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第15話 かつて存在した1日に2本しか列車が来ない駅【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

ぼくはロータリーにおろされ、駅の時刻表を確認した。次の到着まで数時間もあった。

「9時の後は18時だと?!何して待ってればいいんだよ!」

(9時までにここに来られるはずないじゃん。日の出とともに早起きして、函館からわりとスムーズに来て、それで今昼だ。そもそもそんな少ないなんて知らないし。しかも函館方面の下りは3本なのに、おれが向かう上りはなんで2本なんだよ。)

いや、この列車はぼくのためにあるわけじゃない。何を言っても無駄である。

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知内駅は1日に2本しか電車がない。駅の周りには何もない。ロータリーと自然のみ。駅は無人駅。当然だが、ほかに待つ人もいない。

この知内駅は現在は営業を終了しており、存在しない。この日泊まった青森側の「津軽今別駅」も現在は存在しない。八戸駅の建設中にも立ちあったし、それも全て新幹線開通の影響なのだ。

時代の流れを感じるし、あの時立ったあの場所がないのかと思うと、さみしい気持ちがこみあげてくる。


さてぼくは一旦駅に入ってホームに上がってみた。そしてあまりにも暇なので自撮りの記念撮影をしてみようと思い立った。

(いつかCDのジャケットにもしてみようかな。)

それにギターケースに書き込みが少ない頃の写真を残してもおきたいという思いもあった。

ぼくにはカメラの三脚なんてものはないので、地面にカメラを置いて撮影をしてみた。

当時のカメラはまだフィルムなので出来栄えを見ることができるのは相当先なのだったが、けっこううまくとれていた。ちょっとキザだが。

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そのあとぼくは無人の駅のホームやロータリーをいったりきたりしながらなんとか時間をつぶした。

いや、でも数時間も列車を待つなんて、もう何ともなかった。ぼくはその数か月前にインドに行っていた。

(まあ、インドのこと考えれば大したことないか。待つのも数時間だし、乗っても20時間とか乗ったしなあ。)

そうインドは時間通り列車が来ない。ある知り合いの旅人は、
「おれは朝の電車待っててさあ、夜が来て、朝が来て、また夜が来てやっと来たよ。」
と言っていたほどだ。

それは極端すぎる例だが、3,4時間遅れは、ざらだ。

だから気持ちをインドモードにすればなんてことはない。しかも日本は決まった時間にちゃんと来る。

そしてようやく待望の列車がやってきた。

その列車には「ドラえもん」の絵が車体に書いてあった。

(なんで?)

入ると車内にもドラえもんの絵があったり、ドラえもんの遊具のある車両もある。今でいうキッズスペースか。

(子ども達に楽しんでもらうためなんだろう。)

そしてほどなくして列車はトンネルに突入した。

青函トンネル。

かつて幼い頃ニュースで開通の知らせを見聞きしていたあの青函トンネル。それをぼくは今貧乏旅で一人でくぐっていた。

「ドラえもん列車」の中で車内を見ていると、なんでもこのトンネル内に駅があるらしく、そこがドラえもん広場となっていて、見学ができるようだ。

(なるほど、それでドラえもんか。人集めか。)

そして車内の電光掲示板には現在の深さが表示される。最深部で海底から240mだそうだ。

ぼくは途中の駅を通過するときに何か見えないか目を凝らしながら、そしてがらんとした車内をうろうろしながらひまをつぶした。

(知内から津軽今別の間だけこの列車を利用する人なんてそうそういないだろうなあ。)
そうなふうに、レアな境遇の自分に特別感を持ちたくなる。

そして最深部の240mを通った時も、ささやかだけどわくわくした。

知内で乗車したのは18時だった。青森側の「津軽今別駅」に到着するともうあたりは暗くなっていた。

(やれやれ。もうここで寝るしかないじゃん。)

ぼくはもうその日は移動することをあきらめ、駅で寝ることに腹を決めた。でも景色が見えないからここが一体どんな場所なのかわからない。

分かるのは、真っ暗でつまり街灯がなく、ひどくド田舎だということ。興味があって少し駅の周りを散歩したけど、怖くなって戻ってきた。

駅にある自販機の明かりがまぶしく、心強い。駅には大きな看板が立っていて、なにやら「新幹線駅『津軽いまべつ』をここに」みたいなことがかかれている。

どうやらここは近い将来新幹線の駅になるようだ。

(おれが寝るこの駅はなくなってしまうのかあ。動物に襲われませんように。)

駅での初めての野宿。ぼくはそうお祈りして一人寝袋に包まれた。

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