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第59話 初心者が命をかけるトレッキング乗馬【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
馬で海に行くということ自体があまりイメージにないことだった。
乗馬でのトレッキングというものにも、この牧場特有の乗馬というものにも、この破天荒なおじさんがいる夢有民牧場というものにも全く予備知識がないままぼくは海にたどり着いていた。
いやたどり着かせられた。
馬を楽にしてあげるために背中から鞍をはずす。鞍の下にあった馬の肌は汗でびっしょりになっており、茶色がぬれてそこが濃い色になっている。
馬をねぎらう気持ちで、じっとりとした馬の肌をぺたぺたと叩いてやりながら、たずなでひっぱって浜辺まで連れて行く。
そこはウッパマビーチという海水浴場だった。ホテルもあるし、夏場はにぎわっているのだろう。
しかしその時は11月だった。ひと気がない。ホテルは、どう見てもホテルなのだが、(あれはたぶんホテルだよな)と思わせるほど廃墟のようにひっそりしている。
ぼくはその後も一度も夏の今帰仁の海を訪れたことがなく、あの海水浴場に人がにぎわうというのは嘘だと思っている。
とにかく人がいなかろうが沖縄の海が目の前にあるのだった。テレビでしか見たことがない、ありえないほど透き通り、なぜ青いのか不思議でならない美しい色をした海。
どうして南国の海はこんなにきれいなんだろう。そしてどうして本州の海は透き通っていないのだろう。
さて、海辺にはぼくらしかおらず、要するにプライベートビーチ同様な、なんともぜいたくな状況だった。もしこれが夏だったならものすごいありがたいが、実はその時期でも海に入れないことはない。
海水の温度は2月くらい遅れて変化しているので、今は9月頃の気温に応じた海水温になっているはずだった。
だから寒さを感じたとしても、海に入ることがとても無理だというほどでもないが、そんなに無理して沖縄の海に入るのもどうかと思うし、まったく興奮しないし、入ろうという気持ちはさらさらならない。
「どさ。」
(馬が・・・。)
人を乗せたり乗馬に駆り出されたりするのが一番嫌そうなテツが砂浜に横たわった。
「馬は、立ったまま寝るんだよ。寝たままだと死んでしまうんだよね。」
とムーミンさんは言う。
(じゃあこれは何をしてるんだ?)
一時的になら寝っ転がっても大丈夫なようだ。砂に体をこすりつけるのが気持ちよいらしい。それに疲れてもいるのだろう。
ブフフ、ブフフ気持ち良さそうに鼻を鳴らしながら、テツは砂の上で体をよじらせている。
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「ほのか。やってみろ。」
ムーミンさんがほのかに命じた。
ほのかは鞍をつけていないマーちゃんにまたがった。つまり裸馬に乗るのだ。
ほのかはビーチの波打ち際を向こうへ行って戻ってきた。暴れん坊将軍のようだ。ちがうのは、鞍がないということだ。
(いや、そんなの見せつけられてもうちらにはとうていできないし。)
「あなたたちも乗ってみなさい。」
(はあ?)
おそるおそる乗ってみたが、マーちゃんは宮古馬なので馬体が小さく、そうすると上の人間はバランスがとりにくくなる。
(ほのかはこんな馬をのりこなしているのか?すごいな。)
いや、ほのかは小学生だから、彼女の体格ではちょうどよいのだった。
大人が乗ると重心が高くなるので落ちやすいし、ぼくはサラブレッドに乗った後だったのでそのギャップも手伝って余計乗りにくかった。
すぐに降ろさせてもらった。
「着替えを持っていれば馬も一緒に海に入るんだけどね。」
(え?馬と一緒に海?)
