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第49話 日本二周中の九州何周?【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】


九州何周?


 古未運は熊本の佐土原、そこは高速の益城インターの近くにあった。 


 熊本地震が起きたのはそれから10数年後だったが、益城という地名はその時全国的に知れわたったと思う。

 当時、陳君が熊本にいることを知っていたのでぼくはすぐに電話したら、家は壊れテント生活をしているということだった。

 テント生活とはいえ無事でよかった。そして熊本城はご存じの通り、石垣が崩れた。自分が行った熊本城。あそこが崩れてしまうなんて。

 ぼくはこの日本二周の旅では全都道府県をまわっていたので、その後の生活でニュースに出てくるいろいろな場所がまるで自分の街のように感じるようになった。

 単なる他人事のニュースではなく、その場所やそこにいる人々が手に取るように感じられるので、いいニュースはいいニュースでその分うれしいし、悪いニュースは悪いニュースでそこに住んでいる人のように胸が傷つくのだ。

 特にたくさんお世話になった場所が破壊されるということは、今にでもそこにかけつけたいという気持ちにさせるのだった。

 ぼくは熊本にこの1周目で実は3回立ち寄っている。要するにここ古未運をベースにほかの県に行ってはまた戻ってくるということをしていたのだ。

 古未運は九州でのぼくのホームのようになっていた。

 それは古未運がぼくを歓迎してくれたということだけでなく、古未運という雰囲気が開放的なのこともそうだし、ここが個人の家ではないということも気軽に出入りしやすかった理由だと思う。

 さてそういったわけで、ぼくはなんと古未運に着いた翌日の10月17日には宮崎の延岡にいた。東野さんに、

「22日に鼓の文化財の人が来るからSEGEも見に来なよ。」

と言われていたから、5日後に古未運に戻ってくればいい。

 ヒッチハイクで野宿で貧乏旅の旅人に対して、まるで近所の友達を誘うかのような雰囲気で誘ってくる東野さんはさすが豪快だ。

 こちらの大変さを分かっているのか、分っていないのか、それとも「それはできる」と信じて疑わないからなのか。面白い人だ。

 簡単にヒッチハイクでその日に戻ってこれるかという保証はない。

 そしてぼくがそこにプレッシャーと冒険チックだなという爽快なうれしさも感じたのも確かだ。

 ところでぼくがなぜ延岡に向かったかというと、延岡にはインドでお世話になったたいぞうさんがいたからだ。その用事がなければそのままずっと古未運にいたと思う。

 熊本に来たら次はたいぞうさんがいる宮崎に行こうと決めていたから、少し前に連絡をしていた。たいぞうさんのところにはさすがにアポなしで行くのは気が引けたのだ。

 インドではデリーで出会ったその日から毎日のようにみえちゃんと二人で歌を聴いてくれたし、ネパールのカトマンズではわざわざぼくの滞在日に合わせて待っていてくれた。

 しかもカトマンズでライブもセッティングしてくれた。

 本当に頭が上がらないし、4つ上の方ということもあり、義理人情も大切にするオーラのある方なので、そこはしっかりアポをとっておいてからお邪魔しようと思ったので、数日前に電話していた。

 「もしもし。たいぞうさん?お元気ですか?」

「もしかしてSEGEくん?どうしたの?元気だよ。最近どうしてる?東京戻ってからライブやってるの?」

「いや、あのー、今日本二周という旅をしていて九州にいるんですよ。」

「えー!まじで!?本当にやってるの?はんぱねえな。本物だな。」

「みえちゃんから聞いてないですか?」

「聞いてなかったけど。みえちゃん福岡にいるよ。」

「そうですよね。みえちゃんには福岡で会ってるんですよ。それで今熊本に向かっているんですけど、このあとたいぞうさんところに行ってもいいですか?」

「いいよいいよ。なにでまわってるの?」

「ヒッチハイクでまわってるんですよ。」

「まじで!?うち泊まりなよ。」

「いいですか?ありがとうございます。また近づいたら連絡しますね。」

「分かった。気をつけてね。」

 そして古未運に着いたぼくは再びたいぞうさんに電話した。

「もしもし。たいぞうさん今熊本に来ています。」

「ちゃんと着くんだね。どこにいると?」

「熊本の古未運というところです。」

「え?!古未運?古未運て、あの外にステージあるお店?」

「知ってるんですか??」

「ああ、行ったことあるよ。SEGEくんライブかなんかするの?」

「まじで知ってるんですか??すごいですね。いや、ライブは、あ、はい、することになったんですよ。30日に。」

「やるねえ。誰か知り合いとかおったと?」

「いや、福岡で知り合った太鼓たたきの人に紹介されてたどり着いたんですよ。いやあ、たいぞうさんが知ってるとは思わなかったなあ。世界って狭いですね。」

「そういう流れで行きついたんだ。すごいね。古未運なら迎えに行けるよ。」

「まじすか?延岡から?いいんですか?」

「おれはちょっといけなそうなんだけど、また連絡する。」

「わかりました!」

 そしてたいぞうさんはお兄さんに連絡をして、お兄さんのたけひこさんがぼくを迎えに来てくれることになった。

 それにしてもコミューンがどこにあるのか、いったいたどり着けるのか、必死に雨に打たれながらおびえながら来たのに、たいぞうさんが知ってたとはー!!

 いや、でも延岡にいるたいぞうさんが熊本のお店を知っているとは普通は思わない。あらかじめ知ることはやっぱりできなかったはずだ。

 それよりもここから延岡に簡単に行けるようになったことをラッキーだと思おう。難なく一県また進んだことになる。

 古未運への道のりの苦労はあってしかるべきものだったのだと思う。無事到着できたから思うのだが、ものすごい楽しい冒険だった。

 お兄さんは無事古未運に来てくださり、数時間かけて延岡のたいぞうさんの実家に到着した。

 ここからライブまでの約2週間、ぼくは宮崎、大分、福岡、熊本、延岡、熊本と移動した。あまりにも目まぐるしく動いたので、記録にも残っていないところがあるし、正確に足跡をたどることは難しい。

 当時の地図には移動した道を赤でなぞってあるが、九州何周したの?という感じである。

 つづく

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