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雪解け後の凍てつき

 映画「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」(ロシア、2018年)の公開が近い。特殊な時代の普遍的なテーマを、この作品に見出せるのではないか。

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ドヴラートフたちの6日間

 1971年初冬のドヴラートフ。そのたったの6日間を描きながら、その中にはある種のソ連人の人生そのものが凝縮されているかのようだ。彼らは、多少なりとも自由を知り、多少なりとも皆と違い、多少なりとも批判精神を持っていたがために、異質なモノにされていった。自ら異質になったのではなく、されていったのだ。

 お蔵入りしたフィルム、埋もれた手稿、人の目に触れない絵画……それらの多くは決して体制批判的だったり、挑発的であったりしたわけではない。だが、お上が用意したステージの小道具に相応しくないとして、黙殺されていった。

 70年代のソ連は、いわゆる「停滞の時代」が本格化していった時期である。対外的にも対内的にも安定が志向される一方、「雪解け」の時代の反動は多くの人の希望を潰した。ジェロントクラシー(長老支配)が進行し、意欲は後退し、諦観が蔓延しつつあった。あらゆるスローガンが白々しくなり、現実と乖離していった。ドヴラートフは、その空虚と滑稽さを皮肉らずにいられない。しかし彼の力ない笑いが、社会の神経を逆撫でする。

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時代のキーワード

 時代を物語る要素が散りばめられている。

 ドヴラートフが、自分がユダヤ系だから作品を載せてもらえないのか、と訝しむシーンがある。ソ連政府が国内のユダヤ人のイスラエル移住要件を緩和した結果、1971年からユダヤ人の出国が一気に加速した。この動きは、帝政時代から根強くあった反ユダヤ感情の増大を招き、就学・就業におけるユダヤ人差別は暗黙の了解として広く共有されるようになった。

 バスの中で唐突に、イスラエルのゴルダ・メイア首相批判を始める老人。中東戦争でアラブ諸国を支援するソ連において、イスラエル批判は時にアメリカ批判より苛烈でさえあった。

 大作家ミハイル・ショーロホフを、「若い作家が投獄されるのが好きらしい」と皮肉るドヴラートフ。1966年、偽名を用いて西側で作品を発表していたシニャフスキーとダニエリが摘発され、それぞれ7年と5年の懲役刑を受けた。ショーロホフは第23回党大会(1966年)でこの2人を口汚く罵り、実刑判決を断固支持する演説を行っている。

 娘に、ドイツの人形を買ってあげたいドヴラートフ。手土産用にフランスのコニャックを探すドヴラートフ。国産品には誰もが不満だった時代。同じ東側陣営の東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアなどの製品が、何とか手の届く上質な品であった。西側製品の輸入はごく稀。あとは闇屋が、ささやかな消費文化を支えていた。

 絵が認められない画家たち。社会主義リアリズムという公式な芸術路線の影で黙殺されてきた芸術家は数知れない。画家も詩人も音楽家も、アパートの一室などに集って細々とした交流を続けていた。本作にも登場する画家のシャローム・シュヴァルツもその一人で、「アレフィエフ・サークル」と呼ばれるレニングラードの非公認の芸術家グループに属していた。前途を閉ざされたかに思える芸術家たちの、鬱々とした様子。「亡命」という考えが、彼らの脳裏をよぎる。

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映画が映す世界

 全編通して、登場人物たちはくぐもった小声で話し、閉塞感の演出は時に不自然に過剰にさえ思える。しかし、あれこそが、ドヴラートフたちの心象風景だったとしたら? 思いを素直に言葉にするのが憚られ、誰もが欺瞞を呼吸している様子に、目をふさぎ耳を覆いたくなる日々だとしたら? ドヴラートフたちの目を通して世界を見た時、そこには過剰なまでに演出された不自然な風景があったのかもしれない。

 映画の中のレニングラードは、まったく平和な時期の日常のはずなのに、戦時下のような虚ろな疲労感が漂う。文化芸術の都であった筈のこの古都で、芸術家たちは倦怠感の中で酒杯を重ねている。

 このどんよりした時代にも、驚くべきことに、世代を超えて愛される映画が封切られ、歌が歌われ、舞台が演じられていた。そして大小の才能がさなぎのように、時代の変わるのを待っていた。重い空気を掻き分けながら芸術を心の支えにし続けた人々の群像劇である。

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