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第61話 上達の近道は人に教えること【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
「明日の朝は気をつけなよ。」
乗馬をした日の夜、根岸君のバタバタが終わった後、ムーミンさんは泡盛を飲みながらぼくに言った。
「あそこにいるトオルは初めて乗った次の日階段から落ちたからな。乳酸菌が・・・。」
ムーミンさんのうんちくは本当に長い。下手に頭がいいので、いちいち科学的根拠とかを述べるのだが、それが長く、あまり人の話は聞かない。
要するに乗馬に慣れていない人は、足腰の筋肉痛が半端ないのだ。
特に夢有民牧場の乗馬はトレッキングで数時間も乗るというのと、初心者にしては激しすぎる乗り方をさせるので、普通以上の筋肉痛になる。
特に運動をあまりしていない人には激しい筋肉痛が待っている。
ぼくもムーミンさんに泡盛をいただきながら、「やばいっすね」などと相槌を打っていた。
ぼくは運動には自信があったので、さすがに階段から落ちるほどじゃないだろうと思っていた。
まあでも朝になってみないと分からないし、ムーミンさんたちもぼくをただの歌うたいの旅人としか見ていないだろうから、そうおどされても仕方ない。
そんなことよりもぼくは翌日からこの牧場のスタッフとして働くのだった。つまりただで働かされる新しい「奴隷」が生まれたのだった。
「明日から牧場で働くのかあ。面白いなあ。」
思いもかけず、ぼくの牧場生活が始まったのだ。いや、晴れてと言えばいいのかもしれない。
お金もなくなったし、何の目的も目標も見いだせなかったけど、ぼくにはなぜか爽快感があった。
いや、目標はあるにはあった。春になったら沖縄を出て鹿児島に渡り、日本二周の旅を続けることだった。
でもそれまでの数か月をどうするかということは一文無しになったことで完全に白紙になった。
見方を変えれば、むしろぼくは「冬は沖縄で越そう」という当初のたくらみをかなえていたともいえる。
だって、住む場所はあるのだし、しかも食べ物も保障されていて、ここでただ働いていさえすればお金は増えなくても春まで生きることはできるのだから。
つまり一番の不安の種はなくなっており、このノープランな真っ白な状態と、これから何が起きるかわからなすぎる、想像もしなかった特別な環境にいることがどうやらその爽快感の理由らしかった。
はじめてフリーターになったときのあの爽快感に似ている。
何か楽しそうなことが起きそうで、ぼくの今までの人生でなかった新しいことが起きるような気がして、ワクワクする。
翌朝起きると多少の筋肉痛はあるものの、階段から落ちるほどでもなく無事に1階に降りることができ、朝からタクとだいすけとトオルと4人で働くことになった。
この牧場の朝は遅い。
牧場の朝というと4時起きとか暗い時間に起きる早いイメージだと思うが、ここは7時起きだ。
飼っている牛が乳牛ではなく、肉牛であるというのもその理由だが、そもそも牧場主のムーミンさんが夜型で朝が弱いのだ。
ムーミンさんは10時に起きてくる。
スタッフは朝起きると長靴と作業着に着替えて、まず最初に牛と馬とヤギに餌の草をやる。
そしておっかあが焼いてくれた食パンを食べる。この食パンはただバターを塗っただけなのだが、これがやけにうまく感じる。
その後家畜のうんこ掃除だ。牛小屋に入ると牛は人をおびえたような目で見て逃げていく。
ぼくらは「チョイチョイ」と言って牛を動かしながら仕事をする。
この牛の目が何とも言えずかわいくてぼくは大好きだ。
角スコップでうんこを集め、一輪車に乗せて運び出す。このうんこは計画的に重ねていき、たい肥にすることができる。
牛のうんこはしょっちゅう飛び跳ねるので、顔にとぶことも目に入ることもある。手についたってどうってことはない。
慣れもあるが、人間に比べて家畜のふんは臭くないし、あまり汚く感じないのだ。それは食べ物の種類と消化のプロセスの違いにもよる。
このうんこ掃除はけっこう重労働だが、これで朝一番に体が温まり、一日のスイッチが入る感覚だ。
そして10時にムーミンさんが起きてきたときに合わせて、本当の朝ごはんをみんなで食べる。
朝ごはんの時に今日の予定を確認し、ムーミンさんから指示が投げられる。
家畜の餌の草のストックの量を確認して草刈りの呼びかけをしたり、お客さんが来る日であれば乗馬に出す馬の確認と、乗馬に出るスタッフの確認をしたりする。
