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語学(中国語)の上達に、記憶力って必要なのか

先日Xをつらつら見ていたのですが、フォロワーさんの素晴らしい取り組みを目にしました。

この、本一冊まるまる暗記して暗唱するという学習方法。

かくいう私も中国語を教えてもらうに当たり、師匠から本を一冊手渡され、まるまる一冊暗記しろと言われました。師匠は有名な中国研究の大家でしたし、「どんな高尚なことをご教授していただけるのだろう」とワクワクしていた自分はこの言葉を聞いて面食らったことを今でも覚えています。

ただ、師匠がおっしゃっていたことは間違いではなかったと私は後で知ることができました。テキストの例文は自分が会話として相手にアウトプットする際の「手持ちの武器」にすることができるのだということを、私は発見したのです。

結果私は教科書の中の構文を暗記することで、中国語の会話の向上を図ることができました。

しかしこの「暗記・暗唱法」というやり方。記憶するのが苦手という方にとっては苦行にさえ感じるかもしれません。そして、、そもそも「語学は記憶力がすべてだから」と、語学自体に苦手意識を持っている人さえいるのではないかと察します。

私は、「語学を習得するにあたって記憶力はあったほうがいい」という事実は否定しません。事実私自身記憶力にはある程度は自信を持っていますし、25年以上前に留学先の大学で受けた授業で習得した語句を未だに覚えていて、会話の中で口にすることができています(普通話も広東語も、英語も・・です)。そのほかにも、外国語を操る中で自分の記憶力に助けられたことは幾度となくあります

ただその一方で、記憶力がないからといって語学はできないんだと悲観する必要もないとも私は思っています。

なぜなら外国語を操る上で本当に必要になのは、授業で学んだ知識の「インプット」だけではなく、その知識を実際の場面で使う「アウトプット」だからです。知識を記憶して「インプット」だけして、知識をどんどんため込んだところで、語学能力を向上させられるわけではありません。もちろん中国語検定1級など「資格」は取れるかもしれませんが、語学力として成立させるには会話なり、文章を書くなりして「アウトプット」する能力も求められるのです。

例えば会話として「アウトプット」するには発音力も必要ですし、相手が何を言っているか素早く理解する認知力も必要です。だから、、記憶力だけに頼っては外国語マスターは不可能であるということが分かると思います。

言い換えるならば、少し位記憶力に自信がなくても、日ごろの会話の訓練で「インプット」と「アウトプット」を繰り返せば、記憶力の不足をカバーして、その語句の用法やニュアンスを体にしみこませることができるということです。そしてその作業こそが、語学力向上で最も重要であり、核心的なものであると私は強調したい。

ただ、これには条件があります。継続性が必要だということ。

これまでも何回もお話ししているように外国語は「座学」だけで完結するわけではありません。語学でいう「インプット」は座学ならば「リーディング」、実学ならば「ヒヤリング」であり、「アウトプット」は座学ならば「ライティング」であり、実学ならば「スピーキング」となります。

このうち実学の「インプット」と「アウトプット」にあたる「スピーキング」と「ヒヤリング」(および「会話力」)は日ごろの鍛錬が必要なのです。

実際に自分の身体を動かさなければならない「スピーキング」と「ヒヤリング」は、いくら記憶力があっても、体の筋肉が衰えれば低下していきます。ですから中国語ならば、継続的に中国語に接する環境を自分で整える必要があるのです。

だから。

記憶力が劣っているからといって自分は語学はダメと考えるのはもったいない!!でも、語学をやると決めたからには、あせらず、ゆっくりでもいいから末永くその外国語とお付き合いする気持ちでやってほしい。私はそう思います。

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