三歩進んで二歩下がろう
高1の冬、はじめての一人旅をした。きちんと計画を立ててはいたが、アクシデントに見舞われ、文字通り、進んでは戻りの繰り返しであった。今から考えると、この出来事が逆にそれからの旅行のハードルを下げてくれたような気もする。新潟の村上を羽越本線にひとり揺られているところから話を進めよう。
午前中降っていた雪はやんで、薄暗くなってきた日本海側を汽車は走っている。いわゆる国鉄色の車両であったが、これが貴重なものなのかどうかすら、半端な鉄道好きの自分にはわからない。
ふかふかのシートに座ってボンタンアメを食べて時間を過ごすと、冬の太陽はすぐ沈む。暗くなってから車窓に見どころがあるような明るい都会でもないからと、ぼんやりとしていると終点の酒田駅に着く。
ずいぶん北へ来たのだと、寒さで実感する。0番線ってみかけるとなんとなく写真を撮りたくなる。
駅を出て周りを見渡すが、灯りは少なく何もない。なんとなく見つけたラーメン屋に入るが、特に記憶に残らないラーメンだった。名物を食べようと画策するある意味すれた旅行客にすら至らない、初心者のチョイスである。今から考えると、絶対海鮮を食べるべきだったと後悔している。
はじめて一人でホテルに泊まるから、挙動不審な動きをしながら入るも、手続きは一瞬で終わった。あまりのあっけなさに拍子抜けし、あまり柔らかくもないビジネスホテルのベッドに横たわると、あっという間に眠くなっていた。1日目終了。
朝カーテンを開けると真っ白だった。いや、起きたらよく知らないところのベットの上に一人でいて、そこからこの景色は驚きだ。街の静けさがガラス越しでも伝わってくる。
ビジネスホテル特有の朝食バイキングを一人でとっていると、僕の姿を見てホテルのおばちゃんが話しかけてきた。
「あなた一人なの?一人旅? 立派ねえ。あら、そんなに揚げ物ばっかりとって、野菜も食べなきゃ!」
あんまり好きじゃないミニトマトが4つ並んだプレート。
朝9時の酒田駅のホームで、陸羽西線に乗り込む。今日は茨城の家へと丸一日かけて鈍行で向かう行程である。最上川ってこれか、松尾芭蕉のヤツ…と思った5分後には寝ていた。途中で雪のため遅延していますという放送が流れているが、その分寝られると思ってお得な気分になる。
新庄駅に着くころ、車内放送で遅延が本格的になっているらしいことを知る。新庄で乗り継ぐはずだった列車に間に合わないかもしれない。
今回は18きっぷで旅しているため、鈍行しか乗ることができない。行程はあまり余裕を持っていない。スマホで乗り換えアプリをこねくり回して出た結論は、このままでは今日のうちに家にたどり着けないということだった。
さすがにお金をかける。いわゆる「ワープ」である。しかも、新幹線の乗車券として18きっぷは使えないから、乗車券も買わなければならない。2200円程度余計にかかることになる。新庄駅から山形駅まで山形新幹線を使えば、そこから先は鈍行を乗り継いでいくことができそうである。
不意なところで初めて乗ることになった山形新幹線に、内心ワクワクしていたが、ホームの自由席の列にはたくさんの人が並んでいる。皆なんとかして南下しないといけない用事があるらしい。僕もだ。
車内に入ると、いや、正しくは何とか車両に乗り込み、内側へと体を押し込んでいく。外の景色も見えないトイレの脇のスペースに詰められる。満員電車さながらの圧迫感に、まったく新幹線の車窓を望めないことを知る。そこまで長い時間乗っていたわけではないと記憶しているけれど、かなり疲労感がたまる区間だった。
