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娘氏バイリンガル計画(現在進行形)

娘が小5で英検準二級の一次に合格しました(追記:この時二次も合格しました)

外国に行ったこともなく両親純ジャパな環境でどのようにして英語力をつけさせたのかをお話します。もちろんもっと凄い子たちもいますし、準二級の一次に受かったからといってまだ娘も英語ですらすら会話できるレベルまでには到達していません。あくまでお子様の英語教育の参考程度に見てもらえるとうれしいです。

生後3か月、首が座った段階でコーヒーテーブルの上にバンボを据え、そこに娘を座らせて毎日英語のビデオを見せていました。

これも賛否両論あるとは思うのですが(子供の脳にテレビはいけないとか)、そもそも外国に住んでいないし両親日本人で英語話せないし、娘に英語の回路を作り込むにはもうこれしか方法がないと思ったのです。メリットがデメリットを上回ると判断したわけです。
なので、私が子供の時に買ってもらって全然使ってこなかったDesney World Englishの教材(しかも30年前だからVHSww)を一日1時間ほど毎日見せていました。もちろん日本人も日本語もいっさいでてこない映像でないと意味はありません。(英語の回路を作っているさなかに日本語が入ってくると英語脳の建設が中断させられてしまいます。)
義母からおくられてきた日本語の幼児DVDや本は申し訳ないけれど全部押し入れに隠し、英語の音楽、英語の本、英語の動画だけを見せ、お風呂の中では一緒に英語の歌を歌い私のむちゃくちゃな英語で語りかけて育てました。

例えば病院の待合室で日本語の本を読み聞かせるときもすべて英語の単語で説明していました。
市の検診で保健士さんが絵を見せてこれはなに?と言われても答えられません。だって日本語のそれは教えていないから。心の中で全部英語でなら答えられますけど…と思いながらも必死にこらえました。

周りの圧に戸惑い、耐えながら1歳までそんな教育を続けました。

初めて話した単語はDaddy。遊びは“Up and Down”と連呼しながら上下バウンスダンス

1歳になった頃合いで私はプランを変更します。セイハ英語学院に通い始めたのです。それはインプットばかりでなくアウトプットが必要だと思ったからです。
娘は8カ月で歩き出し、体も大きく1歳の頃にはかなり言葉を話せるようになっていました。週2でセイハに通い、外国人に会う機会も多くぐんぐんと英語力を伸ばすことができました。
雪をみれば“It's snowy today!”、風の日は“It's windy today!”、水族館でくらげをみたら“Jerllyfish!! ”、同じ年の子どもには“What's your name?”、トイレの便座にアンパンマンの便座を敷き忘れていたら“No Anpanman! No way!!(信じられない!)”といった具合になんちゃって帰国子女のようになっていきました。

今でもお父さんを呼ぶときは“Dadda”。なぜダダと呼ぶか私も謎だったのですが、空港の国際線で外国の子どもがパパではなくダダと呼んでいるのを見て、え、ダダってパパの意味なの…!?ってなりました。どこで覚えてきたのかはいまだに不明です。

幼稚園は普通の幼稚園だったため、入園後はすべて日本語だけの生活に…。しかし単語の発音だけは今もネイティブのまま

近くに英語で生活できる幼稚園があればよかったのですが田舎すぎてなく、普通の幼稚園に入園しました。そこから娘の言葉は日本語だけに…。単語の発音だけは変わらずよく、今でもお風呂のふは“fu”で唇をかみながら発音しています。入園後もずっとセイハは続けていたのですが、年齢があがるにつれて娘も英語を話すことが恥ずかしくなってきたようで、5歳になってから私はまたもプランを変更せざるを得なくなりました。
今度はライティングだ!と公文に入れることに。
英語の素地があったためか公文に変えて初年度から3学年先のトロフィーを獲得。小3で英検3級に合格。福岡県の同学年の英語学習者の中ではだいたい30位あたりで毎年高進度学習者にも選出され今にいたります。今は小5で高校2年くらいの英語を勉強しているんじゃないかな?一緒に始めた数学も国語も中学3年レベルの所をしているので結果公文に通うことになって学力も上がり正解だったなと思っています。

次なるプランは再度アウトプット。留学をすればすぐ話せるようになるでしょう。

コロナのせいでなかなか海外に行く機会もありませんが、今の状況で娘が海外に留学すればおそらくすぐ英語を話せるようになるでしょう。2週間~2ヶ月でもいいから留学させたい、なんなら私も一緒についていって留学したいwww
お金をためて小学生の休みのうちにいけたらいいな…と思っています。

私がそこまで英語教育ににこだわるわけ

私は25の頃に運よく日本の大手メーカーの派遣OLとして働くことができました。部品を調達する部署だったのですが1フロアー200人ほどの階に右半分は各国から出向で来ている外国の方々が100名、左半分は英語が話せる日本人正社員が80名くらい+英語が話せない派遣が20名くらいだったと思います。左で受けた海外からの電話を右にいる外国人につなぐことも大変だし、ちょっとしたミーティングでも何言ってるか分からない。なんで英語をきちんと勉強してこなかったんだ…とても惨めな思いをしながら2年働いていました。
子どもにはそんな思いをさせたくないという気持ちが半分と、もし日本がおかしくなったらいつでも海外に働きに出ていけるようにしてあげないといけないという気持ちが半分、で娘が生後3か月のことから英語教育に力をいれていたわけです。
親のエゴだ、勉強させすぎるのも虐待だと言われても、子供が英語を身に着けておいて損はないと。
日本だけを見て日本から出ないつもりであればそこまでしなくてもいいのかもしれませんが、おそらく大多数の日本人もこのままじゃやばいと、外国に出稼ぎに行った方がもうけるぞ、このままじゃ日本沈没だ!とうすうす感じているはずです。

※ちなみに息子も生後3か月の頃のにバンボに乗せて同じように英語のビデオを見せていたですが、毎回5分で寝ていたので向き不向きがあるようです笑
息子には息子にあった世界への行き方を考えねばならんなと思っています。(デジタルかeスポーツか何か…)

英語をどう生かすかは娘次第

ここまでは私の努力でサポートできた範囲ですが、それを生かすも殺すも娘次第です。
先行き不透明な未来だけど、英語を武器になんとか乗りこなしていってほしいと思います。

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