【テキスト版】巻3(16)大臣流罪【スキマ平家】
前回のあらすじ
京に大地震がおき、その不安の中で、清盛が叛乱を起こすのではないかという噂が広まります。清盛の真意を確かめに行くと、清盛は重盛が亡くなってからの帝の対応への不満や後白河法皇への愚痴を述べるのでした。
浄憲法印は戻って後白河法皇に清盛の思いを伝える。法皇もその点については納得したので、何も返す言葉もなかった。
さて、清盛はかねてから思っていたように、太政大臣以下の公卿たち43人の更迭・追放を発表した。関白藤原基房については太宰権帥に左遷し、九州へと送るのだった。基房は「こんな世の中は、もうどうでもいい」と鳥羽あたりで出家してしまった。御年35歳。礼儀もわきまえていて、曇りのない鏡のような方だったのに、と世間の人々はとても惜しんだのだった。
流罪になった人が途中で出家した時には、定められた国には送らないということになっているので、最初は九州の日向に送ることになっていたが、備前の国府ちかくに変更となった。今までも右大臣左大臣が流罪になった例はあるが、摂政・関白が流罪になったのはこれが初めてである。
後任には、清盛の娘婿である藤原基通が昇格したが、二位中将から中納言大納言を経ずに大臣関白になるというのがあまりに破格の昇進だったので、みんなあっけにとられるのだった。
太政大臣藤原師長は職を解かれて東国へ流された。師長という人は、保元の乱で父頼長に連座して兄弟4人とも流罪になったのだが、それが解かれて復職してからは、才能もあり管弦の道にも通じていたので見る間に昇進していった。太政大臣にまで上りつめたのに、何の罪で流されることになったのか、尾張国へと配流が決まった。
だが、師長は風流人であったので、「罪もないのに流罪となりそこの月を眺める」というのが風流の極みだと、何とも思っていないようだった。「かの白楽天は、流罪となった地でも優雅に詩を詠んでいた」と、月を眺め、潮風に歌を詠み、琵琶を弾いてはのんびりと月日を送ったのだった。
そんな師長がある時熱田明神に参詣し、その夜も琵琶を弾いたり朗詠したりしていたのだが、そのあたりには風情を知る者などおらず、村の老人や女、漁師や男たちがただ耳をそばだてて聞くばかりだった。しかし、風流を極めれば知らず知らず感動するというのは道理なので、聞いていた人々もみな身の毛もよだつ思いがして不思議な気分になるのだった。
夜が更けるにしたがって、辺りの花はより香りを漂わせ、月はますます明るく光を注ぐのだった。神すら感動して、熱田明神の宝殿が大きく揺れ動いたのを見て、師長は「平家の悪行がなければ、こんな素晴らしいことには出会えなかった」と感動するのだった。
【次回予告】
人事を左右することで清盛は自分の勢力をさらに広げていこうとしていますが、どうも不穏な気配が感じられるのでした。