遠い湖と記憶
自分なりの速度でゆるりと続ける。
それでも週1程のペースで穏やかに進めよう、なんとか止まらずに。
そう決めていたことが、8月に入って止まってしまった。
止まってしまったら、しばし そのまま。
そのまま水中へと沈んで…という訳ではなく、浮いたまま。
手足を動かし、漕ぎ出す気分にはなれなくて
なんだかそのままぽっこり 浮かんでいたかったので、そのままにした。
そんな感じ。
8月の半ば、久しぶりの遠出。
と言っても隣の県で 山の上から琵琶湖を眺めていた。波は思いの外 穏やかそう。天気予報は曇りから次第に雨へと崩れることを伝えていたし 台風もそばにいて、その動きによっては予想が見えないからおおよそ荒れ始めるのは夕方か、夜か…。けれどランチ時間を少し過ぎた頃の空は広く、高く、青く、 眼下に見下ろす琵琶湖は 遮る木々も山もなくて 足元のすぐ下から何もない。そこは果てしなく壮大な水の風景があって、湖の大きさに圧倒されるのはもちろんだけど、それよりも山の上からの見晴らしが圧巻でどう表現したらいいのだろう。空高く宙に浮いている感じ?、と言っても大げさではないような感覚。
そう錯覚させる展望台の作りになっているからかもだけど。
標高高く吹き上げる風も心地よくて。
ああ…こころが震える。
こんな場所があったんだ。
ひととき 壮大な風景に心奪われて、ただ たたずんで からっぽになる。
このまま ふわりと宙に浮いて 何処かへ行ってしまえたらいいのにと
思う。眠るように風をうけ 戯れながらフェードアウト。
ふと、映画『フォレストガンプ』始まりの映像シーンが浮かぶ。
白い小さな鳥の羽根が風に乗って彷徨うのをカメラが追いかけていく。
これから始まる彼(ガンプ)の人生を風に乗る羽根に喩えてのイメージシーンかな。見終わった後や、2回目以降 見るときには 沁みてくる映像シーンかと思う。
そんな彷徨う羽根に思いを馳せて 逆らわず風に乗って身を任せてく。
そんな生き方に、ほんの僅かだけど似てる部分もあるような無いような…。
ただ、突然終わっても もう後悔はないかな、という気はしてる。
風に乗りながら、そこここ一生懸命に。
貫く意志はありながら 流れるままに来た。悔しい思いもしたし たくさん泣いた気もするが、愛も貰ったし、幸運に何度も叫びそうになったこともある。ただ、いつもギリギリだから 壊れかけのセトモノ、こぼれていく大切にするべきエナジー。あと何パーセント残ってる?
そんなことの繰り返しは、いつしか修正に時間が必要になってきたかもしらん。
遠く広がる空と水との風景。下から吹き上げてくる風の感触にフワフワしながら リアルでは高所恐怖症の筈なのに、この時ばかりは目に映るものと空間の壮大さに心奪われてた。
その上で たとえるための羽根ではなく そのまま そのまま
湖に降りていけたらいいのに…と。
遠い風景に揺さぶられる思いの意味するところは 何だったのか。
映画に加えて むかし聴いた歌が 無性に聴きたくなって…。
『遠い海の記憶』 歌 石川セリ
https://youtu.be/xqMhUO5cn2g
流れるメロディは
懐かしくも何処か寂しげな、静かな海。
ただ そこにある海
蝕んでるものの存在に 立ち向かえなくてストップ。
復活というわけではないけれど、自分と向き合う場所
ということで 静かに居てることにした。