タクはだいすけとトオルが来る前は一人でこれらの仕事をこなしていたというから化け物だ。
タクはもう数か月この牧場にいるそうで、寡黙でスラっとした細マッチョで、ホリが深くかっこいい。優しい。乗馬もうまい。完全にムーミンさんの弟子としか見えない。
そのタクは依然ムーミンさんの車を壊してしまったので、その弁償のためにたい肥を作りまくって農家に売るということをしていた。
たい肥を売ったお金に関しては、半額を牧場に、残りの半額をスタッフ割りにするというルールがあり、それが唯一この牧場でスタッフが稼げる方法だった。1袋250円。
農家に売ると言っても、お店に卸すのではない。ぼくらが車に積んで近くの農家に直接営業しに行くのだ。
「鶏糞が入っているのでいいですよ~。」とか言って。
売れるときは100袋とか大口で結構売れる。
でも当時出来上がっていたたい肥はタク一人で作ったものであり、ぼくらに分け前はないし、たい肥はすぐにできるものでもないので働いて間もないぼくが稼ぐにはまだ早すぎた。
牧場の午後草刈りがある時はサーフにけん引の台車をつけて出かける。ムーミンさんは今帰仁村のどこにめあての草があるかよく知っていて、いろいろなところに草刈りにぼくらスタッフをかりだす。
草はススキやネピアという草を鎌で刈り、それをけん引の台車に2m近く高く積みまくって持ち帰り、牧場の裁断機で細かくして貯めておく。
まあ貯めておくといっても数日で家畜は食べつくしてしまうので、週に何回か出かける必要があるし、一度に刈りすぎても傷んでくる。
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また、乗馬が入ったり、天気が悪かったりする日もあるから結構頭も使うし忙しいのだ。
ただ、仕事の合間に暇な時間はいっぱいあった。特に乗馬のない日は草刈りの合間に暇があるし、乗馬もなくて草のストックがある日は一日暇だ。
ぼくがまずしたことは頭を坊主にしたことだった。
これも小さな夢だったが、いつか人生で一度は坊主にしたいと思っていたので、「ここだ!今しかない!」と思って坊主にすることに決めた。
特にバリカンなどの道具はなかったので、はさみと髭剃りでタクとだいすけとトオルにやってもらった。
「SEGE坊主にすんの?受けるね。なんで?」
「だって今しかないじゃん。」
「痛そうだけどやっていい?」
「いいよ。」
そしてぼくは晴れて生まれて初めて坊主になり、また小さな夢をかなえた。
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このことがぼくとほかのスタッフとの距離を一気に縮めたと思う。
ぼくは歌をうたっていたというのも興味を持ってくれたことの一つだったと思うが、ぼくがいきなり坊主にすると宣言したのはインパクトがあったし面白かったようだ。
また、当時ぼくはタバコを吸っていたのだが、もちろん買うお金はなかったのでタバコはだいすけにねだっていた。
スタッフの一人であるトオルは放浪する関西出身の十代の青年だったのだが、彼もお金はあまり持っていなかったので、ぼくと二人で、
「ヤニがみさま~。くだせえ~。」
などと言って、いつもだいすけにタバコをめぐんでもらっていた。
だいすけはタクの大学時代の同級生であり、短期で遊びに来ているだけだったから経済的に困っているのでもなく、気前がよかったし、もちろん優しいというのものある。
そしてぼくが牧場にきて二日後には、エリというぼくと同じ年の写真好きの大阪の女の子が牧場入りした。
実は彼女はぼくが月光荘でムーミンさんに初めて出会って歌っているときにその場にいたというのだ。
「あの歌めっさよくて。そういえばSEGEが歌っている後ろに後光がさしていてびっくりしたんよ。この人すごいなあおもて。」
「え?ほんと?後光?そんなの見えるってすごいね。」
嘘か本当か。エリは今でも当時のことを話すとそこのこと持ち出す。彼女には見えたらしい。
そしてエリも当然乗馬をするのだった。
あのおそろしい乗馬を。
(ひょっとしておれもまた乗るのかな。でももうお金ないしな。)
「SEGE。お前も乗馬に行くぞ。」
「え?でもお金ないですけどいいんですか」
「バカ言え。教えるんだよ!」
「え?教える?もう?」
「そうだ。お前はもうスタッフだからな。だいすけだって教えてるぞ。」
(確かに。短期で遊びに来ているだけのだいすけもお客さんに乗馬を教えている。)
しかし、スタッフになってなお一層ぼくへの扱いが荒くなった気がした。
(おれに教えられるのか?)
つづく