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マルティニーク・ジャズ・フェスティバル 2018

昨年末にカリブ海にあるフランス海外県マルティニーク島に行ってきましたので、そのことを振り返ります。

マルティニークについて

カリブ海の地図で、右側の小さな島々のあたりを小アンティル諸島といいます。フランス領グアドゥループとマルティニークはそこにあります。

移動は、パリ・オルリー空港からエールフランス航空かエアカライベス航空で8時間ほど。エアカライベスだとティ・ポンシュ(ラム酒に砂糖黍とライムを入れた常温で飲むお酒)を機内サービスで飲むことができます。日本から一気に行こうとすると12時間: 東京→パリ(シャルルドゴール)+8時間: パリ(オルリー)→マルティニークで、待ち時間他あわせると丸1日の行程です。

マルティニーク(1128㎢)は、沖縄本島(1204㎢)より少し小さいくらいの島で、1502年にコロンブスによって“発見”されました。1763年にフランス領となりましたが、占領の時に原住民は全滅しています。なので今いる人たちはみんな入植者の子孫。ナポレオン妃ジョゼフィーヌの出身地として知られていますが、島民たちは奴隷制を支持したジョゼフィーヌを嫌っており、フォール=ド=フランスにあるジョゼフィーヌ像は島民により斬首されたままになっています。

隣島のグアドゥループに比べて、マルティニークの人たちはオープンな感じがします。英語を話す人が多いのも特長。カリブ文化運動の先駆者エメ・セゼール、思想家エドゥワール・グリッサン、小説家パトリック・シャモワゾーなどクレオール化肯定を押し進めた知識人を多く輩出しています。

テレビ番組ではフランス語吹き替え版の日本のアニメが子供に人気で、向こうではマンガと呼ばれています。マンガマンガ言っているから読書しているのかと思ったら、テレビアニメのことでした。グレゴリー・プリヴァ(p)も「北斗の拳」を見ていたそうです。グレゴリートリオのドラマーのティロ・ベルトロに至っては私よりも「ドラゴンボール」に詳しくて驚きました。来日した時に、日本に来るのは夢だったと言っていましたが、ティロだけでなく、マルティニークの人たちにとって、日本は夢の国のようです。我々にとってはこちらのほうがよほど楽園なのですが。

今回の滞在はフォール=ド=フランスのホテル。写真は街の全景です。歩いて3時間くらいですべて見てまわれます。

パリ万博の建物だったものを移築して1893年に公立図書館としてオープンしたショルシェール図書館。

ここが街の目抜き通りです。

12月なのに毎日30℃の真夏なものだから体調がすこぶる良いです。日焼けは問題ないのですが、虫さされがひどくて現地で買ったハーブの虫除けスプレーとかゆみ止めの薬が役に立ちました。街のスーパーマーケットに行くと酒売場にラムコーナーが必ずあります。ラムも3本ほど飲み比べました。クセの強いものから飲みやすいものまで。味は本当に美味しくて日本で飲んでいるラムは一体何なんだろうと思います。

週末にはカリブ海クルージングをしている巨大な豪華客船がホテル前の桟橋に立ち寄ります。こういう船でジャズ演奏しながら仕事でまわりたいから、誰かに聞いてみようかな? 

朝食は毎日ホテルで。

特にクレオール料理のお店が周囲にあまりなく、夕食はピザであったり、メキシカンであったり、近くにある寿司屋FUJIでした。この寿司屋はパリで食べるより遙かにちゃんとした味をしているので感動して話を聞きました。握っているのはブラジル人とマルティニーク生まれのフランス人で、このブラジル人がブラジルで日本人板前の下で修行して覚えたのだそうです。この仕込んだ日本人がよほどしっかりした人だったのではないか…と思います。「これならパリですぐに一番になれるよ」と激励してきました。

