ラジオの想像力

ラジオを聞くようになった。

もともと聞く習慣はなかったのだけど、最近は作業のおともになにかしらの番組を流している。
いつからラジオを聞きだしたかというと明確な聞き始めがあって、一昨年の秋、卒業設計が佳境に入り出したころと重なっている。本来卒業設計の作業は学校でするのだが、コロナ禍のなかで自宅でせざるをえなかった。そこで、作業のBGMとしてはじめはウォークマンで音楽を聴いていた。歌ばかり聴いていて耳が少し疲れたときに、ふとしたきっかけでrajikoを聞いてみた。何の番組を聞いたのかも覚えていないけれど、妙に作業がはかどったので、次の日もBGMにしてみた。そのうち、よく聞く番組とか、好きなパーソナリティができ、ラジオを聞いて家にこもることがふつうになっていた。後から聞くと、この卒業論文なり卒業設計を機にラジオを聞きだす人は僕のほかにもいるようで、ラジオを聞いているとそのころの焦燥感のような、閉塞感のような何かを思い出す。

友達と話す心地よさ

番組としてはひとりで淡々と話しているものの方が落ち着く。もちろんゲストがいたり、相方がいてがやがやしているものもいいのだけれど、パーソナリティが単独でお便りを読んで、最近あったことを話して、そんな進行のものをよく聞いている気がする。
そこには、友達と話しているような心地よさがある。ラジオを聞くのはたいていパソコンに向かい合っているときだから、だれかの声とか、たわいもない話とか、そういったものがとてもうれしい。でも相手の顔は見えなくて、表情とかしぐさとかはわからないから話への感情のこめかたからすべての想像を膨らませる。電車にのって友達と隣り合って座っていて、お互い車窓をみて目線を合わせずに話しているときと似ている。目線を合わせないで話しているときの方が、不思議と深い話とか、思い切った話題に踏み込みやすいのはよくある話で、その居心地の良さがラジオにもある。

余白

FM802という大阪のラジオ局がある。毎年春になると局のキャンペーンソングをアーティストのコラボでつくっていて、それがきっかけでよくしっていた。東京に住んでいるぼくはもちろん基本的には大阪のラジオは聞けないのだけれど、いまはいい時代だから、月に数百円を払えば聞くことができる。
FM802は若手のバンドの曲を多く流していて、自分の好みの曲が流れてくる。そこでそれまで知らなかったバンドや曲を知ることもあり、得した気分になる。
もうひとつ気持ちのいいときがあって、いつも聴いている曲がリクエストされて流れるときがそうだ。別にウォークマンでいつでも聞ける曲なのに、なじみのある曲のイントロが流れると、気持ちが盛り上がる。給食のときの、放送で好きなボカロの曲が流れて騒ぐ友人を冷ややかな目で見ていたが、いまならその気持ちがわかる。自分の好きなものがいま、周りの人に聞かれていて、だれかの感情を動かしているかもしれない。ラジオであれば、それが大阪中の人であって、エリアフリーで聞く日本中の人かもしれない。
そういった想像力をはたらかせて聞く…ラジオのよさとは、そんな想像が効く「余白」があることだ。


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