ですが、現人類では全く理解できていませんので、宇宙物理学ではダークマター、ダークエネルギーと呼ばれています。現在の宇宙物理学で確認されているのは、宇宙全体の68%がダークエネルギー、27%がダークマターだと云われています。

そして後のごくごく一部5%が形で出来ています。この形の世界が超銀河団であり、銀河団であり、銀河群であり、銀河であり、数限りなく存在する銀河のひとつの天の川銀河であり、天の川銀河に属する太陽系であり、太陽系に属する地球であり、地球に属する様々なもので出来ています。これらを万物と呼びます。

源は宇宙の大半を占める宇宙物理学で云われているダークマターやダークエネルギーはもちろん、ごくごく一部の形の世界=万物、そしてこの両方に属している私達意識エネルギー波動、これら全てを造り出した本元です。従って私達の生みの親、本当の親が源です。

 この源と私達の関係を表現した美しい歌(歌詞)があります。「jupiter」という歌詞から引用すると、

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない、深い胸の奥でつながっている。源と繋がっています。
私達は誰もひとりじゃない、ありのままでずっと愛されている。源から愛されています。
源と私達の関係を表現しています。

本当の私達とは何者かに気づき、理解するためには、私達の本当の親である源の存在に気づき、理解する事が大切になってきますので、源の特徴について伝えていきます。

 源の特徴をコンパクトにまとめますと、

 特徴1.
源は宇宙で創造した全てのもの。大切な場である宇宙物理学で呼ばれているダークマターやダークエネルギーである無限の宇宙空間はもちろん、形の世界である、超銀河団や銀河団、銀河群、銀河そして数限りなく存在する銀河の1つの天の川銀河、天の川銀河に属している太陽系、太陽系に属している地球、地球に属している全ての生き物、全ての人々、全ての動物・植物・鉱物、ありとあらゆる自然、これら全てを無限に組織化しています。全てを関連付けて全てを結びつけています。この宇宙には唯一単独で存在しているものなど何1つなく、全てが繋がっています。ワンネスです。全てはひとつです。
この宇宙も目には見えませんが、宇宙物理学ではコズミックウェブと呼ばれていますが、全てが蜘蛛の巣状に張り巡らされて関連付けられ、結びつけられています。地球も同様です。全ては繋がっています。

 特徴2.
源は宇宙で創造して創り出した全てのものを養い、育て、成長させています。私達も使って。

 特徴3.
源は完璧な秩序、完璧なバランス、完璧な調和で成り立っています。宇宙もそうです。ワンネス(1つのもの)ですから。
私達もそうです。ワンネス(1つのもの)ですから。完璧な秩序、完璧なバランス、完璧な調和で成り立っています。

特徴4.
源は何も不足していません。必要なものは全て持っていますし、新たに何でも創造して創り出す事ができますので、完全完璧な存在です。宇宙も完全完璧です。ワンネスですから。そしてなかなか気づかないかもわかりませんが、私達もあるがままで、ありのままで完全完璧な存在です。ワンネスですから。

特徴5.
源は全てですから、形として現れる事はありませんが、無限の空間(私達がいる所・帰る場・再び現れる場)と永遠の時間を持っています。永遠の時間とは、時間のない今の事です。今・今・今が連続して永遠に続いていきます。宇宙は時間と空間、時空として成り立ち存在しています。

 特徴6.
源は無敵です。無敵ですから不滅です。不滅ですから永遠に存在し続けます。私達も同じです。ワンネスですから永遠に存在し続けます。

 特徴7.
源は宇宙で創造した全てのものを進化の方向に導いています。私達の進んでいる、向かっている方向は進化の一方向に進んでいます。進化とは意識が高くなっていくという事です。別の表現をすると時間が経つにつれて全ての面で良くなっていくという事です。

そして源自身も常に拡大-成長-変化(破壊と再生)-発展-進化を続けています。私達も使って。

 これがコンパクトにまとめた源の特徴です。

 

私達はいつでも、源の元に帰る事が出来ます。ワンネスですから、1つになります。夢を見ることのない深い眠りに入った時・堕ちた時がそうです。私は8日間体験しました。1つになって、清められます。

そして離れ(分裂)たり、1つになったり、離れ(分裂)たり、私達は様々な形に、変える事が出来ます。いわば何にでもなれると云う事です。今回は人としてそれぞれの姿・形をしています。
次回は、美しい歌(歌詞)、私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。死んでなんかいません。から始まる「千の風になって」で例えますと

 千の風になって、大空を吹き渡ることも、星になって光輝くことも、望むならばきれいな花になることも、人として生まれ変わることも、自由自在です。
何故なら、私達-意識のエッセンスの一つは自由だからです。自由とは、自ら由しと書きます。自ら由しとは、自分で考え、自分で判断し、自分で行動し、自分で結論を出し、自分で成りたいものになる。全て自由です。

