パット・マルティーノ氏の訃報に寄せて
パットさんのご逝去の報に接し心からお悔やみ申し上げます。
ジョー・ドノフリオ氏(パットさんの長年のマネージャー)のfacebookの投稿でパットさんの訃報を知りました。長くご容態が優れない状態にあると知っていましたが俄には信じられない気持ちです。
パット・マルティーノこそ私にとってのジャズでした。
1996年の初来日の際、宿泊中の品川のホテルでのJazz Life誌の取材に同行させてもらいご挨拶して以来、パットさんに仲良くして頂いたことを心から感謝しています。パットさんの音楽に出会えていなかったら、私は音楽の仕事をここまで続けてはこられませんでした。パットさんの音楽は、常に私の人生のガイディングライトでした。
音楽が持っている様々な力、その中でも人を前向きに導く力がパットさんの音楽にはあって、それに鼓舞され続けてきました。私は元々は大学院を卒業して大学でアメリカ文学の先生になるつもりでした。しかし「本ばかり読んでいて実体験をしなくて、果たして真実を掴めるのか?」と、自分の生き方に懐疑的になり鬱状態が続いていた時に、パットさんの音楽に出会いました。それは空から降ってきた何かの啓示のようでした。本当に。1994年24歳、大学院を自主的に休学しながらJazz Life誌で働いていた頃でした。その後NYで大学院の博士課程に行くことにして1998年に渡米しました。しかし気持ちとしては、とにかくパットさんに会いに行くことが目的でした。学生ビザだけ取得して、エイブ・リヴェラのフルアコとスーツケースひとつで住むところも決めずに渡米しました。折に触れて連絡は取らせて頂いていたので、フィラデルフィアのパットさんの自宅にお伺いしてレッスンを受けることができました。その頃の写真もたくさん撮り、当時書いていたブログに掲載などしていたのですが、データごと紛失してしまいました。結局NYでは博士課程に行くことはやめて、Jazz Life誌の海外特派員としてジャーナリストビザに切り替え、音楽を自分の仕事とすることにしました。
アメリカにいる間に「Live at Yoshi's」と「Think Tank」の日本盤ライナーノーツも執筆しました。パットさんと共同作業ができたような気がしてとても嬉しかった。NYのブルーノート・レーベルのオフィスでインタビューをしたこともありました。今でも折に触れて思い出すのは、「人生は四季のようなものだ」という言葉です。辛い時があっても、やがて春が訪れる。それはあらゆる人への励みになる言葉です。
2018年の日本ツアーでは東京コットンクラブ公演の後、名古屋公演、大阪公演を作らせて頂きました。それまで海外アーティストのブッキングをやってきたのは、まさにこの時のためだったと自分で思える瞬間でした。大阪ではとても久しぶり10年以上ぶりくらいに公演を開催しました。大阪の人たちにとても喜んでもらい、私が音楽を志した頃から心に留めていた「音楽から得た喜びや感謝を人に還元する」という目標は、私を導いてくれたパットさんの音楽を届けたことで、24年かけて達成できました。最後に新大阪駅のホームで撮った写真のパットさんの笑顔は最高でした。
これが最期になるとはこの時は思っていませんでした。パットさんは肺が悪く、長い距離を歩くと呼吸が苦しくなるため、この数年前から移動は車椅子を使用していました。この2018年10月の日本ツアーの後にパットさんがヨーロッパで風邪をひいたことがきっかけで体調を崩されたことを聞きました。3年間の自宅での呼吸器をつけての闘病生活は不自由だったかと思います。奥様からお悔やみのメールの返信をいただきました。お二人の願い通り最期まで一緒に素敵な時を過ごされ、翌朝永遠の眠りにつかれたとのことです。大往生と言える最期だったそうでした。
私の人生を豊かにしてくれたのは人との出会いでした。そのことについては小沼ようすけ君とミシェル・レイスも欠かせないのですが、また後日話します。パットさんとの出会いは私の人生最大の僥倖でした。私の音楽への情熱を常に純粋な形で保たせてくれた偉大なギタリスト、パット・マルティーノさんに万感の思いを込めて感謝を送ります。パットさんがマイケル・ヘッジスの死去の後に書いた曲"Never Say Goodbye"にちなみ私もお別れの言葉は控えます。
2021年11月1日自宅で亡くなられたとのことでした。パットさんのサインはいくつも持っていますが、ちょうど10年前の11月1日に、著書にサインを貰っていました。"All of my best wishes, for many years to come! your friend, Pat Martino"「最高の願いを込めて、これからもずっと!あなたの友人、パット・マルティーノ」これからもずっとです!
パット・マルティーノ「Unstrung」脳動脈瘤破裂による記憶障害、過酷なリハビリ、両親の相次ぐ死去、離婚を乗り越えて奇跡的に復帰を遂げたパットさんのドキュメンタリー映画です。
復活後80年代の名ライブ映像「Live at Ethel's Place」エイブ・リヴェラのギターScepter (セプター)を使用
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