第41話 昔地球には7色の肌の人がいた?【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説
福岡最終日だ。そろそろ福岡を出発しなくてはならない。
うかうかしていると野宿ができる寒さではなくなってしまう。中洲の春吉橋でいくらか稼ぐことができたので、寒さ対策のために、ぼくは福岡の街で一着防寒着を買うことにした。
福岡で買おうと思ったのは、寒さ対策もそうだが、やっぱり服のセンスがよいというのも理由の一つだ。
東京で言ったら渋谷とか原宿、代官山とかは、その街に行かないと手に入らない服が売っている。そういう場所は大都市の限られたところにしかない。
どこに行ってもたいていはチェーン店ばかりだからだ。
福岡はそういうおしゃれな服が売っている街である。天神の西側の薬院あたりをぶらつき、ぼくはチャムスのグリーンのジャケットを買った。
当時はまだチャムスが出始めの頃だったので、ぼくは福岡で初めてチャムスに出会ったし、現在ではどこでも手に入るくらいメジャーになっているのはみなさんご存じだろう。
グリーンのジャケットと言ってもトレーナー地だから冬を越せるほどのものでもない。当然そんなものは買えるお金もなかった。
街を歩き回っているその最中、夜は歌っている春吉橋の近くを歩いていた時のこと、ぼくはまた占いのおばちゃんに話しかけられた。
ぼくを「善と悪ぼはざまで生きている」と言っていたおばちゃんだ。
おばちゃんは突然しゃべり始めた。
「あのね、地球にはね、大昔7色の人々がいたのよ。紫と赤と緑と灰色と白と黒と黄色。その中で紫と赤と緑と灰色の人々は愛にあふれた人たちでね。その人たちは地球から飛び立ってほかの星に行ってしまったの。昔はね、空を飛べた文明もあったの。宇宙人と言われるのはその人たちのこと。じゃあ、白と黒と黄色の人達はというと、この人たちは悪い人達で、今も地球に住んでいるの。」
「あ、ぼくらのことですか。」
「そうそう。戦争しているでしょ。飛び立った人たちはいまでも地球を見守っているのよ。でもね、その人たちの名残もあるのよ。例えばインディアンは赤いでしょ。中東の人達は灰色ね。紫は目のクマとかが青っぽいでしょ。」
「はあ、なるほど。」
「あとね、目もいろいろな色があるわよね。7色の目や7色の肌を持つ人が昔はいたの。例えば釈迦やキリスト、アラー(マホメット)は七色の目をしていたのよ。みんな宇宙人のテレパシーを得て説いたのよ。
それでね、地球に住んでいる人はほかの星になんて危険で住めないと思っているでしょ。でもね、ほかの星の宇宙人からすると、地球から旅だった人達以外は『あんな危ない星に住めるわけない』と思っているのよ。なぜかわかる?」
「いや、分かりません。」
「地球は雲で覆われているでしょ。外からは見えにくいのよ。大気で覆われているし、電磁波にも覆われていて、あんなところ危なくて入っていけないって思っているのよ。」
「ああ、そういうことですか。」
「そうなのよ。それとね、時々地球にも空を飛べる人がいるのよ。緯度が0度のところは実は体が浮きやすいの。サハラ砂漠が一番浮きやすいの。空を飛ぶ人たちはそういうところから飛び立っていくのよ。あったまると体が浮くのよ。あったまった時、体が軽くなったような感じするでしょ?そういうことなの。月にも本当はどこにも宇宙人が住んでいるのよ。」
「本当ですか?すごいですね。こういう話よくするんですか。」
「いや、こういう話するの初めてよ。」
ぼくは戸惑っていた。
(なんなんだこのおばちゃん。この話おかしすぎるだろ。でも、どこか本物っぽい。ていうか、なんでわざわざおばちゃんはおれにこんな話をするんだ?こんな通りすがりの旅人に話して何になるんだ?それが真実味を増させるな。うーん。でも面白い話だから覚えておこう。)
しかし九州でこの手の話に出会ったのはこれで最後ではなかった。九州は神話の国と言われるが、いろいろな伝説が根付いている地域なのだ。
九州の入り口福岡で、ぼくは伝説の世界にも入っていったようだ。
その日ぼくは漫画喫茶に泊まることにした。深夜まで歌ってから野宿をするとすぐに明るくなり、眠れないからだ。それに、翌日は出発するしゆっくり寝ておきたい。
漫画喫茶も当時は今ほどは多くはなかった。しかもコンビニの地図に載っているわけもなく、自分の足で探すしかない。
明日ぼくは佐賀を目指す。だからなるべくそちらへ行きやすい西の方へ向かいながら探した。六本松に近いエリアで、ようやくぼくは漫画喫茶を見つけた。何とシャワーまである。シャワーがある漫画喫茶も当時はまだ珍しかったのだ。
ぼくは初めの漫画喫茶にドキドキワクワクしながら一晩を過ごした。気持ちが浮ついていたのか、デニム生地のペンケースを置き忘れて、翌日出発してしまったのが悔やまれる。
10月12日、ひさびさのヒッチハイクだ。198台中60台目。六本松から伊万里まで。
ぼくは陶芸が好きなのもあって、陶芸の街には降りておきたい。
乗せてくれたのは25歳の梶田さんという方で、伊万里出身の方だからちょうどよかった。
「おれフリーターなんだよ。フリーターサイコー!!」
と言っていた。その気持ちよくわかる。受験校に通い、敷かれたレールの上を生きていたし、『大人になるにはこうしなきゃいけない』という束縛に、学生だったぼくは疲れ果てていた。
「こんなの本当の自分じゃない。」
と思いながらも飛び出す勇気、はみ出す勇気がなくてそれを人のせいにしたり、自己嫌悪に陥っていた。
「でもやっぱり本当の自分に何ができるのか知りたい。」
そう思って歌を作り始め、旅に出た。
大学を卒業し、完全にフリーになったとき、ぼくは「やっとあこがれのフリーターに成れた!!」と歓喜したものだ。
でもヒッチハイクをしていると、
「大学生でしょ?え?!卒業してから旅しているの?」
と驚かれたり、
「旅を終えたら仕事するんでしょ?いつまでもやっていたらだめだよ。」
という人もいた。だから梶田さんのような人に巡り合うと気が楽だった。
梶田さんは佐賀県の豆知識を教えてくれた。
・有明海にはムツゴロウがいる
・「バルーンフェスタ」という気球の世界大会が佐賀では行われている
・吉野ケ里遺跡がある
確かに、歴史で勉強した吉野ケ里遺跡は佐賀だった。
「がんばれ!」
とぼくのメモにメッセージを残してくれて、梶田さんは伊万里でぼくをおろしてくれた。