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チェーホフの「桜の園」の新解釈。銃は発砲されていたものとして読む方が絶対おもしろい。
2025/01/05一部編集
この記事で読めること
「桜の園」で銃が撃たれていたというエンタメ的解釈とその根拠
チェーホフの「桜の園」のあらすじ
「チェーホフの銃」についての解説
太宰の「斜陽」を読書会で扱うべく、現在関連の書籍をいろいろ読んでいる最中である。「斜陽」は貴族の没落を描いた作品で、太宰はこれをチェーホフの「桜の園」から影響を受けて執筆したことを明らかにしている。
あらすじ
まずは簡単に本書のあらすじを紹介しよう。
『桜の園』は、ロシアの劇作家チェーホフによる四幕構成の戯曲で、彼の最後の作品として知られている。没落しつつある貴族階級と、新興の商人階級との対比を通じて、時代の移り変わりを描いている。
第1幕
女地主ラネフスカヤは、娘アーニャを伴い、5年ぶりにパリから故郷の屋敷に戻ってくる。彼女の帰郷を兄ガーエフや養女ワーリャが出迎えるが、屋敷は財政難に陥り、広大な「桜の園」は競売にかけられる寸前である。新興商人のロパーヒンは、桜の園を別荘地として分割・販売することで財政を立て直す提案をするが、ラネフスカヤはこの案に反対する。
第2幕
借金返済の期限が迫る中、ラネフスカヤは現実から目を背け、過去の思い出や贅沢な生活に浸る。一方、娘のアーニャは学生トロフィーモフから影響を受け、新しい生き方や未来への希望を見出し始める。
第3幕
屋敷では舞踏会が開かれているが、その裏で桜の園の競売が進行する。最終的に、かつてラネフスカヤ家の農奴だった家系の出身であるロパーヒンが桜の園を落札する。彼は新たな所有者としての喜びを表現するが、ラネフスカヤやその家族は深い悲しみに包まれる。
第4幕
ラネフスカヤ一家は屋敷を去る準備を進め、それぞれ新たな生活へと旅立つ。ラネフスカヤはパリへ、ガーエフは銀行の職に就くために移動する。アーニャとトロフィーモフは未来への希望を胸に前進する。一方、老召使いフィールスは屋敷に取り残され、時代の移り変わりとともに忘れ去られる存在として描かれる。物語は、桜の園の伐採音が響く中、幕を閉じる。
「斜陽」に登場する母がラネフスカヤ、かず子がアーニャをモデルとして描いていることが明白であり、両作品にはかなり類似の個所がみられる。
本記事では太宰は無関係である。むろん、太宰を深く読み解くために桜の園を手に取ったのには違いないのだが、一度桜の園をより深く理解することで、太宰作品の理解力につなげようという魂胆なのである。
チェーホフの銃の紹介
ところで、みなさまは「チェーホフの銃」という言葉を知っているだろうか。物語をつくるうえでの技法のようなものなので、書き手志望の方ならよくご存じかと思われる。
以下、ウィキペディアからの要約。
「チェーホフの銃」とは、ロシアの劇作家チェーホフに由来する文学の技法で、物語の初期に登場した要素は後の展開で必ず活用されるべきであり、そうでなければ最初から登場させてはならないという原則を指す。
チェーホフ自身がこの考え方を手紙などで述べており、例えば「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない」と表現している。
この技法は、物語に不要な要素を排除し、すべての要素が後の展開に寄与するように構成することを促すものである。
「チェーホフの銃」は伏線の手法の一つと見なされることもあるが、より広義には「ストーリーには無用な要素を盛り込むべきではない」という意味として理解される。
この原則を守らない作品は、プロットの穴を指摘される可能性がある。
類似の概念として「マクガフィン」があるが、これは物語の中で登場人物たちが追い求める対象(例えば宝石や機密文書)を指し、物語の進行には重要だが、その具体的な中身は必ずしも重要ではない場合に使われる。
一方、「チェーホフの銃」は、物語の要素が後の展開で必ず活用されるべきという原則を強調している。
このように、「チェーホフの銃」は物語の構成において無駄な要素を排除し、全ての要素が意味を持つようにするための重要な技法とされている。
独自のエンタメ解釈をするに至った思考経緯を手短に
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