どうやら馬も泳ぐらしい。
ぼくらは帰り支度を始めた。馬に鞍を着け、行きと同じ道を引き返すようだ。ここまでのところ、心配したような事故は起きなかった。危険な枝には遭遇しなかったし、馬もこけなかった。
怖かったのは、公道を走るということと、馬が公道で端に寄ってくれないことがあったり、民家の横を通る時に塀に足がぶつかりそうになったりすることだ。
もう一つの問題はテツがあまり動いてくれないということだった。
不思議なのはぼくら初心者が乗ると全然動かない時も、ほのかやスタッフなどの経験者が乗ると動いてくれるということなのだ。
馬はどうやら乗る人の精神状態が分かるらしい。
ぼくらがうまく操れない時、スタッフは馬に「チャー!!」とか言ってゲキをとばしたり、おしりをたたくふりをしたりして言うことを聞かせてくれた。
そんな感じで大きなトラブルはなく、しいて言えばムーミンさんのどなり声が一番こたえた。
順調に村を通り越し、人気のない長い直線の道に入った。ここを通り越すと基本練習をしたアスファルトの林道に戻る。
直線に入ると間もなく馬たちの足取りが変わり始めた。なんと動かすのに苦労したテツがチャッチャカと歩を進めるのだ。
「馬は下りよりも上りが燃えるんだよね。下りは足を進めにくいんだけど、上りの方が得意なんだよ。」
それは知らなかった。確かに上りなのに俄然強気に足を速めている。でも速くなった理由は実はそれだけじゃなくて、早くお家に帰りたいのだ。
この直線の道になると馬も「これは帰る道だ。もうすぐお家だ!」と分かるのだ。
そしてこの直線がこの乗馬の肝であり、クライマックスでもある。
「ギャロップだあ!前傾姿勢だあ!」
とムーミンさんが叫ぶ。初心者にギャロップ体験をさせるのがこの直線なのだ。曲がり角がなく見通しがいいし、人気もない。上り坂。
馬を走らせるには絶好の状況なのだ。
ギャロップになると馬の上下動が激しくなる。経験が浅い者が乗るとお尻が跳ね上げられ、落馬しそうになる。
なので、騎手はお尻を上げて膝で上下動を吸収し、体を安定させるために重心を低く保つ。つまり前傾姿勢になる。
競馬の騎手の乗り方を見たことがある人は分かるだろう。
しかし、そんな簡単に初心者にそれができるわけがないのだ。
「なみあし」でさえうまく乗れないのに、ギャロップなんてできるものか。馬にうまくあわせられないのと、スピードをおさえるためにたずなをひっぱることでついつい上体が上がってしまう。
「こらあ!死にたいのかあ!橋の下に落ちるぞお!!」
(橋の下?確かにここは橋の上で、柵の下は深い谷だ。しかも柵はおれのあぶみの位置くらいだから、馬体に跳ね上げられたらすぐにまっさかさまじゃん!)
ムーミンさんの注意はむしろ逆効果だと思う。乗り手の恐怖をただあおるだけだ。体が余計にこわばって、もっとあぶなくなる。
(橋から落ちるなんて言わなければ気づかないのに言わないでよ!)
意地になってやりきるか、おじけづいてあきらめるかのどっちかだ。
(絶対に落ちてたまるか。)
なんとか直線はやり過ごした。根岸君はひたすら馬にしがみついている。
ふと思う。トレッキングを始める前に行った「受け身」の練習が確かに役立っているということ。とにかく馬のたてがみと首にしがみつくということを覚えていて、ここで役立っていた。
ただ、たてがみをつかむときに一緒に手綱をひっぱってしまうことで馬にブレーキをかけてしまうのでそれで馬がいやがっていた。
特に根岸くんの方はそうだった。馬は走りたいのにずっとブレーキがかかっていた。まあ怖いからしかたないのだが、ムーミンさんは怒っていた。
「たずなを締めるな!進ませろ!!」
(これはしごきだな。)
そして馬は林道に入った。ほのかは先頭で軽快にマーちゃんを走らせている。よく見るとマーちゃんは馬体が小さいからサラブレッドがなみあしのときも、しょっちゅうギャロップになっていたのだ。
それに今気づいた。マーちゃんはほぼずっとギャロップだった。ほのかは、ときどき歩を緩めてぼくらに合わせてくれたり、止まって待っていてくれた。
だが、林道に入るともうその必要はなく、馬たちは俄然スピードが上がった。林道はカーブが多く、木も生い茂っているので見通しが悪い。
さらに恐怖心が増す。それと枯れ葉で馬が足をすべらせないかも心配だ。
それでも何とか牧場に通じる砂利道までたどり着いた。
(無事にもどってきたぞ。)
しかしこれで終わりではない。馬たちはスピードを緩めないし、砂利道は足が痛むので、どうしても枯れ葉の多い道の端に寄るのだ。
「バリバリ!ガサガサ!」
(ぬうおおおおおおお!!!)
道の端は木が生えている。馬は木をよけてくれない。というより自分がよけられていればそれでよくて、乗っている人の分までよけてくれない。
(なんだこれはああああ!)
実はこの砂利道が一番落馬しそうだった。そういうことを教えてくれる人はだれもいなかった。
(ぜったいにおちないぞおおおおお!)
そしてついに牧場にたどり着いたのだった。
つづく