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情報に思いやりを持つ。生魚の香りが七月の雨風に乗せて比良駅の待合室に流れ込む
とある田舎で3月に初のコロナウイルス感染者が出ました。それは大学生でした。
おそらくの原因は2月に海外旅行に行った事だそうだ。
そこでメディア、多くの大人達が
「待ってました」と言わんばかりに
“必要以上”に情報を晒し誹謗中傷という沼で遊び始めました。
その現場を見たとき
その情報を聴いた時に
「僕がこの大学生だったら」
「僕がこの晒されている大学生の親だったら」と思うと胸の中に呆れと苦しみと怒りが混じりこの世界で息をするのが少し嫌になった。
確かに田舎に住んでいる人の気持ちは僕も田舎に21年ほど住んでいたので分かる
「私たちは我慢していたのに」
「病院が少ないから増えたらどう対応したらいいんだ」と高齢者施設で高齢者と毎日触れ合う今の僕の身としても危険性を増やす事に無知で横暴な人は好ましくは思わない。
ただし
・そもそもそれは過ちだったのか(2月は少なからず日本は規制していません)
・大学生にとっては一生に一度の楽しみだったのかもしれない
・20歳前後で過ちを犯すかもしれない
(僕も沢山過ちを犯してきました)
・もしそれが過ちだったとしても反省するのは学ぶのは大学生であり、責めるのも学ぶ機会を奪うのもあなたではない。
・批判と誹謗中傷(人格否定)の違いを知っているのか
・あなたの軽い気持ちでした言葉、共有、噂がこの多感な時期の若い子達の一生を奪う凶器であると知っているのか
Monica LewinskyさんがTEDで
「残酷なスポーツを観て楽しむように公然と侮辱する」
とある大学生が
「炎上している人を見ているのが好き」といったように
処刑というエンターテイメント、石打のような何か
もしかしたら人と切り離せない物があるのかもしれない。
ただどこかの正義である事が
どこかの悪である事を知らなければいけないし
今自然との災害でと向き合っている人達がいる中、このまま沼で遊び続けても起きるのは人災だけだと思う。
情報に思いやりを持つ。
そんな事を考えながら比良山に登りたかった気持ちを
比良駅に流れ込む生魚の香りを運ぶ7月の雨風と共に流
してしまおう
今日はそんなお話。