【テキスト版】巻3(6)少将都還

前回のあらすじ
清盛が厳島神社を修復することで現在の栄華が得られたということと、少し昔の怨霊の話が語られました。

さて、鬼界島から赦されて戻る途中の藤原成経と平康頼だったが、海が荒れるので年明けまでは肥前国鹿瀬で待機していた。年が明けてすぐに京へ向けて出港したものの、やはり海上は荒れていて、十日余りかけて備前の児島にたどり着くのだった。備前の児島と言えば、成経の父成親が流罪となっていた場所。その住まいの跡を訪ねてみれば、竹の柱や古びた障子などに成親が手すさびに書きつけていたものが見られた。

「ああ、人の形見として、こうして書きつけられたものに優るものはない。こうして書きつけておいてくださっていたから、見ることができるというもの」と成経は康頼と二人で読んでは泣き、泣いては読んだ。

「安元三年七月二十日出家。二十六日信俊が来た。」と書いてあり、源信俊が訪ねて来てくれていたこともわかった。そばの壁には「三尊来迎。極楽往生は疑いなし」とも書いてあった。

「ああ、父上は極楽往生を望んでおられたのだ」と、限りない嘆きの中にも少しほっとした気持ちでそれを読み、墓を訪ねてみると、松が一叢あるなかに土を少し盛ってあるだけで墓ともわからない様子である。

成経は生きている人に言うように「亡くなったということは、遠い鬼界島でかすかに伝え聞いておりましたが、駆けつけることも叶いませんでした。何とか二年を過ごし、今、京に戻れる嬉しさももちろんですが、父上がここで生きておられたということを確認できたことこそ、今まで命を長らえた甲斐があったというものでございます。ここまでは急いで参りましたが、今日からは急ぐ意味もないのでゆっくりと戻ります」としみじみ語って泣くのだった。

生きておられたなら、泣いている成経に「どうした」と声をかけてもくれるだろうに、この苔の下で誰が応えてくれるというのか。ただ松の枝が風に騒ぐばかりである。

その夜は、康頼と二人で経を唱えながら墓の周囲をめぐり、夜が明けると新しい墓を築いて、柵を巡らせ、その前に仮屋を建てて七日七晩念仏を唱え、写経をし、その後大きな卒塔婆を立てて菩提を弔うのだった。本当に、子に勝る宝はない、と涙を流さない者はなかった。

「もうしばらく念仏を唱えていたいのですが、京に待つ人たちも寂しがっていると思うので。またきっと参ります」と父の霊魂に別れを告げて、泣く泣く立ち去る成経だった。父成親も、草葉の陰で名残惜しく思っていたことだろう。

三月になり、一行は鳥羽に到着した。亡き父・成親の別荘が鳥羽にある。もう何年も住む人もなく荒れ果てていて、庭にも苔が深く生えていた。池のほとりを見回せば、風に白波がしきりに立って、そこを紫の鴛鴦や白い鷗が歩き回っている。昔にぎやかだった頃を思い出すと涙ばかりが溢れてくる。

「父上はこの戸からこうやって入ってこられたんだった」「あの木は父上がお植えになった木だ」などと何を見ても亡くなった父成親のことを思い出す。三月なのでまだ花の名残が残っている。

桃李不言春幾暮
煙霞無跡昔誰栖

桃や李は幾たびの春を過ごしたかを言わない。霞はたなびいているが昔誰が住んでいたかを教えてはくれない)

ふるさとの花のものいふ世なりせばいかに昔の事をとはまし
(古びた故郷の花と会話ができたなら、昔の事を語り合うのに)

古い歌を口ずさむ成経に、みんな涙を流すのだった。

やがて夜も更けてきたので後ろ髪を引かれる思いで出発し、京に到着した。京に着いてからも成経と康頼はなかなか別れがたい。つらかった島での暮らし、舟の中・波の上での長い旅、前世の縁も浅くはなかったと思い知った二人である。

さて、成経は舅である平教盛の邸に向かう。成経の母は山の寺にいたが、昨日から教盛の邸で待っていた。そうして、成経の姿を見るや「ご無事で…」とだけ言って衣を被って臥せるのだった。

教盛の邸には女房や侍たちが集まって、死んだ人が生きかえったように嬉し泣きをしていた。ましてや成経の北の方や乳母たちはどれほど嬉しかったことだろう。乳母の黒髪はすっかり白くなっていた。北の方はあれほど美しいかたであったのに、すっかり瘦せ衰えて、同じ人とも思えなかった。成経が流罪と決まった時に3歳だった若君はすっかり成長して髪を結えるほどになっていた。そして、そのそばに3歳くらいの幼い人がいる。成経が「この子は?」と聞くと、乳母が「この子こそは…」とだけ言って涙を流すのだった。流罪が決まった時、北の方が苦しそうにしていたが、そうか、この子が、よくぞ無事に育ってくれた、と思うにつけ、愛おしくてたまらなくなるのだった。

成経は以前と同様に後白河法皇にお仕えすることができ、宰相中将に昇進した。康頼は東山に自分の山荘があったので、そこに落ち着くことになり、まずこんな歌を詠んだという。

故郷の軒の板間に苔むしておもひしほどはもらぬ月かな
(故郷の軒の板屋根は苔がたくさん生えていて、思っていたほどの月の明かりは洩れてこない)

そのまま、そこに籠って、つらかった頃を思いながら「宝物集」という仏教説話を書いたという。

【次回予告】
たった一人、鬼界島に残された俊寛はその後どうなっていくのか。次回は俊寛のお話です。


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