今回は一週間あったので、車を借りてあちこち走り回りました。フォール=ド=フランスを拠点に、サンタンヌ、カラベル半島、サン・ピエール、ル・プレシャールなどほぼ北から南、東岸まで車でまわってきました。大体1日あればぐるっとまわれます。

カラベル半島は島の東に位置するサーフスポットです。人も少なく、周囲は開拓されていないシークレットポイントのようなビーチ。サーフキャンプもあって泊まりながらサーフィンを楽しむことができます。子供から大人までいました。日本人はさすがに珍しかったようです。

20世紀の火山災害中最大として知られるプレー山の噴火で有名な街サンピエールにも行ってきました。

サンピエールの博物館には溶岩の熱でひしゃげた鐘が展示されていました。

3万人が全滅し、その少し前から独房に入れられていたために生き残った3人のひとり囚人オーギュスト・シパリはこんな石の牢に閉じ込められていたため守られたらしいです。

翌日は、島南端のサンタンヌが島内随一のビーチらしいと聞いて、車で一時間半くらいかけて出動しました。

カリブ海は本当に美しい。砂も綺麗です。

満喫しました!

マルティニーク・ジャズ・フェスティバル

2007年以来、毎年12月第1週に開催されています。ほとんどがグアドゥループ、マルティニークの出演者ですが、アメリカやフランスのビッグネームを数組招いています。これまでに、ジェリー・ゴンザレス(2007)、ロイ・ハーグローヴ(2011)、ディディエ・ロックウッド(2015)、ランディ・ウェストン(2017)、テレンス・ブランチャード(2018)などが招へいされています。小沼ようすけは日本人アーティスト初出演です。本当は2017年に内定していたものの夏にこの地域がハリケーンで壊滅的な被害に遭い、その復旧に時間と費用がかかるために受け入れ困難となってしまいました。我々としては企画段階から含めると3年越しのプロジェクトでした。島についてさっそくテレビ取材を受けたため、滞在中は日本から来たギタリストとしてタレント並みの知名度となり、道を歩く度に「写真を一緒に撮ってくれ」や「必ず観に行く」など、あちこちから声をかけられていました。

出演者は月火水までほとんどローカルのミュージシャンで、水曜夜からのリストを列記します。

11/28
The TingBang
Grégory Privat and Friends with Michel Alibo (b), Dominique Bougrainville (dr)


11/29
Franck Rochard Trio
Sandra Nkaké
Sonny Troupé Quartet add 2 (グレゴリー、オリヴィエ・ジュストka)


11/30
Rodolphe Lauretta Raw Trio (アーノウ・ドルメンdr)

Jacky Terrasson & Stéphane Belmondo
Terence Branchard feat the E-Collective

なんとウェストヴィルのギターを見るとは!
12/1
Ronald Tulle feat Tony Chasseur & Michel Alibo
Lisa Simone (エルヴェ・サム、レジー・ワシントン、ソニー・トルーペ)


12/2
Yosuke Onuma


Franck Nicolas

ライヴ後に販売したCDはすべて売り切れて、その後のパリ公演で売るものがなくなってしまいました。印象に残ったのは「来てくれてありがとう」と言ってくれた人がたくさんいたことです。

今年は、ソニー・トルーペとリサ・シモンの出演があったことで、小沼ようすけJam Kaのメンバーがジャック・シュワルツバルト以外、一気にマルティニーク集合となりました。エルヴェ・サムも一緒でした。ファミリー感満載です。

今回コーディネートをしてくれたマルティニーク・ジャズ・フェスティバルのフレデリック・タリー氏と、渡航費の助成をして頂いた国際交流基金に感謝します。

タリーさんは、我々が帰る日にホテルまで見送りに来てくれて、「これが最後ではないから。また会いましょう」と上質なラムをプレゼントしてくれました。またいつかマルティニークを訪問したいです。カリブの音楽シーンと日本のシーンを相互に紹介しあうことで、少しでもお互いの文化交流・理解に役立てたらと思います。

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松永誠一郎
読んで頂いてありがとうございます!