山形駅での乗り換えは、乗り換えアプリを見ると3,4分しかないようで、少し焦らなければならない。混雑してドアの近くに乗らざるを得なかったことがここにきて功を奏している。山形駅到着のアナウンスが流れ、ドアが開くと同時に、やや駆け足でホームの階段を上る。すると、ほかにも乗り換える人がいるようで、後ろからのいくつかの足音が聞こえる。
慌てて駆け込んだ車両のロングシートの座席がふかふかで、暖房で温められている。これに乗って米沢駅まで向かう。
進むごとに外は雪が勢いを増していく。朝の遅延の原因は降雪の影響であったらしいが、こんな天気でもうなり声をあげながら走っていく列車に頼もしさを感じる。
『米沢駅から先は運休です』
車内でアナウンスが流れる。何だ。豪雪の影響で、米沢から福島へと向かう峠のところで止めているらしい。なぜこの情報が山形駅での乗り換えで得られなかったのか…。米沢駅へと着き、駅員さんに尋ねてみると、山形駅で案内をしていたという。どうやら、乗り換えに駆け出したホームで案内をしていたという。完全にこちらのミスである。これは、万事休すか…。
1時間後、ぼくは仙山線、山形と仙台をつなぐ路線に乗っている。米沢駅からもう一度北上して山形駅へと戻り、そこから太平洋側にでる方法でなんとか終電で自宅まで戻れそうな経路を見つけた。昼食もとりすでに夕方の趣だが、ここから家まで帰る。
仙山線が通る峠はそこまで雪は降っておらず、乗客も多くなんとなく安心できる。
仙台駅からは東北本線で南へと進むのみ。もうすっかり日の暮れた中を、余り混雑していない電車が進んでいく。本来太陽の出ているうちに通るはずだった福島駅で乗り継いで、さらに南へと向かう。
ここから、陸羽東線に乗っていわき、そして常磐線でほぼ終電でたどり着く予定である。雪もここまでくると全くなく、ただ何も見えない車窓を見ているだけである。夜ご飯を適当に食べて、陸羽東線に乗るかと思い郡山駅のホームへ出ると、アナウンスが流れている。
『陸羽東線は、~駅と~駅の間での踏切事故のため、運転を見合わせています。運転再開時間は、10時ごろになる見込みです。繰り返します…』
何を思ったのか、動揺し、うろたえて撮ったらしい写真が残っていた。
致命的である。クリティカルである。どうやっても今日中には帰れない。
親に連絡を取って、郡山で泊まることを報告する。なんとか宿を親の協力のもと確保し、ホテルへと向かい改札を出る。夜8時の郡山駅のコンコースには人はまばらであった。駅弁を買って、自由通路を歩いていく。
…今日中に家へと帰れないことに落胆していたが、よく考えると、別に一人旅が一日延びるだけの話である。急に、泊まるはずもなかったまちに、突然宿をとってのんびりできるのはお得な気もする。
そもそも思い通りにならないのがおもしろいのかもしれない。毎日の行動だって、周りの人に振り回されて、行事に出なければいけなかったり、自分の意志とは離れたところでやることが変わったり、会う人が変わったりする。ただそれは否定するべきことばかりではなく、周りの力に頼って、楽しみが作られていることも多い。
ただ流れに身を任せ、その時その時を、今日は郡山の誰もいない夜を、楽しめばいいのだ。3歩進んで2歩下がるなら、ただ進むだけの人より2歩分多く楽しむチャンスを得られるのだ…。
誰も周りに人のいないコンコースを、ステップを踏みながら高揚した気分になり歩く。たまにはこんな夜があってもいい。
ホテルの部屋で、さっき駅で買った駅弁を食べる。対して広くもない机の上に、小さな窓が開いていて、そこから1日をほとんど終えた駅の明かりが見える。特にきれいな夜景ではないけど、その時の自分には心地いい景色だった。
次の日は水郡線で3時間かけて水戸へと向かうことにする。午前の休日の列車は、福島と茨城の県境に向けて人を減らしつつ走っていく。普段使っている車両がぼくに、いつも、を思い出させる。