人生もそういう風に、出来ています。

自由とは、何の定めもなければ、何のとらわれもない。何の分類もなければ、何の制限もないと云う事です。それらをしているのは人間の誰かです。
従って、自分自身にレッテルを貼らない。レッテルを貼らないとは?思考の決めつけ・思考の思い込みをしない事です。他の人々に対しても、思考の決めつけ・思考の思い込みをしない。状況や出来事、あらゆる物事に対しても、思考の決めつけ・思考の思い込みをしない事が肝腎です。思考の決めつけ・思考の思い込みをすると、こだわり、とらわれ、しばられる執着が生まれ、自由とは程遠い状態になってしまうからです。又思考の決めつけ・思考の思い込みと云う檻を自分自身に作ってしまうため、限られた檻の中で生きていく事になるからです。

 そして自由で最も大切なエッセンスは、自由とは、自分自身にとって、何が一番大切なのか?何が大事なのか?を選んでいけると云う事です。選んでいけると云う自由を与えられているわけですから、自分自身で選び続けると云う事です。自由で最も大切なエッセンスです。

 そして、もう一つの意識のエッセンスは至福です。至福とは、幸福には理由がありますが(素晴らしい仕事や大金の獲得や満足する人間関係等)至福とは、ただただ存在しているだけで、幸せの絶えない状態です。幸せの最上級です。私は今に在るだけで至福。生まれてきた事に幸せを感じ、今生きている事が幸せ。
幸・不幸を超越した場に存在する、幸せの最上級の至福のエッセンスとは、全く不安のない究極の平安、究極のやすらぎと云う絶対的安心感がずっと続いていく永遠の安心を味わい感じていることが至福です。
全てはひとつから発生する自分の外側で起こる出来事や状況と自分の内面(心)と今と云う唯一の現実との完璧な調和を味わい感じている事が至福です。
最高の喜び、最高の幸せと云うエクスタシーがずっと続いている永遠の満たされた状態を味わい感じている事が至福です。
平和がずっと続いている永遠の平和を味わい感じている事が至福です。

これらが至福のエッセンスです。

 そして私達のもうひとつの呼び名である愛と至福は表裏一体の関係にあります。1枚のコインの表裏のように1つに溶け合って存在しています。
私達は様々な人生の体験を通して様々な愛を体験して愛を学んでいきます。(人生とは愛を学んでいくことでもあります)
愛にはたくさんの愛が存在しています。特定の一個人に対する愛もあれば、家族に対する家族愛もあります。友人や親しい人達に感じる友愛や人類全体に対しての人類愛も存在します。仕事に対する仕事愛や自分自身が興味のある音楽やスポーツ等の趣味や関心があるものへの愛もあります。
そして人間以外の他の生き物に対する愛もあれば、自然に対する愛、地球や宇宙に対する愛、全ての本元である源に対しての愛もあります。

そして最も大切な愛、それは自分自身を愛することです。私達は人生の様々な出来事を通じても様々な愛を体験していきます。そして愛する事(愛でる・愛しむ)を通じて愛のエッセンスに気づいていきます。

愛のエッセンスとは? 愛とは(愛する・愛でる・愛しむ)何も求める事もなければ、何も恐れる事もありません。ただただ純粋に愛する(愛でる・愛しむ)事が愛のエッセンスです。愛は与えても与えても尽きることがないものです。それは無尽蔵の愛・無償の愛・無条件の愛と云えるものが愛のエッセンスです。
そしてその純粋な愛はやがて大きな愛・偉大な愛・無限の愛・究極の愛・最高の愛・永遠の愛になっていきます。私達そのものになります。これが愛のエッセンスです。

至福と愛は1つに溶け合って存在していますから、私達のエッセンス-至福に気づきつながると、愛は純粋な愛になっていきます。

また、何も求めず、何も恐れず、ただただ純粋に愛する(愛でる・愛しむ)事で、何も求めない、何も恐れないからこそ味わい感じられるのが、最高の喜び・最高の幸せの至福、今との完璧な調和の至福、永遠の安心・永遠の平和という至福を味わい感じる事が出来るのです。これが私達の正体です。

私達は自由・愛・至福(平和を含みます)と云うエッセンスを持っている意識です。みんな同じです。同じ1つのものです。

そして全てをエネルギーとして持っている波動ですから、それらのエネルギーを使って今回の人生を形作り、人生を体験していますので、その表面的な姿・形、性格などが違って見えているだけです。

