「山姥切長義の手紙にある○○○○○○○○○について、なぜ○○○○ではなく○○○○だと考えたのか」へのわたしの回答(山姥切長義の手紙ネタバレを含みます)(タイトルの伏せ字は後日解除予定です)
先日、山姥切長義の修行の感想を投稿したところ、次のような質問をいただきました。
本記事は、長義の手紙にある「心当たりがある一人」をなぜ堀川国広だと考えたのか。なぜ長尾顕長ではないのか。という質問へのわたしの回答です。
0. はじめに
この回答は、
1.前提
2.余談
3.なぜ堀川国広であり長尾顕長ではないのか
で構成されています。長くなってすみません。
例によって長谷部を引き合いに出しています(わたしが男士について考えるときの基本フレームとして長谷部があります)。また、刀ミュの話にも触れています。
1. 前提
山姥切長義の手紙2通目を引用します。
どこに行っても正当な評価を得ることができる気がしない。
……いや、一人、心当たりがあるか。
まず前提として、この「心当たりがある一人」は、手紙を読んだ各人が埋めるべき「解答欄」として作られているとわたしは受け取りました。主な選択肢としては、
①長尾顕長
②堀川国広
③審神者
が挙げられるでしょうが、どれを選んでも正解とは確定できず、間違いとも言い切れない。意図してそのように作ってあると考えます。
キャラ作成者である芝村氏の中には唯一の正解があると思われます。しかしながら、10年待っても出てくるか分からない「正解」を当てろというゲームに乗ることを、わたしはもう辞めました。
ですので、自分が一番納得できる、より正確に言うならば、「自分が一番気持ちよくなれる」答えをわたしの答えとしています。それが刀工堀川国広でした。
この前提に納得していただけないようであれば、回答はここで終わりです。
2. 余談
余談ですが、へし切長谷部が一番クソデカ感情を抱いている人間は誰か? という問いを審神者に投げたとして、きっと答えは一つに収束しません。「織田信長」と答える人もいれば「審神者」と答える人もいるでしょう。わたしは「黒田長政」だと答えます。
「過去を清算した」「地獄で待つ」とまで言いながら、あの世までついていきたかったほど慕っていた人間の話は審神者の前で一切しない、長谷部のそういうところを推しています。
余談でした。
3. なぜ長尾顕長ではなく堀川国広だと考えたのか
本題です。
なぜ長尾顕長ではなく堀川国広だと考えたのか? 理由は3つあります。順に書きますが、わたしは3番目にもっとも重きを置いています。
理由1. 「長尾顕長が写しを依頼した」がゲーム中のテキストだけでは確定しない
ゲーム中のテキストを確認しますと、
長尾顕長の依頼で、堀川国広が山姥切国広を打った
山姥切国広は『山姥切』の写しとして打たれた
については山姥切国広の刀帳から分かります。しかしながら、
「長尾顕長」が「長義の写しを打て」と堀川国広に依頼した
という情報は、実は出てきていません。あくまでゲーム中テキストには、ですが。
長尾顕長が自分のための刀を打ってくれと堀川国広に依頼した。堀川国広が依頼を受けて「渾身の傑作」として打った、それが長義の写しだった、という可能性も否定できません。
この理由1は、ゲームのテキストだけ読むならその可能性もあるよね、という程度のもので、個人的にはそれほど重きを置いていません。
理由2. 手紙での言葉の使い方
ここからは長尾顕長が写しを依頼したという前提で考えます。
まず傑作の刀があり、それに心を寄せた人間がいて、その傑作を写した。
それだけのこと。
傑作の刀に心を寄せ、写した人間は誰なのか。これがもし、「写しが打たれた」「写しが生まれた」のような書き方であれば長尾顕長でもおかしくはないと思います。しかし「写した」です。「写した」の主語にあたる部分に「刀工」を差し置いて「写しを依頼した人間」を入れるのは違和感があります。初の頃から「長義が打った」と名乗り、「長義の傑作」として帰還する山姥切長義がそのような書き方をするとは、わたしには思えませんでした。
ですので、写したのは長尾顕長ではなく堀川国広であり、=心を寄せた人間、だと考えました。
(ちょっと苦しい解釈ですが、心を寄せた人間≠写した人間、と取れなくもない、かな……? とは思います。しかし、心を寄せた人間は長尾顕長で、「写した」の主語は堀川国広で、心当たりの一人が長尾顕長であるといのは、やはり「刀工」の存在を軽んじているように感じられてしまいます。これはもう印象の問題ですね)
理由3. 刀には物語が乗るのが宿命
最も重要な理由を説明する前に、ひとつはっきり主張しておきたいことがあります。長尾顕長から長義へ、また長義から長尾顕長へ「特別な感情」が存在する可能性を、わたしはまったく否定していません。むしろ一番大切だからこそ審神者には見せない、という可能性も大いにあり得ると思います。「ない」ところにこそ「ある」。言及しないことが最大の感情の証かもしれない、というヤツですね。
しかしあくまで手紙においては、山姥切長義は「自分を表す言葉」として「長義が打った唯一無二の傑作」と書いています。
長尾顕長にとって長義の刀は唯一無二の特別な存在であったと思います。しかしそこには、
「屋形様」から下賜された主従関係の証
褒美として与えられるはずだった領地の代替品としての意味合い
本来ならば家宝として子々孫々に受け継いでいくような刀を、(敗戦、そしておそらくは自らの死によって)手放さなければならない状況
など、「刀自体の純粋な出来」以外の文脈がどうしても乗ってしまいます。
それらの、「刀の宿命として付随する価値」から離れて、「刀という物」として評価することができたのが堀川国広だったと考えます。
繰り返しますが、長尾顕長が長義の刀を評価していなかったと考えているわけではありません。むしろ逆で、感情が入り込みすぎて正当な評価ができないくらいなのでは? と想像しています。これはお互いに(長尾顕長→長義の評価も、長義→長尾顕長の評価も)そうなのではないか。「過少」も「過分」も長義にとっては「正当な評価」ではない。正当な評価ができない自覚があるから口にはしない。長義の性分ならその可能性もあると思います。
へし切長谷部が「長政さま」の話をついぞ審神者の前ではしなかったように、長義にとって長尾顕長への感情は、審神者にすら見せたくないほど大切なものなのかも知れません。
マロ主さんが刀ミュの「花影ゆれる砥水」をご覧になったかは分かりませんが、主要登場人物である本阿弥光徳の言葉に次のようなものがあります。
「刀を心で見ようとしてはいかんのです。この目で、この目だけで、見極めんと」
長義の刀を「心」ではなく「目」で評価したのが堀川国広である。私はそう考えます。
「長義が打った唯一無二の傑作」
それ以上でもそれ以下でもない。この評価を正しく与えられるのは、長義の中では堀川国広ただ一人だった、とわたしは結論づけました。
以上が、長義の「心当たりがある一人」が堀川国広であり、長尾顕長ではない、と考えた理由になります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
2025年1月25日 作成
参考文献
さよのすけ(RayS) (2019) 『山姥切考察本』第二章