【テキスト版】巻2(6)教訓(7)烽火
前回までのあらすじ
鹿谷で平家討伐の陰謀を企てていた首謀者とされる藤原成親の長男・成経は、清盛の弟教盛の娘婿である。教盛は成経の身柄を預からせて欲しいと清盛に訴え、どうにか認められるのだった。
清盛は、このように鹿谷に集まっていた人々を捕らえても、まだ納得いかなかったのだろう、武装して門の前に出てきて、腹心の部下を呼ぶ。
「お前はどう思う。わしは後白河法皇のために何度も戦に向かい、命がけで法皇をお守りしてきた。なのに、藤原成親というつまらぬ男や、西光という身分の低いくだらん男らが言うことを真に受け、我が平家一門を滅ぼそうなどとお考えになる法皇さまが、わしは恨めしい。これから先も讒言を申すものがあれば、平家追討の院宣を下されるのではないかと思うのだ。そんなことになれば我々は朝廷の敵。そうなってからいくら後悔しても始まらぬ。わしはもう法皇さまへの奉公は断念した。世を鎮める間、力づくでも、法皇さまを鳥羽の邸にお移しするか、この邸に来ていただこうかと思うのだ。」
それを聞いた家臣のひとりが、急いで重盛の邸に走る。
「清盛さまは既に武装され、侍たちも攻め込む準備をしております。世を鎮める間、後白河法皇さまを鳥羽にお移ししようと言われましたが、本心では九州の方へお流ししようと考えておられます」
という言葉を聞いて、重盛は俄かには信じられない様子だったが、急いで清盛のところに向かう。
清盛の邸に着いてみると、たしかに平家一門の公卿や殿上人たちも武装し、諸国の受領や役人たちも廊下から庭からびっしりと集まって、今にも出陣するような気配である。
そこに重盛は普段通りの優雅な姿で進み入るので、それは不似合いな光景だった。清盛は「また重盛は、我々がしようとしていることを軽んじるようなふるまいをする。」とは思ったものの、重盛は、仏教においては戒律を守り、儒教においては徳を乱さぬふるまいを常日頃からしている人間である。
その重盛に対して、このように荒々しい姿で対面するのはさすがに気が引けたのか、清盛は慌てて絹の法衣を羽織ったが、胸板の金具がちらちら見えるものだから、それを隠そうとしきりに衣の胸を合わせようとするのだった。
重盛は、弟宗盛卿の上座にお座りになる。清盛は何も言い出す気配はなく、重盛もまた何も言わない。
しばらくして、清盛が「成親卿の謀反はどうでもいいことだが、すべて後白河法皇が企てておられたということが問題なのだ。世を鎮めるしばらくの間、法皇さまを鳥羽にお移ししようと思うのだが」と言うと、重盛はその言葉が終わらぬうちにはらはらと涙を落としたのである。清盛がどうしたことかと見ていると、少しして重盛は涙を抑えながら言う。
「今のお話を伺って、もはやご運も尽きはじめたと思いました。運命が傾き始める時というのは、必ず悪事を思い立つものです。今の父上のご様子は現実とも思えません。太政大臣の位にまで至った人が甲冑をまとうなどということは礼儀に背いてはおりませぬか。しかも父上は出家なさった身。仏教においては戒めを破る行為であり、儒教においても法に背くことになります。
親に対してこのようなことを申し上げるのは恐れ多いことですが、言わずにおくような話でもございません。
父上が先祖にも例のない太政大臣という最高の位に就かれましたのも、無能だと言われるこの重盛ですら大臣の位をいただけましたのも、国の半分以上が我が一門の所領となりましたのも、すべては朝廷のご恩ではありませんか。今、そのご恩を忘れて、法皇さまを思いのままにしようとすることは、天照大神をはじめとする神々の御心にも背くことになるでしょう。
日本は神の国です。神は道理の通らないことはお引き受けにはなりません。ですから、法皇さまのお考えもきっと道理があるのです。我が一門は代々の朝敵を征伐し、国中の反乱を平定したことは誰も及ばない忠義ではありますが、それを自慢するのは傍若無人とも言えるものです。
