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第4話 後悔しないために就職しない【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
日本二周二日目。
朝9時15分。今日は栃木は宇都宮を目指す。仕事前に古田に送ってもらって、ぼくは熊谷方面に伸びる幹線道路に降ろされた。昨日と違うことが一つある。それはギターケースに「日本二周中」と書いたのだ。
これによってその後「今二周目なの?」と何度も質問されることになった。たとえ1周目でも。
「おまえアホだろ。」
古田にはそう言われた。それは心地よいイジり。就職せずに音楽をやるということについて誰もが「やめなよ。」と言っていた。その中でも古田は理解してくれた唯一の親友。
なぜ?なんで分からない?みんな自分の将来が心配じゃないのか?今なんとなく前に進むことで後で後悔するということが怖くないのか?
「あの時やっていればよかった。」
と思うことが怖くないのか?しかしぼくが言っている心配が正しいものなのか分からない。
例えば「将来の心配」という言葉は同じでも、ぼくと相手とではそれがさすことが全く逆なのだ。
「やっていればよかった」の内容も全く逆だ。「就職しなければよかった」と「就職すればよかった」と、それは人それぞれ。
だから話はいつも通じない。
でも、ぼくは前にならえで慣習のように就職活動して進むことは、自分にとっては危険に思えたのだ。
そしてぼくが間違っていないかどうかの答えは自分の中と、実際にやって示して行くことにしかない。
でも古田は全く反対せずに応援してくれた友達だ。
「おれはSEGEちゃんの歌好きだよ。応援してるよ。」
それは何よりも最高な誉め言葉。今やらなくてはならないことが人生にはある。30,40になってやればいい?嘘だろ。
その時になってやって何の意味があるんだ?今の自分を試したいのに。そんなこと言う大人は「若者は可能性に満ちている」って言葉を社会から消し去る運動をしてくれよ。
それに、あのときやればよかったなんて後悔しながら生きるなんて、そんなの死んだ方がましだ。
ヒッチハイク3台目。50歳くらいのお父さんと20歳くらいの娘さん。親子でユニクロに行く途中だという。熊谷バイパスで熊谷方面に向かう。
(熊谷かあ。いつも天気予報で夏になると出てくるとこだな。暑くて有名な。)
ありがたいことに降ろしてくれたのは東北自動車道の加須インターだった。
4台目のおじさんはなんと日本一周経験者だった。ユニークなのは週末のみで毎週日本の各地を回っていくというやり方。サラリーマン時代に18歳から6年かけて達成したという。
(そんなやり方があるの!?それはそれですごいな。)
5台目の方は奥さんの実家が宇都宮でお線香をあげに宇都宮に行くところだという。
4台目のおじさんもお盆で帰るところだと言っていたが、父親がカトリックの家で育ち、しかも季節感がそもそもないぼくには、今がお盆という感覚がなかった。
(おれってお盆とかっていう感覚ないなあ。なんか新鮮だなあ。日本人てお盆が年中行事になってるんだね。勉強になる。)
車内ではいろいろな物をいただいた。せんべい、梨。そしてご主人はバイクが趣味なようで、いかついサングラスをしてバイクに乗っている写真が載っているテレホンカードも。
ご主人がトイレに行っている間、奥様がこんなことをぼくにつぶやいたのがすごく心に残っている。
「普段全然しゃべらない人なのに、あの人があんなにたくさんしゃべるのを初めて見たわ。あなたに会わなかったら、あの人にこんな部分があるなんて知らなかった。」
トイレのほうを見ながらとてもうれしそうにされていて、ぼくに「ありがとう」とまで言ってくださった。
(え?!ご主人普通にしゃべってたけど。なんだかおれすごくいいことしたのかな。こんなこともあるのか。)
スタートしてばかりなのにこんないいことが起きて、出発した甲斐があったなとはやばやと思った。
トイレから戻ってきたご主人はぼくにかき氷とアメリカンドックを御馳走してくださった。奥様の話を聞いたあとで、ありがたさもひとしおだ。
(ご主人はバイクも好きだし、こういう旅にあこがれていたことがあったのかもしれない。)
そんなことを思いながら、ぼくはいつの間にか宇都宮まで来ていた。
つづく