そして、形を持たない本当の私達はそれぞれの身体の胸の奥、言葉や思考や感情が出入りするインナーボディーよりも更に奥のインナースペース(内なる空間)・内なる宇宙に存在しています。魂とも呼ばれています。魂という言葉を一般的な具体的な言葉で表現すると、自由・愛・至福(平和を含みます)と云うエッセンスを持った意識です という言葉になります。物理的な言葉で表現すると、全てをエネルギーとして持っている波動です という言葉になります。ざっくりと表現すると、大いなる偉大で無限で永遠の存在という言葉になります。これが本当の私達=本当の私=永遠に存在し続ける実在の私です。

そして、今回の人生が終わるとき、肉体が滅びる時・思考も言葉も感情も、今回限りの名前のついたあなた(私)=エゴも、肉体と共に消滅します。溶けていきます。溶けてなくなります。溶けてなくなると内なる空間・内なる宇宙と外なる空間・外なる宇宙の境界がなくなりますから、私達は目覚めます。私達は今回の人生が終わったとき(死んだ時)に目覚めます。本当の私達はこれほど軽やか(自由)で愛に満ちあふれた至福の存在だと気づきます。

それと共に私達は宇宙の旅人だったと気づきます。私達はこの地球という星に約100年の宇宙旅行に来ていた存在であり、1つの旅を終えて、元いた場ふるさとである、宇宙生命・宇宙意識の元に帰っていきます。

帰って行く時、持って帰れるお土産は、思い出と想い出だけです。私達は今回体験してきた事を記憶の中に記録として保存しています。大半の記録は忘れていきますが、その体験した出来事に楽しかったとか嬉しかったとか辛かったとか悲しかったとかの感情を伴って記憶の中に記録されると思い出として残っていきます。そして一生忘れることが出来ない程のとびっきり素敵な出来事にその感情が伴って記憶の中に記録されている事柄を想い出と呼ぶそうです。私達は思い出と想い出をお土産に、1つの生命であり故郷である宇宙生命・宇宙意識の元に帰っていきます。

そこで宇宙生命・宇宙意識と源とひとつになり清められます。

そして充分に清められたら、新たな宇宙の旅、新たな人生、新たな生活を計画して、この無限の宇宙のどこかで新たな旅、新たな人生、新たな生活が始まります。

これが私達はどこから来てどこに帰るのか?どこに行くのかという事です。私達は1つの生命です。1つの生命とは、生き続ける命であり、永遠に終わることのないサイクルのことですから、この誕生と死(輪廻転生)を繰り返します。従って私達は初まりもなければ、終わりもない存在とも言えますし、至福な(幸せの最上級)未完了・未完成の状態が永遠に続く存在ともいえます。

ここまで伝えてきました、深い真実に気づき理解すると共に、理解出来なくても知っているだけで充分です。知識はやがて具現化していきますから。今回1回限りの人生をいかに楽しみ喜び感謝し、幸せな人生を味わい感じ作っていく事になります。

私達は今、地球という星での旅行中の存在ですから。旅行の目的は何でしょうか?それはみなさんもわかっているように楽しむためです。楽しいとは幸せということです。そしてもう一つの目的は、様々な体験を通して大切な事に気づいていく事です。さあ、この真実に気づいたら残された地球時間を精一杯生きて、精一杯楽しみましょう。

そして大切な事に気づいたと思いますが、私達は今回の地球旅行に来る時、何も持たずに裸で生まれてきます。そしてまた、何も持てずに(持って帰れるお土産は思い出と想い出だけです)元居た場所ふるさとである無限の宇宙空間の宇宙生命(宇宙意識)の元に帰っていきます。

この深い真実に気づいたら、あなたの持っているものを与えましょう。次の世代、身近な人達に渡していきましょう。

物でもお金でも時間(労働)でも賞賛でも知識でも優しさや親切心、笑顔、気遣い、思いやり、感謝、情報等、あなたの持っている全てを次の世代・身近な人達に渡していきましょう。与えましょう。

私達も今、祖先を含む先人から様々なものや知識、知恵等を受け取って暮らしていくことが出来ています。それらを含め、今回あなたが人生で体験してきた大切な気づきや知識や知恵、財産等を次の世代・身近な人達に渡していく、繋げていくことが私達の役割だからです。

 また、本当の私達は何者なのか、どこからきてどこに帰るのかを理解(知識で知っている)すると、真の安心が得られる、感じられるのではないでしょうか?真の安心とは、「生きても良し、死んでも良し」の境地に達することではないかと思っています。

今回の人生を思いっきり生きて楽しんで、やがて必ず旅の終わりが訪れますから、今回の人生が終わったら、次の人生(旅行)で続きを計画して体験していけばいいわけですから。ひとりでも多くの方々が真の安心を得られたら、感じられたら嬉しい限りです。

 

人類の進む方向

 私が伝えたかった事、本当の私達とは何者なのかを理解すると、私達は全てひとつの存在ひとつの生命であることに気づきます。(みんなひとりだけど、みんなでひとつです)

この深い真実を地球上の多くの人々が気づかないかぎり、戦争を含む争い事や貧富の差による飢餓に苦しむ人達が存在する、不平等な社会はなくならないのではないでしょうか?人と人とがみんなお互いを尊重(リスペクト)しあえる世界には到達できないのではないでしょうか?

