軍隊の同期の発言に驚愕。
同期の発言に驚愕
先日、とある訓練の時です。
訓練の一部で、とある場面で上官がどうしようかと頭をかかえている場面がありました。
指示が降りるまで突っ立っているのもアレなもんで、その訓練で僕のペアだった同期とアイデアを僕らなりに構想し(これが結構良いんじゃね?と自信があった)ダメ元で提案してみることに。
上官は快く耳を傾けてくれたはものの、その案はそのまま流されてしまいました。
それも当然のこと、十数年も軍隊生活を送ってき、幾度となく訓練を繰り返し戦術を練ってきた上官に対し、こちとら入隊して5ヶ月弱の新人兵が敵うはずもありません。
しかし、問題はここからです。
同期が、まあ不服そうなんです。笑
自分の自信のあったアイデアが受け入れられなかった事に納得がいかず何度も同じアイデアで聞き直しに行こうとするんですよね。
たしかに、ハッキリとした言葉で「却下」とは言われなかったものの、上官が流したということは「却下」も同然です。それに上官も早く解を出そうと真剣な空気が漂っていたのにも関わらず、同期がそこに被さって行こうとするものですから、僕は止めました。
僕らが出したアイデアには自信があったもので、僕も流された時には少し残念ではありました。ですが、結果が全てです。受け入れるしかありません。といいますか、そもそも始めから「アイデアを出せ」という上官の指示はありませんでした。なので、なおさら黙って待機するべき場面でした。
僕は言いました。
「結果が全てなんや。流されたということは、そこまでのレベルやったという事実を受け入れるんや。残念やけど、人生自分の思い通りにならないことなんかいくらでもあるぞ~」と。
すると、同期(5つ下)が鼻で笑った感じで
「お前(너)、俺より面接落ちたことあるんか?」
と思いもよらない滅茶苦茶な返答が。
「あ、俺ナメられてんな」
そもそもなんで「面接」の話がでたかもわかりませんし、流石に呆れてしまいました。
ただ、この同期は普段からも「あ、人を下に見てるな」と思うことが多く、その象徴として人を呼ぶときはいつも「お前(너)」なんですよね。
この場面で「お前は、そうやって人のこと見てるんやな」と僕は笑って流しました。(グッと堪えきれずに一言発してしまったことが後悔)
ここで皆さんに相談です。こういう場面では、
【 ① 】それでも広い心を持つべき
【 ② 】軍隊では同期だが、人生の先輩としてちゃんと叱ってあげるべき
どちらがいいでしょうか。
僕はいつも前者を選択してしまいます。
というのも、理由はいくつかあって
● 距離感を離したくない
ここで先輩ぶってガツンと言うと、向こうが距離感を感じてしまうのでは?良い意味で見ると、それくらいフランクに話せる仲になっているということ。それを崩すのもなんかな~。
● どうでもよくなっちゃう
シンプルに「あ、そんなやつなんやな」と思ってしまう。
● 怒るのがイヤ
舐められているという事に対して、感情を乱して怒るという自分がもっと情けなく感じてしまう。自分が我慢して流せばいいだけ!
