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新興宗教(カルト)ではないキリスト教会の見分け方

「新天地イエス教証しの幕屋神殿」と呼ばれる、新興宗教から電話がかかってきた。彼らは聖書の中でも「ヨハネの黙示録」を信仰の中心においていて、Wikipediaで調べると「一般的にカルト宗教と呼ばれている」宗教だ。

その彼らが最近、「誤解を解きたい」という手紙を伝統的なキリスト教会に向けて送っている。今回の電話は、それについて聞くものだった。

彼らの主張はこうだ。「私たちはカルトではない。聖書(特にヨハネの黙示録)に書いてあることを大事にし、キリストの言葉を忠実に信じているキリスト教会である」。

日本にはこういった、キリスト教会を標榜するカルトが山ほどある。しかし多くの人々にとって、「伝統的な(新興宗教ではない)キリスト教会」と、「キリスト教会の皮をかぶったカルト宗教」の見分けはほとんどつかないのではないか。

彼らは聖書を読み、聖書から解き明かしを聞く礼拝をおこない、社会奉仕活動に精を出している。表に見えるのはほとんどこちらのほうだ。しかしその一方で、日韓交流を名目にした改宗セミナーや、信者になると「新しい人を信者にしないと数十万円の罰金」を課すこともあるということが明らかにされている。

統一協会が話題になった際残念だったのは、取り上げられたのがこの後者の被害に関することばかりで、そこから一歩踏み出した「では、どうすればよいか」──つまり「伝統的な(新興宗教ではない)キリスト教会とはどのようなものか」「その見分け方は何か」ということは一切触れられなかったということだ。

キリスト教の教会です、という宗教は日本の中であふれている。どれが大丈夫な教会ですよ、と一つ一つ教えることはできないが、伝統的なキリスト教会の共通点を紹介することで、その助けになればと思う。

■伝統的なキリスト教会の見分け方

一番わかりやすい見分け方は、教会のホームページを閲覧し、次の三つの「信仰告白」のどれか、あるいは複数が取り上げられていれば、伝統的なキリスト教会ということである。

  • 「使徒信条」

  • 「ニケヤ(ニカイア)信条/ニケヤ・コンスタンティノープル信条」

  • 「アタナシウス信条」

のどれかが教義(あるいは信仰)として掲げられているかどうかだ。
「信条」が「信経」になっていることもある。これがあれば、伝統的なキリスト教会と言ってよい。つまり、新興宗教ではないということだ。

出来れば、その教会の大本となるホームページを見てもらうのがいい(地域にある各教会のホームページでは省略されていることがある)。

たとえば……

カトリック教会なら、「カトリック中央協議会」の「教義と組織」の項目( https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/dogma/ )

日本福音ルーテル教会なら「日本福音ルーテル教会」の「ルーテル教会の信仰」の項目( https://jelc.or.jp/about/lutheran_church_faith/ )

日本基督教団なら「日本基督教団公式ホームページ」の「信仰告白」( https://uccj.org/faith )に「使徒信条」が載せられている。

日本聖公会なら「日本聖公会」の「日本聖公会とは」の項目( https://www.nskk.org/province/seikoukai.html )に「教義として……第2:ニケヤ信経および使徒信経に示されたる信仰の道を公認する。」とある。

他にも、「日本バプテスト連盟/同盟」などのバプテスト派、東方教会の「日本正教会」など……一つずつ挙げていくとキリがないのでこれくらいにするが、とにかく「使徒信条」「ニケヤ信条」「アタナシウス信条」のどれかがあれば、そこは新興宗教ではないと言えるだろう。

■では、この三つはいったい何なのか?

この三つは「信仰告白」と呼ばれているものだ。
一番古いものは「使徒信条」だが、初期キリスト教会が「同じ信仰を持っている」ことを確認するために、「共通している信仰箇条についてまとめたもの」だ。

イエス・キリストがこの地上からいなくなって2000年以上も経つ。そうすると、残された聖書の言葉を自分に都合の良いように読み込んで、「神はこう言っている」と自分の欲望のままにふるまう人も出てくる。
それがいずれ一つの宗教という形を取ってくると、「キリスト教会として正統かどうか」という基準が必要になってくる。その物差しの一つが、この「信仰告白」と言えるだろう。

使徒信条は、紀元2世紀ごろから使われてきた信仰告白の中で最も古いものだ。キリスト教会では信徒になるためにこの信仰告白の文を疑問文にして「信じるか?」と確認される。つまり、伝統的なキリスト教会の信徒は皆、この信仰告白の内容に共通した信仰を持っている、ということである。

逆に言えば、「使徒信条」や「ニケヤ信条」が教会の礼拝の中や、教えのなかに一切出てこないのに「キリスト教です」と主張している宗教は、伝統的なキリスト教会ではない可能性がある、ということだ。

有名どころでいうと「ものみの塔/エホバの証人」だ。彼らのホームページを見ると、「エホバの証人はどんなことを信じていますか?」の項目には彼らの信仰について述べられているが、使徒信条の内容に必ずしも合致しているわけではない。合致しているのであれば、それを載せればいいだけだが、そうしないということはどこかに「違う信仰」があるということだ。

たとえば「イエスが全能の神ではないこと,三位一体の教理には聖書的な根拠がないことを,聖書を通して学びました。」と書かれている点が違う。

大体の新興宗教は「イエスは神ではない」「三位一体(神・イエスキリスト・聖霊は三つにして一つの神であるという考え)には根拠がない」という、初期キリスト教会が正当な信仰として決めたことを信じていないことが多い。

キリスト教会が共通の信仰告白を定めてきたのは、それによってイエス・キリストが伝えようとした意図から極力外れないようにするためだ。歴史を紐解くと、宗教戦争が繰り返し起こってきたことがわかるが、それはどれも、キリストが教えていたことの意図を忘れ、自分勝手に聖書を解釈しようとした結果、起こってきたことである。

本家カトリック教会でさえ歴史的にその過ちを犯してきたのだから、人間は誰でもそういう風に聖書を読んでしまう弱さを抱えているということだ。

しかしキリスト教会はそのたびに反省をし、そうならないようにと繰り返し戒められてきた。それこそがマルティン・ルターの宗教改革という出来事であったし、その過程で無数にも枝分かれした、共通の信仰告白を持つプロテスタント諸教派が生まれることとなったのである。

だからこそ、そうやって自分勝手に聖書を解釈し、ついにはあなたを洗脳・搾取しようとするような新興宗教に引っかかってしまわないようにと願ってやまない。

もし、キリスト教や聖書に興味がある時には、いつでも教会の牧師に電話を掛けたり、質問してもいい。何の用意もなく教会の礼拝に参加してくれてもいい。

ただその前に、あなたが行こうとしている教会が、本当に伝統的なキリスト教会であるかを、確かめてほしいのである。

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