現人類は平均的に顕在意識5%・潜在意識95%の割合の状態だと心理学者は言っています。別の言い方をすれば、本当のあなた・私(意識)5%・今回だけの名前のついたあなた・私=エゴ(無意識)95%。エゴと思考が圧倒的主導権をとっている状態が平均という事です。本当のあなた・私の95%は眠ったまま生きているのです。
何か大切な事に気づくと、無意識(潜在意識)が意識化(顕在意識化)されて、本当のあなた・私である意識の一部が目覚め5%の顕在意識の割合が増えていきます。

従って人生とはあらゆる体験を通して気づいていく(目覚めていく)事でもあります。これが本当の私達、大いなる偉大で無限で永遠の存在であり、自由と愛と至福(平和を含みます)のエッセンスをもった意識を知っていくという事です。本当の私達をこの世界(地球)に現していく(出現させていく)という事です。

 言葉は道しるべにすぎませんが、言葉によっては言霊になる場合があります。神社の御神体として「鏡」が置いてあります。鏡は自分自身を写し出しますが、それは「鏡」かがみは、が(我・エゴ)が、かみの真ん中で、かみを隠している状態です。が(我・エゴ)が取り除かれれば、人間の最高形であるかみ(神)が現れます。

私達は本当の私達(人間の最高形の神)と1回限りの名前のついたあなた・私(我・エゴ)と二つでひとつ、プラス体との三位一体で出来ています。その姿を鏡を通して見ています。

自分自身の中に存在する我(エゴ)に気づき(見抜き)、意識化して目覚める事によって本当の私達(人間の最高形である神)をこの世界(地球)に現して行くことが、これからの人類全体が進んでいく方向(道)なのです。

それはこの世界(地球)に不安、恐れのない安心で満たされた、全てを受け入れ全てを笑える、そして全てを愛せる(愛でる・愛しむ)愛と自由と至福(幸せの最上級)と平和の世界をみんなで造って行く事です。全てがひとつ(ワンネス)の世界です。

それが地球全体が進んでいく進化の方向です。

あとがき

形を持たない本当の私達は言葉や思考では見つける事も確認する事も、計り知る事も収まりきることも出来ない、大いなる偉大で無限で永遠の存在です。従って、私が体験を通して伝えている事は、全ての中の一部の真理にすぎません。一部の真理です。全てを知る事、わかる事は出来ないのです。

理由は二つあります。1つは言葉です。言葉は情報伝達ツールであり、道しるべにすぎません。また、言葉の役割は全ての中の何かを限定して伝えて行く事が言葉の役割です。言葉を使う限り、どんな言葉を使ったとしても全てを言い表すことは出来ないのです。「すべて」の3文字で終わってしまい、それでは意味は伝わらないからです。

もう1つの理由は、本当の私達はこの宇宙と1つの存在です。繋がっています。ワンネスです。従って本当の私達の全てを知る事、理解する事とは、宇宙の全てを知る事、理解する事と等しい事になります。今回の宇宙にしても138億年前から今も尚加速しながら広がり続けていると言われています。この宇宙の全てを知っている、理解している人など誰ひとり存在していませんし、私が思うに宇宙の全てを造り出した本元の源さえも、この先宇宙はどうなっていくのだろうとワクワクしながら観察していると思いますよ。なぜなら、全てわかっている事、全てが確定している事ほどおもしろくない(つまらない)ことはないからです。楽しくないからです。

もし、私達が自分の人生がこの先も決まっていて、変わることなく確定していて、その事を自分自身が知っていたとしたらそんな人生おもしろいでしょうか?楽しいでしょうか?私達はこの先どうなっていくのかわからないから、ワクワクしながら生きていけるのではないでしょうか?従って知らない事、わからない事に安心しましょう。全てはわからないのです。

だからこそ、これからも何百回、何千回、いやそれ以上に生まれ変わり(輪廻転生を繰り返し)本当の私達を知っていく旅はこれからも永遠に、そう永遠に続いて行くのでしょう。永遠に。その事を申し添えておきます。

 
最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

LOVE is you

LOVE is me

LOVE is the Everything

 

Seiでした。

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