聖徳太子の十七条憲法には「人には皆心があり、それぞれこだわりもある。正しいだの誤っているだのと、誰が決められようか。相手が怒るなら、自らに過失がなかったかを省みて慎め」と記されています。それでも我が平家一門の命運が尽きていないから、法皇さまのご謀反が見え始めてきたのです。
それに、法皇さまのご相談相手だった成親卿を捕らえているのですから、法皇さまがどんなことを考えておられたとしても、恐れることはありません。処罰を終え、法皇さまにはきちんと報告し、これまで以上に忠義を尽くし、民をさらに慈しむようになされば、神仏の御心にも叶い、法皇さまもきっと思いなおされるはずです。
わたくしは、法皇さまのご恩によって今の位を与えていただいているのですから、法皇さまの御所で警護を致します。法皇さまに忠義を尽くせば、父上に背くことにもなるでしょう。親不孝の罪を逃れようとすれば、不忠の逆臣となってしまうでしょう。
ああ、いっそわたくしの首を刎ねてくださいませ。そうすれば、父上のお供も出来ませんが法皇さまの警護もできなくなります。このようなつらい思いをするのは、前世の行いが悪かったからなのでしょう。今すぐにわたくし重盛を庭に引き出し、首をお刎ねください。」
重盛がそう言いながらさめざめと泣くので、控えていた侍たちも、平家一門の人々も袖を押し当てて涙を流すのだった。
清盛は慌てて「いやいや、そこまでは考えていなかった。悪党どもにそそのかされた法皇さまが、何か間違いを起こされるのではないかと心配していただけだ」と言う。重盛は重ねて「もし間違いを起こされたとしたら、その時には法皇さまをどうにかなさるおつもりなのですか」と清盛に言うと、さっと立ちあがって侍たちに「おまえたち、法皇さまの御所に向かうなら、この重盛が首を刎ねられるのを見届けてからにするがよい」と言うと、自分の邸へと帰っていくのだった。
その後、重盛は家来に「天下の一大事だ。我こそはと思う者は、すぐに武装してわしの邸に集まれ」と触れて回らせた。めったなことでは騒がない重盛がこのようなお触れを出すからには、よほどの理由があるのだろう、と、我も我もと武装して集まってくる。清盛の邸に集まっていた侍たちも、皆重盛の邸に駆けつけた。
清盛はその様子を見てひどく驚き、「重盛は、わしのところに攻めてこようとでも思っているのか」と腹心の部下に問う。部下は涙を流しながら「重盛さまがそのようなことをなさるはずがございません」と言う。清盛も重盛と仲たがいをしてはいけないと思ったのか、法皇をどうこうしようという気持ちも薄れ、急いで武装を解いて法衣に袈裟をかけ、心にもない念仏など唱えるのだった。
その後、重盛の邸では到着した者たちをまとめていた。その数一万騎あまり。重盛は到着名簿を確認すると、侍たちに向かって「日ごろの約束を破らず、皆駆けつけてくれたことは感心である。今回は少しあやしい動きがあると聞いたので集まってもらったが、それは誤報であるということがわかった。なので、今日はこれにて戻るがよい。また声をかけた時にはかならず集まってくれ」とみんなを帰らせたのだった。
重盛は、清盛を攻めるつもりなどなかったが、自分にはどれくらいの侍が味方してくれるかを知りたかったのと、この状態を見て清盛が考え直してくれるだろうと思ったゆえの行動だった。「君主のためには忠義を尽くし、父のためには孝行をせよ」と孔子が言ったとおりのことを行ったのだった。
後白河法皇も、この話を耳にし、「重盛の考えはいつも素晴らしい。こちらが恥ずかしくなる。仇を恩で返しおった」と言うのだった。
重盛どのは、前世の行いが良かったから、大臣・大将の位に就かれたんだろう。容貌風采もすぐれ、才智才覚さえもこれほど傑出しているとは、と人々は感心しあった。
【次回予告】
平家討伐の陰謀の首謀者だった藤原成親が流罪となります。