ただ、
【 ① 】それでも広い心を持つべき
を選んでしまうと「さらにナメられる」という副作用が生じてしまいます。
実は、このような事は始めてではなく、同期にかかわらず、先輩とかにも最近「あ、俺ナメられてんな」と感じる事が多いのです。
それが悩みなんですよね。
部隊では、僕は歳でいうとかなり上で、幹部も含めて僕より歳上なんか10本指におさまる程です。
まあ、ありとあらゆる「コリアン•イジり」を受けてきたものなんですよね。いつも笑って流してきたのですが、それを5ヶ月も続けているとそろそろ面倒なんです。笑 「せふぁんならコレくらい大丈夫」と思われているのか本当にナメられているなと感じる事が増えました。全てが嫌というわけではなく、親しき仲にも礼儀ありです。年功序列をうたいたいわけではありませんが、それでも「俺、あんたらより4歳も5歳も歳上だぞ?」笑
どうすればいいですか。
友人からのアドバイスに納得。
上記の話を、10年以上の友人に「どう思う~」って聞いてみました。
↓↓↓
金は、やっぱ一緒にずっと暮らしてるから、どうしても絶対難しいと思うねんけど選択肢の1に置いてた、広い心を持つっていうのも、広い心持つ、って考えるから難しいし、どうしても自分の捉え方としても「あいつはしょーもないねんから、俺が『我慢』しな」ってなって、ストレスやと思その年下のやつにとったら、結果としては、同じ『無視』(若くはそれに近いもの)に変わりはないねんけど、
金の捉え方として
『広い心を、と我慢して』無視する
同じ土俵にも入りたくなくて、無視する
のでは、多分精神的ストレス変わって多分、怒る/叱るのは、優しさでしかなくて(だいぶそこにエネルギー費やすし)
もし、彼のことをそこまで気にかけてあげたいっていう思いがあるなら、一回言ってもいいかもしらんけど、そういうのって、「人見下さない方がいいよ、」とか「発言気をつけた方がいいよ」とかストレートに言っても、何言ってんねんで終わりそうやし(そこで響くやつは、もともとそんなことすら言わんし、そこに自分で気づいてる)
なんか、同じ、相手に教えてあげたい、ってことでも言葉で叱らんでも、態度で示す、っていうのもありやとは思った。
舐められてるな、とはどうしても感じてまうから、腹立つし、なめられないようにしようって思うのも、めちゃめちゃわかわかるし、絶対私も同じ立場になったら、同じようにどうにか一泡吹かせたいって思ってると思うねんけど、マジで客観的にみたら、そこにフォーカスしてしまってる時点で、自分も同じ「見下す/見下される」の土俵には立ってしまってる/雰囲気に呑まれてまう。
まぁ韓国がやっぱり競争社会で、みんながみんなこんな奴ばっかり/日本より、相手のこと見下すやつ多いやろうから、無視してもあらゆるところにいそうやけど、あんまり叱るのが正解で、無視するのが(相手のためならんから)可哀想とか思いすぎずにね(思ってなかったら全然ええんやけど)
↑↑↑
結構納得。さすが友達ですな。
とりあえずは、何でもかんでもヘラヘラしないしないようにして、ある程度の威厳をつくれるようにしたいなとは思います。
韓国で生き残るには 『自己主張』
韓国で上手く生き残る為のキーは「自己主張が上手くできるかどうか」といっても過言ではありません。
自分のプライドも自分で主張しないと僕のように舐められますし、自分のスキルも同様です。
できることは「できる」と言わなければなりません。韓国では、あなたが「できる」と言わなければ、他の「できる」と主張した人にチャンスを奪われます。
軍隊の訓練所にいた時です。
とあるチーム毎のバトルがあったのです。
16人チームで出場できるのは8人のみ。
ゆっくり決める時間はありません。
日本ではこういう時にどう決めますか?(じゃんけんはなしで)
僕が真っ先に思い浮かんだのは「自信のない人」挙手で抜けてもらうということです。
ですが、韓国では「自信がある人」挙手なんです。できるできないなんか知りません。とにかく「俺がやる」が出るわけなんです。
これにはビックリしました。なんせ「できない」人も「できる」と言い張るものですから。笑
韓国では、会社に応募する際には必ず「自己紹介書(자기소개서)」を書き提出します。いわば、自己推薦書です。文字通り、自分のことを自分で推薦するのです。
このように韓国は、自己主張をしなければ生き残れないのです。けど、難しいのができると主張しすぎても期待値が高まってしまうし、逆に謙虚すぎると「やる気ない」と思われたり無能だと思われてしまうという点です。
この自己主張の匙加減。これこそ僕の今の課題です。
在韓の皆さま。知恵を貸してください泣
PS
最近は、韓国人の「できる」に不信感を抱いております。。。笑
D-397
#いるぼねそん軍隊日誌